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2012年12月6日木曜日

豊かさは社会全体でつくるもの

豊かさは社会全体でつくるもの。豊かさは共有財産です。豊かさを一部の人間や社会組織が独占しようとするところに格差が生まれ、それが争いや、混乱の要因となる。
格差社会は、結局社会全体の衰退をもたらすのは歴史が教えている鉄則である。
よき統治者、リーダーはより良好な富の分配を実現してその組織や社会の豊かさを共有てきた。それが本当の知恵である。
今の選挙制度による民主主義は致命的な欠陥がある。それは「多数」が優先されると言う欠陥である。少数者、弱小者は常に無視され疎外されてきた。

民の煩いを知らないリーダーは失格である。

国政選挙に突入したが、どうも私は「選挙戦」と言う言葉が好きでない。
競い合うことは良いが、「戦」は相手を殲滅するイメージがある。
スポーツでも勝敗はあるが、これは競い合いである。

選挙もいいが、その結果が一部のものだけの権益を守る結果になっては、それがたとえ多数であっても良くないものである。

勝者も敗者もないともに喜びを共有できる社会を実現するべきである。それが本当の意味での豊かさであろう。そのために人間の歴史は叡智を傾けてきたのではないか。

2012年12月5日水曜日

岡山人物銘々伝を語る会12月は中川横太郎

岡山人物銘々伝を語る会12月は生前葬を行い、集まった香典を寄付したことで有名な中川横太郎の話を会代表の黒田輝一さんが語ります。
12月21日(金)18:00~20:00 県立図書館です。
ご参加ください。問い合わせは山田まで。

以下久井代表代行の案内文です。



                            平成24124
      
   「岡山人物銘々伝を語る会」第77回例会のご案内
                         代表世話人代行 久井 勲
  
 第76回(平成241116日)の例会は、恒例の懇親会でした。20人近くの会員の方に集まっていただいて、皆さんおもいおもいのコメントをしていただきました。この会もはや七十余回を重ねてきて、語る人物も”著名”から”意外”まで、なかなかに重厚になってきました。いま岡山だけでなく全国的に「歴史好き」の方が増えてきています。うれしいことです。歴史人物の中に、自分あるいは自分の憧れるキャラクターを求めたくなるからかもしれません。もとより人のキャラクターは、所詮片面的なもので、どこにスポットを当てるかによって変わってくるものでしょう。自分なりの当て方でいいんじゃないかと私は思いますこの頃、「マイ〇〇」という言葉が流行りだしています。昔は、この〇〇に相当するのは、江戸期は“役者”であったのが、近代では”美男美女の俳優”、高度成長期は“車その他の耐久諸費財”最近では-----人の思考が内面に向き出したのか-----”歴史人物”や”古典文学”などもその対象になりつつあるようです。思考対象が広がるのは世界観の広がりと解釈すれば、まあいいいのかもしれません。

12例会通常通り下記の要領で開催いたします。              
                   記
      日時平成241221()※ 午後68時  (※通例は第3金曜日です)
      場所: 岡山県立図書館2Fサークル活動室
      内容: 中川横太郎
      講師: 黒田輝一氏(本会会員)
参加費:500
【中川横太郎のあらまし】
    黒田さん自身、今まで中川横太郎のことを二度取り上げてくれています。このたびは、
    特に彼の「生前葬」についてスポットを当てて語っていただきます。
  
私も大先輩に学んで生前葬を(ご助言を)・・・黒田輝一
  とのメッセージを黒田さんよりいただいています。

富国の基本は民の力

「富国・・」と言うのが最近聞くことばだが、「富国は民の力」と言うのが基本である。

明治の富国強兵策は、ある面では成功した。世界の劣等国と思われた日本が世界の列強と伍するまでになった。教育を強化し産業を育成し軍備を強化した。
明治政府の成功したのは、学制を整備し、まずは「教育勅語」を制定して「人づくり」を教育の基本とし、学校で技術や知識の基本を教え、優秀な人材を育成したところから、始まる。

富は物の豊かさだが、物は人によって作り出されるもの。その人づくりに成功したのが日本の富国強兵策だった。

ただ間違いは伝家の宝刀を抜いてしまったこと。
平家と源氏により、武力を持つものが政権を持ち、その後武力で政権が争われ最後は戦国時代を経て、最後に政権を持った徳川は、その武器である「刀」は「抜かぬもの」として、300年続いた。
しかし最後は、武力で政権は失った。
明治の時代は列強が強大な軍事力を背景にアジアに進出していた時代。軍事力の強化なしには生き残ることのできない時代であった。その当時日本は小国ながらも優秀な軍人を育成し、彼らは列強の進出を跳ね除けた。そこまでは良かったが、最後は列強に追い詰められ、刀を抜いてしまったのが結局敗戦につながった。戦争と言うものは何かを創造するものではない。最後は破壊であり破滅である。結局何も残らなかった。残ったのは「民」である。

戦後日本は残された民の力が「ものづくり」に向かった。その結果日本は「経済大国」と言われるまでになった。しかし今は・・・・。

先日、黒田サミットで講師の黒田美江子さんが「戦後日本は、マッカーサーによって三つの教育を奪われた。それは修身と、歴史と、地理です」と言われたことを紹介したが、要は教育の基本である「人づくり」が、失われたことである。
アメリカ式の教育が取り入れられ、欧米型の民主主義と個人主義、それに技術教育が施されるようになった。
教育は学校教育もあるが、家庭での教育がそれ以上に重要である。人づくりの基本、思いやりの心や人を大切にするこころは家庭の中で育成されるものである。ところが戦後教育と体制の中で家庭が破壊されてしまった。
それまで学校教育を柱としてなされてきた「人づくり」は企業が肩代わりするようになった。「人づくり」に力を入れた企業は大きく成長した。ところが企業の行う教育はあくまで企業に役立つ人材の育成に過ぎない。一番の基本の「心の教育」は何処でもなされない、あえてあったのは戦後雨後のたけのこのごとく登場した新興宗教や倫理道徳団体であった。これらの中には心の豊かさを育てたり、家庭の大切さを教えるところもあり、国による人づくり教育の失われたところを補ってきた。
ところがこれも、多くの教団が自らの教団の勢力を拡大することに走り、人づくりよりも、現世的ご利益を強調、一時の癒しに走るなどして教育的役割を放棄するようになってきた。

今日本で一番失われ、一番大切にしなければならないのは、「人づくり」の教育である!
まずは国を挙げて人づくり教育の体制を再構築しなければならない。
学校教育の柱に「人づくり」をすえなければならない。
そして、人づくりの基本となる「家庭」を大切にする取り組みを国を挙げて取り組んでいかなければならない。家庭力の強化が決定的役割を果たしていくようになるでしょう。

いよいよ総選挙、「脱原発」や「TPP」とかが主要政策課題などと騒がしいが、何処にも本当に豊かでみんなが幸せに暮らせる国づくりの視点が見受けられない。
そういうこと、教育などを政策に掲げても選挙に勝てないという今の日本の政治社会の現況が嘆かわしい。国民が原発を怖がっているから、「脱原発」と言えば国民の共感を得て票を入れてくれると思っているのか。
創造的建設的視点は何処にも見受けられない。残念である!

よき知恵を求め、よき知恵を生かす努力を育成する取り組みをみんなでして行かなければ国の未来は危うい。

痛切に実感する日々である。

2012年12月4日火曜日

生きる意義を見出せない人々

生きる意義を見出せない人々・・・・。
失業や就職難、経済的困難やはなはだしい差別・・・・
様々な理由で生きる力を失っている人がとても増えている。
生まれた時は、人間としての能力や可能性は誰も、そんなに違わないと思う。
にもかかわらず、成功して上手くいく人、運に恵まれる人、苦労と努力が報われる人とそうでない人ががいる。
国と国の間にも格差があるし、同じ国の中でも格差がある。

自ら人生を儚んで、自らその命を絶とうとする人間も多い。
やりきれない気がする。

どんなに希望的な言葉を投げかけても、どうすることもできない人々をどうするのか?
その温かい言葉さえかけてもらえない人々があまりにも多い。

生きるべき道を与えてくれる、親もいない。友もいない。師もいない。まして行政など見向きもしてくれない。
見失われた人々にこころを向けるリーダーがいない。
今日本は国政選挙の騒ぎだが、票にならない疎外者には政治家も政党も目もくれない。メディア、特に商業メディアは、消費力を持たない人々には冷酷である。
権力機関は取立てや取締りだけは無慈悲に執行する。

あたたかい共生の世の中は来ないのか!そんな社会は夢物語なのか?
福祉福祉と叫んでいる人々も、それは自分のための福祉に過ぎない。
身近な人に少しばかりの施しをする人はいるが、生きる力を失った多くの人々には余りにも無力である。

何とかならないものなのか。

2012年11月28日水曜日

知恵無き政治論議

小党乱立の今回の総選挙。
その論議を見ていると、どうもあまり知恵を感じさせない。
この国をこれからどうしていくのかと言う、ビジョンを感じさせない。
要は、数の論議、目の前の問題をどうするかで、いろいろ言い争っているだけで、本当になすべき課題がわかっていないのではと思う。
何処にも、投票したい政治家も政党も無いというのが多くの有権者の実感ではないか。

政党政治という今の政治システム自体の限界なのかもしれない。
今の選挙制度は、本当の意味で優秀、有能、知恵ある政治家が出るシステムではない。

今の社会の限界状況を打破するには、新しい知恵が必要である。未来をどうするのかという強力なビジョンが必要である。
ところがこれは多数者から出てくるのではない。限界状況の中で深刻な思考をした中で出てくることのほうが多い。

本当の知恵を持つ人間を何処に探すのか?本当の知恵を大切にする文化を育てるかどうかが、その社会の未来を決定する。

既成概念を抜き去って、歴史や文化への深い洞察が必要である。

2012年11月27日火曜日

黒田サミットに参加して・・・黒田家の家風と山田家の家風

今朝「山田家のスピリット」に投稿した記事をコピーして載せます。

黒田サミットに参加して

この日曜日、長船の「おさふねふれあいゆめプラザ」で「黒田サミット」があると聞いたので行ってみた。
林立する「黒田官兵衛」ののぼり・・・。

「黒田サミット」というのは、黒田官兵衛と黒田家ゆかりの、滋賀県長浜市(木之本)・・・黒田荘(黒田家父祖の地)、岡山県瀬戸内市(旧長船町福岡)・・・備前福岡(黒田家再興の地)、兵庫県姫路市・・・ここで再興後初めて城主になり、ここで官兵衛が信長と秀吉に仕えるようになる、大分県中津市・・・(官兵衛が秀吉からもらった領地)、福岡市・・・・関が原の合戦後長政が城主になり、その城の名前に黒田家再興の地、備前福岡の名をつけたのが「福岡」の始まり。
この黒田家ゆかりの4市の町おこし運動の連合会である。

今回は再来年のNHK大河ドラマの主人公が黒田官兵衛に決まったと言うことで大盛り上がり!

黒田家16代当主の黒田長高氏も来られて挨拶をしておられたが、この日の基調講演は姫路の歴史研究家黒田美江子さん。「黒田官兵衛物語」の題で、年間何百回も講演をこなすと言われる慣れた語り口で「官兵衛さん」と黒田官兵衛に親しみを持って語ってくれた。

その黒田美江子さんの話す黒田官兵衛の人柄に「山田家のスピリット」に通じる世界を感じたので一言書きたくなりました。

近江の黒田荘をところ払いとなり、諸国を遍歴した黒田官兵衛の曽祖父黒田高政は当時山陽道一の商都として栄えていた福岡に定着、家伝の薬を商いしながら財を成し黒田家再興を果たした。官兵衛の祖父、重隆はここで生れた。(今回黒田さんは重隆は官兵衛の実は父親ではなかったかと言う説・・・ある寺院に残っていた黒田家の系図から推理・・・も紹介していた。)

黒田家はその後赤松氏などに仕えながら姫路の城主になり、官兵衛もそこで生れたことになっている。官兵衛は文武を身につけ、その後信長と会い、秀吉の軍師になっていくわけである。

講師の黒田美江子さん、さすが女性講師で、黒田官兵衛を「官兵衛さん」と呼びながら官兵衛の人柄を褒めていた。三木城に囚われの身になった1年間に貫いた律儀さはもとより、生涯たった一人の妻を愛しぬいた愛妻家であったことなど、その人格にほれ込んだ話であった。最期秀吉から天下を取る男と見られ、関が原の合戦時には天下を取るチャンスがありながらも取らなかったのは「平和を愛する心」があったからではないかとの黒田美江子さんの評。

官兵衛の曽祖父は幼いころお寺に預けられ修行したと言われるが、黒田家の家風はこうやって出来たのかもしれない。


黒田家の家風に、山田家の家風と合い通じる精神性を感じる。
心優しさや律儀な性格、家族や領民を大切に思う精神など、その美徳は相通じるものを感じる。

よき日本の精神を大切にして、平和の世を築きたい!
今朝も家族で話し合った
ところである。

2012年11月24日土曜日

より良い文化と感性は誰が育てるのか

心豊かな日本の文化。
世界に誇る日本の文化!「日本って良いなあ!」となるのですが、すべての分野が優れいてるわけでもありません。
欠点もあり、問題もあります。

より良い文化は誰が育てるのか?
為政者からのお仕着せでは実現できません。
歴史上に感性を育んできた多くの、偉人と言われるような人物がいます。
有名な人たちだけでなく、無名な人たちの中にもたくさんいるはずです。

今の時代にどう向き合うのか。
現実問題への挑戦を!
いつの時代でも、現実の様々な問題があります。
例えば平安末期・・・・。様々な不幸な現実の中で、偉大な宗教家が数多く生れました。
今大河ドラマで「平清盛」をやっていますが、この時代に生き、この時代に新しい宗教の道を切り開いたのが法然であり、栄西です。
旧吉備国の美作と備中から出たのがこの二人です。
この二人はともに比叡山に登りそこから新しい宗教を興していきました。目指した宗教の形態は違っていても、平安末期から鎌倉にかけての時代、貴族の世の中から武家の世の中に変わる大変動期、様々な天災や人災が繰り返され、末世の様相を呈した時代。
この時代に精神世界のあるべき道を求めたことでは共通します。

今の日本も、生活困窮者が増え続けています。リストラや非正規雇用の中で多くの人々があえいでいます。行政の対応はまったく追いついていません。改革を叫ぶ政治家もそこにはほとんど触れていません。それでもまだ生活を維持できていると思われる中間層に票獲得の目が向けられているからです。
マスメディアもテレビを見ることも、新聞をとる事もままならない人々のことは関心が無いようです。
数が頼りの選挙制度や視聴率だけが問題の広告世界が世の中を支配して、そこから漏れた人々には何の手立ても施されていないようです。

今何をしたらいいのか。今何が出来るのか。何をしなければならないのか?

今の世の中、経済的にも精神的にも困窮者が行くべきところ、行けるとこがありません。
共生、共栄の精神が失われています。


2012年11月21日水曜日

心優しき社会の実現を!

今の世の中で一番欠けているのは、「心優しさ」である。

伊原木新岡山県知事は、「教育に力を入れる」と、昨日も教育現場を訪問したとのニュースが伝えられていた。
かつての「教育県岡山」がいまは、見る影もなくなっていることはすでに久しいが・・・。
もちろん学力の向上や非行の防止は問題だが、一番の問題は何か?
問題は、「心の教育」が欠けていることである。

最も古き寺j小屋があったことで、妹尾の町は有名であり。また日本で始めての庶民のための学校、「閑谷学校」はあまりにも有名だが、いずれも「心のあり方」が教えられていたことである。

最近「論語」が注目され、地元のRSKでも「論語」の時間が出来て注目されている。
かつての岡山・・・・・。「教育県」と言われた所以は何処から来ていたのだろうか?

古くは奈良平安の時代、いやもっと古くから、教育に熱心だったのであろう。

それは吉備の国の始めから・・・

岡山県を代表する偉人の元祖と言えば、方や東、上道(備前)の「和気清麻呂」であり。西、下道(備中)の吉備真備であろう。
いずれも学問に秀で、日本の中央政界で活躍した人物である。
もちろん彼らは学問的にも優れていた。特に吉備真備などは遣唐使として訪唐し、極めて優秀であり。多彩な才能に長けていた。
しかし吉備真備にしても和気清麻呂にしても。その優秀さは学問の分野だけでなく人格のすばらしさである。特に和気清麻呂はその人格性において優れている。
清麻呂はその姉の広虫姫が孤児を養ったとの記録にもあるように、人一倍「心優しさ」が秀でていた。

今、政治にも経済にも、社会全体に必要なのは・・・、この「心優しさ」である。

今はことさらに「強さ」が強調され、競争に勝ち抜くことが強調されている。
勝った者だけの世の中になってしまっているようである。
だから学校でも「勝ち抜く」ことを教える。「何でも良い、世界一になれ」とかと言いながら戦いを鼓舞する。
これでいいのだろうか?

かつての寺子屋、もちろん閑谷学校でもそうだが、教育の主眼は「読み書き算盤」と言われたように実用的な教育であった。しかし、例えば「書」の教育の教材は「論語」であったり、教育の合間に必ず「人づくり」・・・心の教育がなされていた。
人や世の中を思いやる「心」を育てることこそが教育の柱である。骨であり、芯である。
すべての教育の基礎には「情操」や「感性」の教育がなければならない。

勝者がもてはやされる時代、敗者は消えてしまえと言うような世の中には発展はない!

はっきりいえば、弱者切捨ての新自由主義への舵取りが日本の社会と経済を危うくしている。
共存、共和、共生の世の中にこそ発展がある。
選挙制度にも欠陥がある。多数決原理は民主主義の実は最大の欠陥である。数が頼りの選挙制度は、多数を獲得したものの政治となる。選挙に勝ちたい政治家は多数者に媚を売る。かくて少数者は切り捨てられる。地域的にも人口の少ない農村は切り捨てられる。
メディアも多数者に媚を売る。視聴率第一で、少数者のことはいつも後回しである。

今の世の中は敗者には敗者復活の希望も与えられない過酷な世の中である。マイノリティーはいつも差別され、蔑視され、否定される。生き残る道さえ閉ざされる。

今世の中には、失業者や、仕事はあっても非定期雇用の貧者が増え続けている。

真の国力とは何か?・・・・
国際社会の中で日本企業も敗北を続けている。それは何が原因か?
はっきりしている。それは弱者、貧者を忘れているからである。
かつて日本を代表した企業の苦戦は、弱者に目を向けた創業者の経営精神を忘れたことにある。貧困層の喜ぶ商品より衰退する高所得層にターゲットを当てた商品開発に力を要れ、社内的にも創業者がしなっかったリストラを実施している。

すべてを解決する道筋は「心優しさ」である。
心優しさが報われる世の中を作ることである。
人として、企業も組織も「心優しさ」を誇る世の中に変えることである。帰ることである。

世の中に勝敗はつきものである。しかし勝者は驕り高ぶってはいけない。敗者には手を差し伸べ、勝者も敗者もともに固く手を取り合って、再び競い合い共生していく。
競い合うのは一番は「心優しさ」を競うべきである。

世の中に「心優しさ」を満たしていかなければならない。
世の中から「怒り」や「怨み」を解消していかなければならない。

過去の時代・・・
吉備の偉大な先祖たちの求めたもの・・・それは「楽土」
思いやりの心にあふれた故郷と世界を実現することである。

郷土をすばらしくし、日本をすばらしくしていくのは思いやる心の豊かさである。
地球星全体を楽土にしていく人物をたくさん排出していく教育を実現して行こう!


2012年11月19日月曜日

楽土への道

吉備楽土と名づけてブログ始めたが・・・・
「楽土」とは・・・・天国jと言うか楽園と言うか・・・
まあ、みんなが安楽に幸せに暮らせる世界というか・・・
そんなものですが・・・

吉備の国・・・まだこの地がほとんど未開の時代から・・・今の時代に至るまで・・・
営々と築いてきた歴史、その道のりをたどってみると・・・・
幸せな時代もあれば・・・不幸せな時代もある・・・
幸せな人もいたが・・・不幸せな人もいた
人の人生とは何かとも考える・・・

今の時代もみな一生懸命生きている。しかし幸せなのか?

今何をして生きていけばいいのかを考える。

解散総選挙になり、世の中騒がしくなっていますが、投票したい人がいないという声を良く聞きます。投票したい政党がないと言うのが正しいかも知れませんが・・・。
これからの世の中、どう作っていくのか?

希望がないのが現実。
人類は長い歴史の中で、困難を克服し、希望のない時代に希望を作り出して生きてきたのだが・・・
その繰り返しの中で、知恵を磨いてきたはずなのだが、まだまだ究極の知恵には至っていないようである。

政治も経済も、すべてが行き詰っている。基本的に人間のライフスタイル自体が行き詰っている。
どこかに希望はないのか?

楽土への道・・・・
その道を開拓するのが・・・壮大な「吉備楽土」の道である。

歴史を検証しながら今をどう生きるか、そして未来への道をさぐって行こう!

困難な状況にあればこそ・・
楽土は泥沼の中から見つけるもの。作り出していくもの。生半可なものからはできないのはその鉄則である。

2012年11月15日木曜日

鑑定団で感動

先日の7チャンネル、何でも鑑定団見ましたか!
津山の山田共学道場の山田理事長が出演、棟方志功の「釈迦十大弟子」を出品、とてもすごい鑑定結果でした。
お祖父さんが棟方志功が疎開していた時に親交を持ち手に入れたそうですが、すごい作品です。
私も、鑑定団は好きで良く見ていますが、この日は、このときは作品が出たとたんに、「すごい!」と思い、理事長が事故にあったり、塾を開いた経過を話しながら作品の紹介をしていく中で益々思いが募ってきました。ずっと涙があふれて・・・・・。鑑定の結果はなんと驚きの・・・円。
こんなに感動したのは初めてでした。
あらためて棟方志功のすごさと、その版画に縁があって所有している山田さんの家風にも感動しました。
同じ山田姓ですので、遠くても親戚かどうかはわからないのですが、山田姓に誇りを感じさせていただきました。
備中聖人の山田方谷先生とは同じ先祖であることがわかりました。機会があれば津山の山田先生にもお伺いできればと思っています。
私もちょっとがんばらねばと思った次第です。

壮大な挑戦!

今、日本は大変な格差社会に突入中です!
貧困層が拡大中です!米国ではすでに深刻な問題になっています。ワーキングプアとか言われる人たちです。犯罪の温床とも言われ米国で社会問題化されています。
今日本でも貧困層がどんどん拡大しています。最近特に女性の貧困層が問題になって来ています。
時々マスコミで取り上げられているようですが、この問題に真剣に取り組もうとしている政治家は今のところ見当たりません。自民党も、民主党もどちらかと言えば富裕層や既得権層の代表であり、今騒がれている第三極の方々もこの問題に取り組もうとしているのか?見えません。
一部に気付いている人もいるのでしょうが、この問題が今後先進国のみならず世界の一番深刻な問題になるでしょう。
日本の課題!
東日本大震災で、日本人の礼儀正しさや、倫理性の高さが注目されましたが、一歩踏み込んで日本が今後あるべき世界のモデルと成らなければならないとすれば、この問題の解決が一番重要です。
歴史と文化の探求に加え、あるべき社会モデルの創造に皆様の知恵もいただき、自らも体験的に解決の道を探って行きたいと思います。

私もいくつかブログを書いていますが、仕事に追われ休眠中のものも多くあります。
FACEBOOKなどソーシャルメディアも含め整理しながら、壮大な問題のテーマに挑戦して行こうと思案しているところです。

良い知恵お貸しください。

吉備楽土
Yamada Ryozo

2012年11月5日月曜日

児島市民文化祭にて

昨日児島文化センターに行ってきました。
おかあさんコーラス全国大会に出場したコロポーニョの演奏・・・全国大会で歌った衣装と演出で「レモンの輪」を歌ってくれました。

2012年11月1日木曜日

コロポーニョが出演します

明日11月2日午後6時から児島文化センターロビーで児島市民文化祭の行事の一つ「ギャラリーコンサート」におかさんコーラス全国大会に出場したコロポーニョが出演します。岡山を代表して東京で開かれた全国大会ではとても好評を受けました。
当日会場は、児島地区の文化団体の会員が製作した絵や手芸品なども展示されています。美術作品も見ながらコンサートを楽しみむことが出来ます。休憩時間には美味しい珈琲も振舞われます。ぜひ行ってみましょう!入場無料です。
画像は全国大会のときの写真です。レストランのスタッフとセレブの客をイメージした衣装も印象的です。
11月4日(日)午後、児島文化センター大ホールで開かれる児島市民文化祭の音楽コンサートにも出演しますのでこちらにもどうぞ!
2日、4日とも私も行って多分ビデオ撮りをしていますので声をかけてみてください。

2012年9月19日水曜日

知恵ある国民を作ることが第1

ここしばらく中国での反日デモが大きく取り上げられている。中国進出企業の主たちは気が気ではないだろう。ましてや従業員や家族が中国に行っていればなおさらだろう。
そこで一言・・・
中国の反日デモの叫んでいるのは「愛国」だが・・・「愛国」とは何か?
たまたま昨日新渡戸稲造の「武士道」を開いていて・・・日本の武士道の美徳の一つ・・
それは国を愛すること・・・・国を愛するとは国に利益をもたらすことである。・・・とあった。
中国のデモに加わっている人々が叫んでいる「愛国」と、その行為・・・・・日本車を破壊したり、日系企業を破壊して放火し略奪をする・・・・・・。こういった行為は国に利益をもたらしているのだろうか?答えは歴然である。
おとなしく在日の中国人にも何もしないし、昨日は中国大使館か領事館に何か投げ込んで自首した人間がいたがそれくらいでみんなおとなしくしている。
はっきり言って日本国民は利口である。申し訳ないが中国で破壊的な行為が進めば進むほど日本には多大な利益がもたらされようとしている。まあ、中国に進出した企業は少し設備が破壊されたり怖い目にあっているかもしれないが今後の利益を考えると、かえってありがたいとぐらい思ったほうが良い。
今日本がしなければならないことは、今以上に日本国民全体が知恵を持つことである。
そしてその中の重要な一つが正しい歴史認識を持つことである。古代から現代に至るまでの歴史に客観的事実をはっきりと知ることである。それは一国を中心とする、手前勝手な歴史観ではない。たとえば国家間の歴史はお互いに自己主張することが大いにあるだろう。
特に今問題になっている、日本、中国、韓国はそれぞれ自国の歴史観がある。それぞれ自分の国や、歴史と言うものはそれぞれの時代の主権を握る人間が自分の都合の良いように歴史も書き換え捏造もしているものである。本物の歴史のほうが少ないくらいである。
だから徹底的に検証して、誰かに都合のいい歴史ではなく、何が一番の真実であるかが問題である。それで一番正しい歴史観を持ったものが最後は勝利する。
国民に嘘をついて、維持される政権はその末路が惨めである。

良い悪いもすべてあからさまにして歴史の検証に耐えうる歴史観を正しく国民に教えた政権が最後は栄えていく。
これまで日本はとても高く評価されてきた。一時愚かな権力者が愚かな舵取りをして顰蹙をかった時期もあったが・・・。
我々が目指すべきは「知恵ある国民による知恵ある国家である」
人間性においても、その持つ見識においても、そしてそのもつ能力や技能についても世界が羨望し、教えを請うような国となるべきである。
愛国を叫んで、実は世界から顰蹙を買うような行為は実は多大な損害を国に与えている非愛国者であることを知るべきだろう。
最低限、破壊行為や略奪、泥棒の類は大震災においてもごく一部を除いては無かった。
ただ懸念することは・・・日本人の美徳が一部で失われつつあることである。それは親の心と分かち合う心である。本当の知恵者とは思いやりの心にあふれているものである。世の中に忘れられたり疎外された人間はありえないはずである。
もう一段階、指導者もそうでない人も本当の知恵を持つべきが早急の日本の課題であろう。

2012年8月25日土曜日

熊山遺跡に行きます

明日8月25日熊山遺跡に行きます。
吉備歴史探訪会の例会です。
10時に山上の駐車場集合で、今回は熊山遺跡の研究会で活躍されている佐藤光範氏に案内をお願いしています。
熊山には一般に知られている三段の石積みの異性のほかにも同様の遺跡があるそうです。出来れば今回はその遺跡も見せていただければと思っています。

8時50分に三門駅を車で出ますので良かったら一緒にどうぞ!

2012年6月29日金曜日

鹿島昇氏の著書に衝撃

以前からネット上では「鹿島昇」氏の名前を眼にし、気になっていたが。最近秦氏のことを調べるうちに、どうしても気になって先日岡山の市立図書館と県立図書館であわせて10冊あまりの著書を借りてきて目を通している。
目を通しながら、衝撃が走る。
この内容は、真偽はともかく、衝撃的内容である。
日韓中たの歴史書はすべて偽史だと結論付けている。
当然批判や無視あり。

ただ、内容は論理的、実証的で納得のいくものである。
視点がグローバルで、これまでの日本、韓国、中国のそれぞれの時代の手前勝手な歴史観を覆すもので、真実の歴史を解析しているように見て取れる。

これまで闇に葬られて来た、国家成立の時代の真実を解明する重要な突破口を開くのではと思った。
追ってその内容と感想を述べて行きたい。

7月20日(金)岡山人物銘々伝を語る会で「吉備の秦氏と岡山の人物」のテーマで語ります。
18時~20時 岡山県立図書館です。


鹿島氏の説はとんでもないという人もいると思うが、日本のルーツを遠くヒッタイトやフェニキアまでさかのぼって論じていることは、これまでの日本学者に無かった観点である。
また半島との関係も、既成概念を外してくれる。

日本国家成立の過程、日本文化の成立の背景を日本列島内だけで論じていては解らないのが当たり前で、そのような枷を外した視点での見方ということで十分評価できると思う。
真偽のほどは確かめて行かなければならないと思うが・・・。

一丁ぐろ古墳と正木山

30日土曜日に吉備歴史探訪会の例会で総社市秦の一丁ぐろ古墳に行く予定ですが、昨日下見を兼ねて行って来ました。
先日も行ったのですが、そのときは一丁ぐろ古墳までで、そこから正木山まで行けるかどうか心配だったので再度です。
サントピア側から登ろうとすると地元のかたから車も行けるよとのことでしたので林道を登ってみました。最近秦地区の方が案内看板を随所に設置してくれていて解り易くなっています。
一丁ぐろ古墳のところまで行って正木神社方面に足を伸ばしたのですが、かなりの悪路で途中で躊躇していることころに地元の方が、散歩中とのことで通りかかったので聞いてみると、ここから徒歩だと1時間近くかかると言うことで、そこから途中の登山口まで歩き更にしばらく登山道を登ってみましたが、かなり急な山道で本気で山登りのつもりでないと難しいと感じ、途中から引き返してきました。

一旦下山し、今度は車で登るルートを探して行ったのですが、こちらも途中から林道が通行止めで断念。
山中でかなり登山ルートを探しましたがかなり難しい状況で、福谷側に降りてきました。そこで先日正木山に連れて行ってくれた姫社神社の総代をしておられる板野さんに電話をして少し遅い時間になりましたがお話をうかがうことが出来ました。

お話によると、今年の11月には正木神社の社殿の修復にあわせて登山道を整備するとのこと・・・
今回の歴史探訪会は正木山に登るのは一旦取りやめにしようかと思っています。

今日会員の皆さんに相談して30日のコースを変更する予定です。
一丁ぐろ古墳には行きますよ。いろいろ板野さんからもお話うかがえたので当日お話します。
30日の10時にサントピア側の登り口に集合
岡山からのかたは9時半に吉備路国分寺の県営駐車場に寄って合流して行きます。

2012年6月22日金曜日

10000回突破ありがとうございます。

fc2ブログカウンターが10000回突破しました。ありがとうございます!

「吉備の児島」とのトータルのカウンターですので、こちらのページのカウントとはずれていますが、いずれにせよ感謝です!

いつもあれこれ書いてまとまりの無いブログですが・・・それでも毎日覗いてくれる方が続いているのはありがたいことです。

話は変わりますが、30日(土)一丁ぐろ古墳と正木山に登ります。10時にサンピアのはずれの所に集合です。興味のある方はぜひ来てください。山に登れる格好とおにぎり持参で来てください。

岡山人物銘々伝を語る会 和気清麻呂を語る

岡山人物銘々伝を語る会
6月例会は  久井勲さん  の「和気清麻呂」を現代的に説く
経済や政治的駆け引きの中での和気清麻呂像は、とても面白かったです。

宇佐八幡ご託宣事件の背景など・・・宇佐と大宰府の関係や、宇佐神官家内部での勢力関係の図式など、更に都での勢力関係の中での、ご託宣と清麻呂の動向は・・・フム!しかりと思うことあり。

その後の清麻呂はもっぱら土木工事に専念・・・大阪に残る清麻呂の土木工事の遺跡・・・失敗の遺跡もあり・・・・そこから平安京造営に携る経緯など、清麻呂の実像を良く知ることが出来ました。

皇統を守った人物ということだけが強調された戦前戦中、戦後の教育から抹殺されたかのごとき和気清麻呂で無く・・・・

作家としての視点がとてもユニークで・・・久井さんの金融マンとして経歴から見た清麻呂像も・・・実にユニークでした。

来月は私が「吉備の秦氏と岡山の人物」のテーマで語りますが、みんなに喜んでもらえる話が出来るかどうかいまから心配です。秦氏に詳しい佐藤さんや丸谷さんに来ていただく予定ですので、とにかく話が盛り上がるようにしたいと思っています。

次回は7月20日(金)18:00~県立図書館です。

2012年6月9日土曜日

和気清麻呂と秦氏

15日(金)午後6時から県立図書館で小説「和気清麻呂」の作者久井勲さんによる語る会が開かれます。 久井さんの本にも和気清麻呂と秦氏との関係が書かれていますが、15日にはそのあたりのことをお聞きしたいなと思っています。 平安京造営には秦氏の力が大きかったと言われます。 熊山遺跡にも和気氏と秦氏とのかかわりを見ることが出来ます。 宇佐八幡のご神託事件にも秦氏とのかかわりが伺われます。 和気氏と秦氏との密接な関係は何処からなのか?ぜひ知りたいと思っています。 15日 岡山人物銘々伝を語る会 ぜひご参加ください!

2012年6月6日水曜日

秦氏とは・・・高度技術集団且祭祀集団?

秦氏がいつどのようにやってきたのか? 残された記録としては古事記、日本書紀や新撰姓氏録にその記述があるのが主なもので応神天皇の時127県の民を弓月君が引き連れてきたことになっている。 応神天皇の実在年代がいつかはいくつかの説がある。またこのときに渡ってきたのがすべてかの疑問もある。 古代の半島と列島の状況から、朝鮮半島で3国、伽耶を含めれば4国の騒乱の時代、新羅が唐の力を借りて高句麗と百済を滅ぼす前の時代、特に伽耶が新羅に併合されてしまう時代であることは間違いない。 倭人伝で有名な三国志の魏志韓伝に面白い記述がある。辰韓(後の新羅)に住む人々は、土地の古老の言い伝えとして「かつて秦の時代、その労役を避けてやってきた。そのとき馬韓が馬韓の東の地を分けて住まわせたそれが我々である。」とある。さらに「辰韓を秦韓と呼ぶものがある」とあり。また、「辰韓には12国があり12国は辰王に服属しているが辰王には馬韓人がなった。」との記述もある。 馬韓は後の百済である。 以下続く・・ 7月20日(金)岡山人物銘々伝を語る会で「吉備の秦氏と岡山の人物」のテーマで語ります。 秦氏はその当時としても世界でもっとも最先端の技術集団であり、また宗教集団であったと言うのが私の説です。 それが今日の日本の文化と繁栄をもたらした原動力となったとみます。

2012年6月4日月曜日

6月30日一丁ぐろ古墳に

吉備歴史探訪会例会のご案内です 6月30日、総社市秦の一丁ぐろ古墳に行きます。 6月30日(土)10:00 サンピア駐車場の端の上り口のところに集合です。10~15分で登れます。 その後正木山のイワクラにも行く予定です。山歩きのできる格好でおにぎり持参で来てください。 八丁ぐろ古墳は4世紀前半に出来た吉備地方では最大級の前方後方墳だそうです。全長80メートル。 方墳は出雲で多く築造されていますので、出雲と吉備の関係を推察できます。 また4世紀はいわゆる倭国の大乱の時代です。この時代の吉備の有様を想像してみるのも良いかと思います。

和気清麻呂を語る

小説「和気清麻呂」の作者久井勲さんが和気清麻呂を語ります。 6月15日(金)午後6時から、岡山県立図書館2F 会費500円です。 主催は岡山人物銘々伝を語る会 久井さんは会の代表代行になっていただいています。 和気清麻呂は岡山県を代表する歴史上の人物です。 弓削の道鏡事件で宇佐八幡の御神託を奏上。大隅に左遷。その後復帰し桓武天皇の元で平安京の造営に貢献します。 現在和気町に在住の久井さん、和気清麻呂を小説化したことで有名で、和気町の町おこしにも参加しておられます。 参加希望の方は事務局山田まで(090-1033-3327)

2012年5月6日日曜日

理想と現実

理想と現実 よく言われることだが、歴史はわれわれに何を教えてくれているのか? 発展的歴史を見るとはっきりしている。理想を、あくまで現実に立脚して努力し実行して行ったところに発展がある。 理想主義は時として現実無視に走る傾向性がある。行き過ぎると理想を振りかざして血を流すこともある。こうなったら何が理想だ!ということになる。 大震災後、原発に対する対応などもそういう傾向があるのでは?そんな懸念を抱かざるをえない。

2012年4月28日土曜日

歴史の表で変革する人、裏で変革する人

歴史の表舞台で華々しく活躍する人があれば、人知れず、しかしその人がいなければ、歴史は変わらなかっただろうという人もいる。人にはそれぞれ使命がある。その使命をいかに自覚して生きるか。人の人生にとってそれが一番大切なことではないだろうか。歴史を研究してみるとそのことをとても強く感じる。

石上布都魂神社に行って来ました。

吉備歴史探訪会4月例会は、赤磐市布津美の石上布都魂神社に行きました。神社参拝後、宮司の物部忠三郎先生から神社の由緒についてお話しを伺いました。ここは、日本書記にあるように、ヤマタノオロチを退治したスサノウノミコトが大蛇を切った剣が奉納された記録にある由緒ある神社です。スサノウノミコトの息子であるニヒハヤヒノミコトが大和に登る途中立ち寄ったと言われていました。 山上のイワクラが元々本殿で、池田公が備前に来た時に本殿が寄進されたそうです。明治の時に本殿が火災にあい、その後現在地に本殿が移されたそうです。 お話しを伺ったあと、皆で山上の本宮、イワクラまで登りました。

2012年4月26日木曜日

岡山人物銘々伝を語る会、5月例会

岡山人物銘々伝を語る会 5月は、[歌舞伎に見る岡山]です。岡山は結構歌舞伎に縁がある。 5月18日金曜日午後6時から県立図書館の2階です。

岡山歴史研究会 30日午後

岡山歴史研究会の今年度の総会 30日の午後の予定 さん太ホールで、一般の人も参加出来るそうです。 午後5時まで 最後のプログラムは、山田方谷についてのパネルディスカッション、わが家も遠い一族なので、是非参加したいとと思う。

歴史の創造

過去の歴史を引き継ぎ、未来の歴史を創造する。今をどう生きるかということになる。世界は常に変化して来た。 唯物史観では、量から質への変化と言って、暴力革命を正当化したが、確かに、時代から時代への大きな変革というのはある。時としてそれは暴力的になるが、それは間違いである。 変化に対応することさえ出来れば、それは平和裏に移行される。そこに人間の叡智と努力があるかにかかっている。

2012年4月25日水曜日

文化は簡単には変わらない、しかし確実に変わっていく

文化と言うものは長い蓄積の歴史の上に成り立っている。人類歴史は文化の蓄積の歴史だった。
その蓄積なくして今の文化、我々の生活は無い。
そしてその文化と言うものは確実に変化していっている。時が過ぎていくように。
ほうっておいて出来るものではない。そこに人間主体の投入があるから、変化し、発展し、進化して行っている。
そこには異なる文化の和合や融合、また影響が大きく作用する。

技術文化、精神文化、芸術文化・・・いずれもそうであろう。
先日「人類の文化は未熟だ!」と言う話をお聞きした。
人類が奪い合ってきた歴史を終結させ、分かち合いの文化を創造していかなければならない。
これは全人類の共通のテーマである。数多くの宗教家、哲学者、政治指導者が真剣に考えてきた。
いまだ実現し切れていないテーマである。

戦後日本、高度経済成長で豊かさを享受してきた日本が、行き詰っている。
格差社会が拡大している。これをどう乗り切り、新しい文明、文化を創造していくか。
明確な回答が今求められている。

問題は何か?どうすれば良いのか?
間断なき努力がその道を開いていく。我もまた行く。

2012年4月22日日曜日

大和岩雄氏の本

大和岩雄(おおわいわお)氏の本を、岡山県立図書館から8冊ほど借りてきた。
新版古事記成立考、新版日本書紀成立考、十字架と渦巻き、邪馬台国は二ヵ所あった、他です。

大和氏の「秦氏の研究」は私も所蔵しているが、そのほかはなかなか手が出ない。結構高価な本が多いので・・・

さて、詳しくはなかなか読みきれいないので、大和氏のだけでも知っておきたいと思って読んでいる。
一つは「古事記偽書説」・・・・新版の「古事記成立考」には初版の「古事記成立考」への反論を一つ一つ取り上げて反論している。「古事記」特にその序文は平安初期に書かれたもの、との説はかなり説得力がある。
「天照大神と前方後円墳の謎」も面白い、そして「十字架と渦巻き」
地元岡山の、薬師寺真一氏の「楯築遺跡と卑弥呼の鬼道」と通じる内容がある。

「邪馬台国は二ヵ所あった」では、邪馬台国は機内と九州と二ヵ所あった。古代「倭」は連合国家体制でその中心に立ったのが巫女である、卑弥呼だった。と言う見解か?
注目するのは、大和氏の見解に、「吉備」の位置づけが明快であると言うことである。
考古学者の研究成果を高く評価しているのが注目される。近藤義郎教授の研究成果も評価。

古代祭祀の内容はまだ十分消化しきれないが、前方後円墳の成立とその意味するところ、世界の祭祀の形態との比較から、世界史的な立場からの日本国家の成立のルーツが明らかになるヒントがあると感じている。

世界人類の文明史的観点から、日本列島における国家成立と、その中でも「吉備」の占める役割がキーポイントである。

大和氏の見解からまた一つ、「吉備」の果たした役割が見えてきたし、今後の人類史における「日本」の役割がはっきりしてくるのではないか。

2012年4月17日火曜日

蘇我と物部は友好的だった?

関裕二氏の「蘇我氏の正体」と「物部氏の正体」並べてみると、関氏の見解は「蘇我と物部は友好的だった」というか同盟関係にあった。と言うことであろうか。

4月28日には久方ぶりに石上布都魂神社に探訪会のメンバーで行く予定だが、ここの神社に行って宮司の物部さんにお会いして初めてお話を伺った時に「どうして物部か?」という疑問であった。
宮司さんのお名前は、物部忠三郎さん。池田藩が備前に来た時に、由緒ある神社として、崇敬し、旧姓の物部を名乗るように言われたそうである。ということは古来この地が物部の地と言うことが伝承されてきたからであろう。
関裕二氏の説では、吉備=物部である。ところが、蘇我氏によって全国に屯倉が設置された時にいち早く設置されたのが吉備であり、吉備の児島であった。
それと、吉備と言うと「鉄産」の地のイメージだが、鉄産の神様である「姫社(ひめこそ)-天日矛の妻」(探訪会で行きました)は蘇我氏の先祖とも聞いている。
関氏の説では、出雲=蘇我であろうか?出雲と吉備が連合して大和(飛鳥)の王朝を作っていった。その後九州の「ヤマト」が征服主導権を握った。それがその後の藤原しであった。大まかに言えば、こんな図式か?
同盟関係にあった蘇我と物部を争わせ、その隙に政権を奪取したのが大化の改新であり、藤原氏の陰謀であり、「古事記」、「日本書紀」はそのような観点で藤原氏に都合の良いように書かれた。と言うことであろうか?
「吉備」を軸に古代史を考える、「吉備楽土」の考えと、おおよそ一致する。
池田光政は石上の物部の神社が備前第一の神社として一宮として崇敬したが、その理由は何だったのだろうか。戦国から江戸時代初期に至る、吉備~備前の歴史観の通説は何だったのだろうか?
備前の一宮はその後吉備津彦神社になって行った。岡山でも大半の人は備前の一宮とは吉備津彦神社と思い参拝している。

大化の改新以降、歴史的に葬り去られたかのごとき蘇我と物部・・・・・、「古事記」「日本書紀」を否定することは日本史全体を否定することにもなるので、それはしないが、少なくとも藤原氏が実権を握って・・・・平安末期、平家~源氏が実権を握っていく・・・・
それ以前の日本の国家形成における出雲と吉備・・・・・・「吉備」の古代の実像が「古事記」「日本書紀」にはほとんど伺われない。この事実と、蘇我と物部の歴史は深い関係があるのでは・・・・。


2012年4月11日水曜日

岡山人物銘々伝を語る会4月は[鶴見良憲]

岡山人物銘々伝を語る会
4月例会は 絹糸紡績の発展に貢献した[鶴見良憲]がテーマです。
日時は:4月20日(金)午後6時~8時
会場は:ゆうあいセンター(きらめきぷらざ2F)
講師は田中浩明さんです。
会費は500円です。
ご参加ください!

今後あるべき、経済社会政治体制は?

今ある、民主主義体制、市場経済社会、そして社会性のど数々・・・すべてが限界に来ている。今のままでいいものは何も無い。
今後21世紀以降の、経済社会政治体制はどうあるべきであって、またどのように変わっていくのか?
今時代の大変革期である。
万民が幸福な社会と言うのは一致している。しかしそれをどう実現していくのか、なぜそれがこれまで実現してこなかったのかを検証していかねばならない。
ある人は、「政府も要らない。金融機関、お金も要らない。」と言う。果たしてそうなのか?そうなのかもしれない?そうではないのかもしれない?

多数決原理による議会制民主主義がその限界にきていることは明らかである。
市場原理を中心とした自由主義経済も、格差社会や環境破壊など負の面がクローズアップされてきている。

この地球上に生きるすべての人びとが平等かつ幸福に豊かに暮らすすべはないのか?!
そのことがより前進化。発展化する方策はないのか?
そのことを過去から現在に至るまで、極めて多くの思想家や、宗教家やそしてあらゆる人びとが考え続けて本を書き、文章に表し、あるいはそれをそのごとくに実行しようとして、一部成功したものもあれば、まったく空想的だったものもある。

とにかく何かを決め付けて考えると言うのは良くない。間違いを犯しやすい。
諸悪の根源は資本主義体制だとして、資本化打倒といって、社会主義革命を行った共産主義・マルクス主義などはその失敗の典型であろう。
最近日本でも、なんでも規制緩和、自由化、民営化すれば良いといって政策が実行されたがその弊害が大きい。

事の問題は何か?
(つづく)

2012年4月7日土曜日

物部は吉備である。そして吉備歴史探訪会4月例会

吉備歴史探訪会4月は[石上布都魂神社]訪問予定
4月28日(土)現地10:00 宮司さんにお願いしてお話を伺います。
ここの宮司さんが物部忠三郎さん
ここの神社はスサノオの命がヤマタノオロチを退治した時使われた剣が納められたところと伝えられる神社である。

さて、「物部=吉備」説は最近歴史作家の関裕二氏の著作に詳しい。
私もかねてから大和の王朝は[吉備]がその成立に深く係わっている。それは物部の一族ではなかったか。との推論をしていたが、関裕二氏の論はそれとほぼ一致する。
出雲と吉備との関係。そして大和王朝の成立過程。
蘇我氏と物部氏の係わり。
このあたりを整理すると、[吉備]の姿がわかり。逆に日本の歴史、特に日本文化成立の過程が見えてくる。

2012年3月30日金曜日

永遠に語り告げられていくものもあれば、その時代、そのときに必要とされるものもある。


BOOKS吉備に投稿したが、・・・・

本にも・・・、永遠のベストセラーと言うものがあれば、一過的なベストセラーで終わるものもある。
時代と言うものは変化して行っている。そしてその中には変わるものと変わらないものとがある。
どちらが価値があるとかないとかということではない。いずれも必要だ!
その時代にあった、その時その場に必要なものもあれば、変わらない真理のように一貫して語り継げられるものもある。
どちらも必要!

宗教やいろんな企業や、団体もそうであろう。
特に宗教は、その開祖がその時代に必要な教えを説くことが多い。逆にその時代には受け入れられないが後の時代にその価値を発揮する場合もある。世界の主要宗教といったものはそうかもしれない。その代表格がイエスキリストかもしれない。
まあ、何処の宗教でも、自分のところの開祖が一番と言うだろうし、そう言わないと宗教団体は成り立たないだろうが・・・

さて、親鸞聖人は非常に聖徳太子を尊敬していたと言う・・・。これはある浄土真宗のお坊さんの書いた本の中にあったのだが・・・・、また法然上人はとても弘法大師を尊敬していて、讃岐に流された時、弘法大師の故郷に行けたと喜んで、善通寺に塔を寄進している。それを聞いた親鸞聖人は同じく善通寺にお堂を寄進している。
世界的にはマホメットは非常にイエス・キリストを尊敬していたと言う話である。聞いた話であるが・・イスラム教は偶像を排して、絵や像を廃棄したが、マホメットはイエスのイコンだけは廃棄させなかったという。
今では対立的な宗派のように思われているその各宗派の開祖たちは実は結構お互い尊敬しあっていて、共通の心の世界に生きていたのかもしれない。その後の継承者たちは、教団を守り拡大するために他の宗教を非難したり罵倒して宗教・宗派争いをしている。開祖の先生方がっかりしているのでは・・・とも思う。
人間の本質は永遠性を追求する。しかし人間は現実に生きている。このあたりにギャップが生まれる要因があるのか・・・?

2012年3月29日木曜日

分かち合いの文化

大震災の瓦礫を受け入れる、受け入れないといっているが・・・
日本には分かち合いの文化は無いのか。
喜びもそして苦しみも、ともに分かち合って生きていこうと言うのが日本人だったのではないのか。
権利ばかりが主張される時代になってしまっている。
筝曲家の大月宗明先生は、それを[格差の奴隷]だと言われる。
人が困っていれば・・恵んでやる・・・義捐金は恵んでやるが、傷みは分かたない
これってなんなんだ!
それに引き換え、天皇陛下が計画停電の時、皇居も電気を消して過ごされたと言うことを聞いて感動した。
本らに日本には分かち合う文化があったはずである。
それでこそ、世界から尊敬され、世界から崇敬され、頼りにされる日本になる。
本来日本にはそのような歴史的な使命があると思う。
それをどう回復していくのか・・・みんなの知恵を寄せ合って行こう。

2012年3月28日水曜日

宇喜多の別姓が秦だとすると・・・・


「黄蕨(きび)国と宝木伝説」 http://www.geocities.jp/ki_warabi/
を主宰しておられる丸谷氏の論文によると[宇喜多の本姓は”秦”」であるとのこと。

香川で歴史研究をしておられれる大井透氏からの情報として丸谷氏からいただいた情報です。

以下引用させていただきます。
2月23日に大井 透氏より秦氏関連の情報提供があった。吉備に多くの秦氏が入植していることからみて関係があると思いメールしました。

豊臣家の五大老の宇喜多家は本姓が秦氏です。この情報は観音寺じんねいん神恵院(香川県観音寺市八幡町1-2-7)に伝わる『弘化録』(弘化録 は、空、風、火、水、地の五巻からなり、同寺の第七十四代住職光遍法印が編集。703年(大宝三)から1845年(弘化二)までの寺歴や観音寺周辺の出来 事だけでなく、国家の歴史的な事象を歴代住職ごとにまとめている)に記載されています。この寺の別当には空海や足利尊氏の庶長子もおり、その為西讃では第 一の権勢を誇った寺社です。仙石秀久の讃岐侵攻の際、宇喜多一族は西讃地方で所領を与えられ「宇喜多」あるいは「浮田」と名乗り、大地主として農地解放ま で栄えていました。その宇喜多家の一人が江戸期に琴弾八幡宮(香川県観音寺市八幡町1-1-1)に奉納した際の名簿に載っているのです。ネットでは宇喜多 家は百済の末裔とか載っているのもありますが本当のところはよくわかりません。温羅も百済の王子という伝承も突厥の範疇の一部と理解できるのではないで しょうか。


宇喜多が秦氏とすると・・・・
児島高徳も秦氏・・・?
児島高徳が挙兵した熊山は有名な熊山遺跡の建造に秦氏が係わっていたことはすでによく知られている。そして児島高徳が船坂峠で戦って傷を負って治療のために匿われたのが坂越、ここの児島高徳の墓もある。坂越と言えば秦川勝が最後にたどり着き葬られた生島があり、大避神社がある。坂越は秦氏の故郷のようなところである。
吉備の秦氏と宇喜多家の血統的なつながりが明らかになれば、吉備の歴史の重要な部分がみな解けて来る。

[宇喜多騒動]というのがあった。家臣の中にキリシタンに改宗する者が出てきた。宇喜多秀家が重用した、長船紀伊守がその代表と言われれる。
日本にキリスト教を伝来したと教えられているフランシスコ・ザビエルの日記を見ると、日本人はすでにキリスト教伝来以前から、キリスト教と同じような信仰を持っていたことが伺われる。
秦氏=原始キリスト教徒あるいは景教徒との説がある。ケン・ジョセフ氏の[失われた十字架の国日本]などに明らかである。
丸谷氏は秦氏の元郷は中央アジア、シルクロードにあった弓月国であるとしているが、これは秦氏を率いてきたのが弓月王でるあるという日本書紀や新撰姓氏録に明らかである。
弓月国が原始キリスト教あるいは景教の国家であった可能性はきわめて高い。さらに魏志には秦始皇帝の時代に多くの難民が朝鮮半島南部に逃れ国を作ったとの記録がある。これが辰韓であり、新羅のもととなった。

秦氏の持つ宗教性から見ると、秦氏の少なくとも主力はユダヤ人原始キリスト教とであったとの推論はかなりの確立で正しいと言わざるを得ないであろう。

景教はネストリウス派とも言われ、一時はローマカソリックから異端視されキリスト教として扱われなかった時代があるが、近年和解した。
ある面、もっともキリストの教を忠実に受け継いだのが景教だったとも言われている。イエスの弟子の一人トマスがインドに宣教に行って殉教した話がケン・ジョセフ氏の本にもある。
そうすると、日本にはザビエルが日本にやってくるはるか以前、おおよそ2~3世紀ころには遅くも、その教が伝わっていたとしても間違いないであろう。
京都太秦の広隆寺も元は葛野にあって、それはまさに景教の寺院だったと言われている。秦川勝が側近を務めていたといわれる聖徳太子の伝説にキリストの誕生伝説に似通った話しが出てくるのも不思議ではない。

ザビエルが日本に来て、一挙にキリシタンに改宗したと言われるが、その土台がなければ何十万という人々が一挙に改宗などするはずが無い。それはその以前から名前やスタイルは違っていても同じ教えがこの日本に広まっていたからではないのか?
宇喜多が秦氏とすると、長船紀伊を始め家臣や領民の多くがすでにその以前から、キリストの教えに教化されていた人々であった。それは秦氏であった。と言うことになるのではないだろうか。

それではなぜ、日本は仏教国なのに?
それは、日本に伝わった仏教はすでにキリスト教と仏教が融合した形で伝わっていた。それは弥勒という形で・・・。それと徳川300年の鎖国政策とキリシタン禁教の中で、完全にキリストの教えの本質は外形が仏教や儒教と言う形の中に融合され、外形的なキリシタンと言うものが故意に抹殺され続けられて来た結果であろう。
幕末期から明治初めにかけての新興諸宗教が、その教えの内容に係わりなく神道の形を取らざるを得なかったように、日本に伝わったキリストの教えは仏教の衣を纏わざるを得なかったのである。

このあたりもう少し今後整理していきたい。


2012年3月24日土曜日

歴史研究会

24日(土)10:00~大元公民館(大元小学校南側)で吉備歴史探訪会の主催で歴史研究会です。
テーマは[吉備の秦氏とおかやまの人物]です。ご都合の付く方ご参加ください。

2012年3月22日木曜日

秦氏の精神性

秦氏の持つ精神性とは何か?
残念ながら、秦氏の精神性を如実に示す文献にはこれまでお目にかかっていない。
秦氏が、日本の文化・伝統に深くかかわり、特に宗教分野では、日本の宗教の大半に秦氏が関わってきたことが様々な記録や事実を通してわかるのだが、ある教え・思想・文献としては、少なくとも私は目にしていない。
大和和雄氏の[秦氏の研究]など、数多くの秦氏に関すると思われる書籍にも目を通してみたが、秦氏が創設したと見られる八幡宮、稲荷社、松尾大社、白山信仰や妙見信仰、その他数多くの神社仏閣の開基に秦氏がかかわったと見られる記録がある。
京都は太秦の広隆寺に残る日本の国宝第1号の弥勒菩薩造。日本に仏教・弥勒信仰をもたらしたのも秦氏といわれる。そして日本最大の教派となった浄土宗の開祖法然上人も秦氏の出身である。
最澄や空海と秦氏とのかかわり、讃岐の金比羅山も秦氏の開基と聞く。その他枚挙に暇がない。
景教研究所を創設した佐伯教授や、それを相続したケン・ジョセフ氏などは、秦氏は景教徒だったとの説を唱えておられる。これはある面納得がいく話だが、それはあくまで状況的な証拠が多く、秦氏が明確に原始キリスト教とであるとか景教徒であったということが証明され、日本の宗教史、あるいは精神史の定説にはなっていない。
果たして[秦氏とは]?、日本精神の根本は何処にあるのか?この当たりを明確に出来れば、日本の持つ本来の精神の復興や、その精神が世界の今後の発展につながるものとなるのではないだろうか。
[日本教]とは何か?かって山本七平氏がイザヤ・ベンダサンのペンネームで[ユダヤ人と日本人]というテーマで本を書き、[日本教]というテーマが話題になったことがあるが、日本教という教団や郷里書があるわけではない。
新渡戸稲造が[武士道]という本を書き、西洋で有名になり、日本語にも訳されて多くの人が呼んでいるが、武士道も特定の教理書があるわけではない。
前にあげた多くの神社などに行っても、秦氏の開基とはなっていても、そこには教理書のようなものは見受けれらない。
たとえばユダヤ教やキリスト教には聖書があり、イスラム教にはコーランがある。仏教にも仏典があり、中国思想には儒学書がある。ギリシャの哲学書も数多く残っている。
ところが神社には教理書がない。
このあたりをどのように理解し、解決するのか。[秦氏]研究の一番の課題のように思う。

2012年3月13日火曜日

吉備歴史研究会

吉備歴史探訪会の、研究会バージョン
「吉備歴史研究会」
3月24日(土)10時~12時 場所は大元公民館(大元小学校の隣です)
吉備の秦氏Ⅱとして学びます。
最新の情報なども含め、あらためて、「吉備」と「秦氏」の歴史を探ります。興味と関心のある方はご参加ください。参加費は資料代として500円です。

2012年2月16日木曜日

視点を拡大してみる

物事は何事も、視点を拡大して見る事である。 狭い地域や国、地球と言う範囲も超えてみることである。宇宙も越えてみる。時間も越えてみる。 今われわれは限定した価値観の中で生きている。たとえば歴史観などは、常に時の為政者に都合のいいように書き換えられて教えられ、それが当たり前のように思わされて、われわれも育ってきた。
今社会が抱えている問題、たとえば今日本は年金問題・・・税と福祉のいったい改革などといって・・政権政党といろいろ議論がされているが・・・問題は何か?どのように結論を出して行ったらいいのか?結局、政府与党、野党、関連する企業や団体、国民、マスコミ・・・みんな自分の思惑で動いている。
抜本的な改革をしなければならないと気が付いているのだけれど、それをやると自分たちに不利益があるのではないかと言う思惑が変革を遅らせている。そして問題をますます大きくさせていっている。
みんな自分と言うものに囚われているから。
問題は何か?視点を拡大すればするほど、却って見えてくるのは個別の問題である。置き去りにされ、放置されてきた問題である。社会の中で疎外されてきた問題である。結局それらの問題が、物事の進展を阻害し、解決をおくらせてきた問題がクローズアップされてくるのである。
具体程問題は引き続き投稿して行こう。

2012年2月15日水曜日

吉備歴史探訪会2月のご案内

2月の吉備歴史探訪会のご案内です。 テーマ:吉備の秦氏;備前の秦氏と備前の中枢部 日時:2月25日(土)市内高屋付近に集合 9:35幡多廃寺跡~国府市場(備前国府跡)~10:00備前国分寺跡・両宮山古墳~ 10:30赤磐市山陽歴史資料館(学芸員さんからお話を伺います)その後懇談~11:50解散 参加会費:500円(資料代など) 以上の予定です。何処からでも参加自由です。参加希望の方はキビラクドまでご連絡ください。

文化と風土

文化を生み出す風土が在る。 吉備の国文化は吉備の風土が生み出したとも言える。 気候温暖で、風光明媚な吉備の国はすべてのものを生み出す坩堝のようだ。 新しい種を培養する土壌のようでもある。 子供を育む女性の子宮のようでもあるかも知れない。 ユーラシア大陸の東の果てに位置する日本列島には世界のあらゆる文明が流れ流れてたどり着いた。 そしてこの列島の中で育まれ、醸成され、あるいは融合して行った。 この列島にはそんな力がある。そしてその中でも吉備の国を中心とした瀬戸内海こそ、その中心地だった。 産業、技術、宗教、文化のあらゆる部門で優秀な人材を排出した吉備の国はそのような風土に養われた地ではなかったか。 かってはすべての産業の基幹となる鉄産の中心地だった[吉備]、土木技術や織物、陶器の製造でも最も先進地だった。 そして精神文化でも数多くの宗教家、知識人、芸術家、文化人を輩出した。 長く政治や軍事の中心は奈良京都など機内や鎌倉、江戸、東京と関東が支配してきたが、相変わらず吉備の国には新しい文化創造の種を宿しているのではないか。 確かに現代の都、東京はその文化は華やかには見えるが本当の日本文化を継承してはいないような気がする。 新しい未来の世界を開く種は吉備の国にある。

2012年2月10日金曜日

最近、書き込みが少なくなっていました。FACEbookには結構投稿しているんですが、ーー努めてこちらも投稿して行きます。最近スマホ入れまして、今日はスマホからです。

2012年2月6日月曜日

岡山人物銘々伝を語る会 2月は「杉鮫太郎」

岡山人物銘々伝を語る会 2月は「杉鮫太郎」です。 代表代行 久井勲さんの1月例会の感想と2月案内です。  第66回(平成24年1月20日)の例会は、菱川克是さんと大濱文男さんに「出口日出麿」について語っていただきました。高見元男が、出口王仁三郎の娘直日と昭和3年に結婚して妻の姓となり、出口日出麿(ひでまる)と名乗ることになるわけですが、出口家と高見家、良家の家系図にさかのぼって大本教の依って来たるところをご説明いただきました。高見元男は倉敷出身で、六高、京大文学部で学びますが(大正13年退学)、大本教は大正10年と昭和10年に弾圧を受けています。教団として決して平坦ではない日々の中、満州・朝鮮を含む各地への精力的な布教で、多くの信者を獲得していきました。  大本教の「大本」とは、霊主体従の考え方で、世の中の“大本”を変えていくとの考えに基づくものであること、また大本教の方々には兵庫県綾部市に移住される方が多いこと、さらに合気道の始祖、植芝盛平翁やロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手も大本教の信者であることを知りました。 2月の例会は下記のとおりです。                                               記       日時:平成24年2月17日(金)※ 午後6~8時  (※通例は第3金曜日です)       場所:岡山県立図書館 2Fサークル活動室1     内容:「杉 鮫太郎」       講師: 竹原 省三 氏 (本会会員)       参加費:500円 杉鮫太郎について 斉藤茂吉の門下の俊逸の一人であって、愛称「杉鮫」と呼ばれていた。戦後の「アララギ」が土屋文明一辺倒の中、茂吉の系統は影を薄めてゆき、その 中で姿を消して行った。 岡山文庫の[岡山の鳥]の著者としても知られる。 連絡は吉備楽土 山田まで

2012年1月20日金曜日

岡山人物銘々伝を語る会 今日です そのほかお勧め講座など

今日午後6時から岡山県立図書館で「岡山人物銘々伝を語る会」の例会です。 今日は菱川克是さんが「出口日出麿」の話をします。大本教三代教主補として霊性に優れ、著書「生きがいの探求」は多くの人々に感銘を与えました。倉敷出身、六高時代は柔道部に所属していました。会費500円です。 明日は私が「吉備の秦氏と岡山の人物」のテーマで吉備歴史短法会の講座で話します。午後1時30分から平和大使会館です。 25日、岡山市民会館大ホールで、箏の演奏と大月宗明先生の講演があります。文化庁後援の中四国の文化ホールの職員研修での講演ですが、一般の人の参加も出来ます。午前10時からの予定です。箏の演奏は毎年グランプリ優勝を果たしている「佐竹真生子」さんの演奏などが予定されています。

2012年1月13日金曜日

田の口港

先日、県立図書館に貴重資料として、広重の「備前田ノ口」の絵が入ったとのニュースをお知らせしましたが、田の口に行く機会があったので鳥居と狛犬の写真を撮ってきました。
何気なくいつも通り過ぎている所ですが広重の絵を思い出すと往時の田の口の港の繁栄を偲ぶことができます。 狛犬の台座には明治時代に建てられた事がわかります。備前焼の立派な狛犬です.由加山の本殿前の狛犬も同じ様な備前焼の狛犬です。かってはここ田の口の港から金比羅参りを終えた参拝客が降り立って由加山へと登っていったんだなと思いをはせたしだいです。
今の田の口港です。はるかに瀬戸大橋 主役は取って代わられて・・・ 今はしなびた港町になった田の口ですが往時の繁栄を偲ぶのもいいものです。

岡山人物銘々伝を語る会1月例会ご案内

「岡山人物銘々伝を語る会」第66回例会のご案内                          代表世話人代行 久井 勲  第65回(平成23年12月16日)の例会は、近藤泰宏さんに「内村鑑三と美作聖人森本慶三」につ いて語っていただきました。いつもながら多方面にわたり、また人物の心の裡から掘り下げていくアプ ローチ方法に敬服します。津山に三度来た内村鑑三に師事し、資産家の跡取りという身分ながらキリス ト教の精神に打たれた森本慶三は、大正・昭和初期に津山基督教図書館や高校を設立しますが、その動 機は、師内村鑑三の“キリストの再臨”という考え方によるものではないか、と近藤さんは読み解いています。なるほどに、その「再臨」という考え方とその受容に抵抗する考え方は、20世紀の世界の思 潮だった時期があったと言えるでしょう。話を聴く我々にとって、内村鑑三も森本慶三の行動原理が、すんなりと理解できました。 1月の例会は下記のとおりです。                                               記    日時:平成24年1月20日(金)※ 午後6~8時  (※通例は第3金曜日です)    場所:岡山県立図書館 2Fサークル活動室1    内容:多くの著名人を感化した著書「生きがいの探求」-大本教第三代教主補-出口日出麿を語る       講師: 菱川 克是 氏  (本会会員)       参加費:500円 出口日出麿(でぐち ひでまる) 1897-1991 倉敷に生まれる。第6高等学校に入学、柔道部に所属。京都帝国大学文学部入学後大本教に入 る。霊的感性に優れ、出口王仁三郎に認められその娘、出口直日と結婚。直日が教主になると教主補となる。戦中、大本教が大弾圧を蒙 り、激しい拷問を受ける。戦後は/文化的活動に貢献す る。 26~27歳の時(大正12~13年)に書いたメモから抜粋された著書「生きがいの探求」三部作は昭和41年講談社から出版されベストセラーになり、多くの著名人がこの本に感化を受けた。ロス・オリンピック体操競技で個人総合 優勝の日体大・具志堅幸司選手は熱読者として有名。 かつらぎぼたえもん の筆名で多くの童話も執筆した。 なお1月12日(木)の山陽新聞情報ひろばにて案内予定です。お誘いあわせの上ご参加ください。

2012年1月1日日曜日

謹賀新年

瀬戸の日の出 鷲羽山より
  謹賀新年

本年もよろしくお願いいたします
吉備の国の歴史のルーツを尋ねて、昨年はとても貴重な情報や知識を得ることができました。
「秦氏」が重要なキーワードで、様々な疑問や問題点が解かれていった年でした。
今年はさらにそれを深化させていきたいと思っています。秦氏だけでなく、そこにかかわる物部氏や蘇我氏の歴史も絡んできます。
そのようなベースの上で吉備からの文化の発信を取り組んで行きたいと考えています。
日本人の精神のルーツは何処にあるのか?そして技術や芸能の分野でそれがどのように形あるものとして結実してきたのか?政治や現実の経済の面でも画期的な提案が吉備の国から出てきてしかるべきではと思っています。
話は一見膨大なようですが、今年は辰年、飛躍を準備する雌伏の年でもあるかもしれません。じっくり内容を形成する年でもあるようです。
体は一つ、何処まで出来るか?
たくさんの皆さんの知恵や力もお借りしながら進めていこうと思っています。

「吉備楽土」実現に向かって・・・・