このブログを検索

2012年3月22日木曜日

秦氏の精神性

秦氏の持つ精神性とは何か?
残念ながら、秦氏の精神性を如実に示す文献にはこれまでお目にかかっていない。
秦氏が、日本の文化・伝統に深くかかわり、特に宗教分野では、日本の宗教の大半に秦氏が関わってきたことが様々な記録や事実を通してわかるのだが、ある教え・思想・文献としては、少なくとも私は目にしていない。
大和和雄氏の[秦氏の研究]など、数多くの秦氏に関すると思われる書籍にも目を通してみたが、秦氏が創設したと見られる八幡宮、稲荷社、松尾大社、白山信仰や妙見信仰、その他数多くの神社仏閣の開基に秦氏がかかわったと見られる記録がある。
京都は太秦の広隆寺に残る日本の国宝第1号の弥勒菩薩造。日本に仏教・弥勒信仰をもたらしたのも秦氏といわれる。そして日本最大の教派となった浄土宗の開祖法然上人も秦氏の出身である。
最澄や空海と秦氏とのかかわり、讃岐の金比羅山も秦氏の開基と聞く。その他枚挙に暇がない。
景教研究所を創設した佐伯教授や、それを相続したケン・ジョセフ氏などは、秦氏は景教徒だったとの説を唱えておられる。これはある面納得がいく話だが、それはあくまで状況的な証拠が多く、秦氏が明確に原始キリスト教とであるとか景教徒であったということが証明され、日本の宗教史、あるいは精神史の定説にはなっていない。
果たして[秦氏とは]?、日本精神の根本は何処にあるのか?この当たりを明確に出来れば、日本の持つ本来の精神の復興や、その精神が世界の今後の発展につながるものとなるのではないだろうか。
[日本教]とは何か?かって山本七平氏がイザヤ・ベンダサンのペンネームで[ユダヤ人と日本人]というテーマで本を書き、[日本教]というテーマが話題になったことがあるが、日本教という教団や郷里書があるわけではない。
新渡戸稲造が[武士道]という本を書き、西洋で有名になり、日本語にも訳されて多くの人が呼んでいるが、武士道も特定の教理書があるわけではない。
前にあげた多くの神社などに行っても、秦氏の開基とはなっていても、そこには教理書のようなものは見受けれらない。
たとえばユダヤ教やキリスト教には聖書があり、イスラム教にはコーランがある。仏教にも仏典があり、中国思想には儒学書がある。ギリシャの哲学書も数多く残っている。
ところが神社には教理書がない。
このあたりをどのように理解し、解決するのか。[秦氏]研究の一番の課題のように思う。

0 件のコメント: