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2014年10月4日土曜日

岡山人物銘々伝を語る会第99回例会ご案内

 岡山人物銘々伝を語る会の例会ご案内です

参加希望はこちらまで メールください。(担当:山田)



                               平成26105

「岡山人物銘々伝を語る会」第99回例会のご案内                          
                              世話人代行  久井 勲
9月の第98回例会は、岡山歴史研究会会長、宇喜多史談会理事の天野勝昭さんに「宇喜多家の
人々」について話していただきました。宇喜多家は、岡山の歴史の諸相に登場してくるわけで、その
つど参照しなければならない歴史人物です。当会で“語る”うえでもよく引用・確認しなければ
ならないところ、豊富かつ分かりやすい形の資料をご用意いただけたことは大助かりです。それに
しても宇喜多家は、時代が戦国時代という、立場が変われば、また戦時局面が変われば行動原理が
めまぐるしく変わるという状況の中ですから、歴史評価もいろいろのあるようです。例会では、その
中でも、最後の貴公子、宇喜多秀家のこと、そして妻豪姫、さらに豪姫の実家加賀前田家の姿勢と
いったことどもにも話が及びました。この点は宇喜多史談会の方たちもお見えだったことから話が
大いに弾みました。“銘々伝を語る会”として本来の目的にかなった形で、また部屋が“満員御礼”
となるほどに皆さんのご意見を語っていただけた点が、まことにうれしかったです。
お話しいただいたこと以外に、岡山城築城400年関連事業、山城関連年表宇喜多同族会
記事、宇喜多家略系図等もご用意いただき、今後の当会としてもありがたく存じます。天野勝昭さん
に感謝いたします。

  第99回 10月例会ご案内 
以下の予定で10月例会を開催いたします。ご参加お待ちしています。参加お申し込みください。
                      記
     日時:  平成261017() 午後68  第3金曜日(※通例は第3金曜日です)
     場所:  岡山県立図書館 2階  第2サークル活動室 (9月と同じ第2です。)
     内容: 「妹尾兼康を読む」   講師:妹尾 次男  妹尾・箕島を語る会事務局長
    参加費: 500
  【10月例会】 テーマ:妹尾兼康を読む」
 妹尾兼康というと平家方で戦った武勇に優れた侍として有名で様々な歴史物語にも登場して、その名を知らないものはないであろう。しかし、その実像はあまり知られていない。特に地元岡山では歴史的資料に接することも少ない。そのような中、岡山県の歴史資料館に保存された資料の中から妹尾兼康に関する資料を見つけ、さらにその資料を自ら解読したのが、今回講師を勤められる妹尾次男さんです。妹尾さんご自身が妹尾一族の末裔であり。今はゆかりのある妹尾に在住。地域の歴史愛好家の皆さんと交流を深めている。今回は、その妹尾次男さんに「妹尾兼康を読む」と題して語っていただく。


山陽新聞情報ひろばにて案内予定です。(10日木曜日掲載予定)お誘いあわせの上ご参加ください。

2014年9月14日日曜日

秦氏を考える

最近、読み始めた「続 秦氏の研究」大和岩雄氏の著作、先の「秦氏の研究」に続く大著である。
  今回の著作で、大和氏は秦人・秦の民について、その技術、芸能、巫覡の技に着目、秦の指導者層である「秦氏」よりも秦氏人引き連れられて来た人民のj実像を記述している。
  華やかな表舞台に登場する秦氏の指導者より、人民に着目することで、より秦氏全体の実像を知ることができる。大和岩雄氏はあとがきの中で自らを85歳の老人と記している。渾身の力で書かれた本著は、日本における秦氏研究に多大な貢献をする著作となるであろう。
  正史の中では何故か無視され河内の秦の民の話から始めて、鍛冶の技術集団としての秦の民、古代祭祀から、八幡、稲荷、白山信仰に深く関わり、和気清麻呂や空海との関わりなど詳しく著述している。
  秦氏の実像を知る上で必読と思う。

2014年9月11日木曜日

岡山人物銘々伝を語る会第98回例会

岡山人物銘々伝を語る会第98回例会のご案内です。
代表代行の久井勲さんの先回例会のまとめとご案内です。
皆様の参加お待ち致します。
参加希望は山田まで または
okayamajinbutsu@gmail.com

                               

「岡山人物銘々伝を語る会」第98回例会のご案内                          
                              世話人代行  久井 勲
8月の第97回例会は、大濱文男さんに「古川古松軒」について話していただきました。古松軒の花咲いた時期は主に寛政期。地理学という、地味ながら時代はその充実を待っていた研究分野で、
   丹念に丁寧に記録を重ねていく姿は、やがて松平定信にまで聞こえるようになりました。“地理学”
といっても、地理・測量面といった客観的な事柄にとどまらず、今日でいう地誌・生活・地政・生業
といった人間的な事柄についても、几帳面に現地・実検主義で調査記録する“メモ魔”であったよう。
の描いた「備中国加夜郡高松城水攻地理之図」により羽柴秀吉の水攻め堤防が実際は300メート
ル程度であったことが最近裏付けられたようで、現代においても新たな驚きをもたらしてくれていま
す。主著の「西遊雑記」、「東遊雑記」のうち、「東遊雑記」はすでに東洋文庫で刊行されているよう
で、これを読んでみたい気になりました。想像するに、当地の人間生活的な面の記述がきっと面白いでしょう。地理といえば伊能忠敬というイメージが強いですが、なかなか別角度から面白い地理学者が岡山にいたことを紹介して下さった大濱文男さんに感謝いたします。

  9月の例会ご案内 
以下の予定で9月例会を開催いたします。ご参加お待ちしています。参加お申し込みください。
                      記
     日時:  平成26919() 午後68  第3金曜日(※通例は第3金曜日です)
     場所:  岡山県立図書館 2階 サークル活動室 

     内容: 「岡山城築城400」   講師: 岡山歴史研究会会長 天野勝昭 氏    
      参加費:700円 (資料代込)


  【9月例会】 テーマ:宇喜多家の人々
当日使用のレジメから 豊富な資料とともにお話していただきます 
1.岡山城築城400年関連事業から
1)宇喜多家を本格的にクローズアップ 
岡山城築城400年関連事業推進協議会設立趣意書と名誉顧問・参与 岡山市東京事務所ホームページより
2)岡山城関連年表  戦国時代から明治時代へ(歴代城主 築城史 城下町形成史 干拓史など)
3)宇喜多同族会  新聞記事(南海タイムス 読売新聞) 宇喜多直系15代宇喜多秀臣氏と宇喜多同族会事務局長高山友禅氏の寄稿文
4)矢野家と平野家  宇喜多秀家公と矢野家  関ヶ原合戦地と矢野家訪問について寄稿文
  宇喜多秀家公と平野屋敷
5)前田家、池田家  山陽新聞「一日一題」と関ヶ原関係地図及び関係資料
2.宇喜多家の系図から
1)宇喜多家略系図と三代年譜
2)三代秘話展(能家 直家 秀家)
3)系図表(宇喜多同族会関係者作成による当代まで)
  宇喜多七家と村田道珍斎関係の詳細な系図)
3.宇喜多家史談会会報から
1)掘り起こされた人物 ア宇喜多キリシタン(宇喜多同族会事務局長高山友禅氏の起稿文
 イ豪姫と謎のふり姫(宇喜多家史談会会長柴田一氏の寄稿文)
2)宇喜多家と光珍寺(宇喜多家史談会事務局長石渡隆純住職の寄稿文)

2014年8月13日水曜日

第97回岡山人物銘々伝を語る会

第97回 8月例会ご案内 
以下の予定で8月例会を開催いたします。ご参加お待ちしています。参加お申し込みください。
                      記
     日時:  平成261() 午後68  第3金曜日(※通例は第3金曜日です)
     場所:  岡山県立図書館 2階 サークル活動室 
     内容: 「古川古松軒   講師: 大濱文男     参加費:500円 
  【8月例会】 テーマ:古川古松軒 
 江戸中期の地理学者。備中国下道郡新本村(現総社市)に生まれる。各地を旅行し治世繁盛人情風俗を調べた。山陽路から九州を巡行し「西遊雑記」を著す。幕府巡見使随行、奥羽から松前付近の蝦夷地まで巡行し「東遊雑記」を著す。松平定信に献じた。定信の命により武蔵国の地理を調べ「四神地名録」をまとめる。

明治4年に山陽新報が募った岡山県十傑投票では奇傑部門の首位に選ばれている。最近大河ドラマの黒田官兵衛では高松城の水攻めが取り上げられたが、古川古松軒の描いた「備中国加夜郡高松城水攻地理之図」(県立図書館に所蔵中)により水攻め堤防が300メートル程度であったことを裏付けられた。真面目な地理学者として現地を訪れ人情や風土を文章や絵にしたためた。今もその洞察力が各地で注目されている。 

山田までお申し込みください

吉備歴史探訪会8月例会

吉備歴史探訪会
8月例会
歴史を学ぶ・・・講座と懇談  
テーマ:「美作の人と歴史」Ⅱ
講師:近藤泰宏氏 津山歴史人物研究会

六月の例会は津山歴史人物研究会の近藤さんに「美作の人と歴史」について話していただきましたが、今月はその続きとしてその続編として法然上人の家系の秘密などさらに掘り下げて話をしていただきます。

日時:823日(土)午前9時30分~12時
場所:ゆうあいセンター(北区南方 きらめきプラザ~もとの国立病院2F
参加費:300円(資料代)

○参加及び案内希望の方は山田まで
携帯:090-1033-3327

メールは こちらに

2014年6月19日木曜日

岡山人物銘々伝を語る会6月は棟方志功について~

 今月の岡山人物銘々伝を語る会例会は津山歴史人物研究会の近藤泰弘さんの講座です。
皆様の参加お待ちしています。


日時:  平成26620() 午後68  第3金曜日(※通例は第3金曜日です)
     場所:  岡山県立図書館 2階 サークル活動室 第2(いつもの部屋の隣です)
     内容: 「棟方志功と民藝と岡山の人々
講師: 近藤泰宏氏
     参加費:500円 
  【4月例会】 テーマ:「棟方志功と民藝と岡山の人々」 
          講師:近藤泰宏氏
~志功は倉敷、津山、高梁にも来ていた。
志功の作品(板画)、「釈迦十大弟子」「不動像」「華厳譜」に関する話と、志功の仲間たち(柳宗悦、大原孫三郎・総一郎父子、柳井道弘、津山の女など)及び志功の美について本人の文章をたどりながら見ていきます。

 

2014年5月21日水曜日

吉備歴史探訪会5月24日総社市秦に

恒例の吉備歴史探訪会5月例会は総社市秦を訪ねます。
今回は総社市秦の史跡巡りです
今回は地元の総社市秦の秦歴史遺産保存協議会の板野忠司会長に秦の遺跡をご案内いただくことになりました。

5月24日(土)10:00 総社市秦のサントピアから、正木山、一丁グロ古墳に登る登り口に集合です。
三角神獣鏡の出土した所や未発掘の古墳などご案内いただく予定です。
私もこのブログで度々取り上げている「秦氏」の故郷とも言える秦の数々の遺跡の保存に務められておられるのが秦遺跡保存協議会です。翌25日には総会を控えた忙しい中にも関わらず時間をとってくださることになりました。
参加希望の方はご連絡ください。

「池田忠雄と石」岡山人物銘々伝を語る会~杉嘉夫さんが講座

5月16日、岡山県立図書館で、岡山人物銘々伝を語る会の例会でした。
杉嘉夫さんの話、面白かったです。
備前岡山藩藩祖は池田光政になっていますが、その前、鳥取池田家とのお国替えの前が池田忠雄(ただかつ)です。池田忠雄は母親が徳川家康の次女督姫(本名富子)です。督姫は元は北条氏の五代氏直に嫁いだが北条氏が滅ぶことで生家に戻っていたところ三河吉田城主池田輝政に嫁いだ、30歳の時である。池田輝政は関ヶ原の戦いの戦功から播州姫路52万石の城主となり、先妻の子利隆が世継ぎとなった。その後岡山藩主小早川秀秋の死亡により督姫の子次男忠継が岡山城主に、三男忠雄が淡路由良藩城主になる。(伝説の毒饅頭事件で)忠継、利隆が相次いで死亡、忠雄が岡山城主になった。
その池田忠雄が担当大名として築いたのが大阪城の桜門の蛸石ほかの巨石である。
なんと大阪城巨石十傑のうち7つまでが池田忠雄の担当した石垣石だった。・・他に京橋門の肥後石、桜門の振袖石など~。
岡山城にも巨石の石垣を作っています。岡山での忠雄の業績としては御野郡南部の大規模干拓や西川の開削などがあります。
さて、忠雄の嫡子勝五郎(光仲)の誕生の祝宴の行われていた夜、臣下の渡辺数馬のの弟源大夫が河合又五郎に切り殺され、又五郎は江戸に逃れて旗本安藤治左衛門を頼って行った。引渡しを求めるが治左衛門は旗本の応援を得て引き渡さず、伊達家の応援を得た忠雄と対立、大久保彦左衛門が調停に入るが治まらず、旗本と外様大名の対立の様相となった。
さて、忠雄は31歳の若さで亡くなって、その遺言が「死後の読経はやめて河合又五郎の首を墓前に供えよ」というものだった。そうして池田家の墓所龍峰寺に作られた墓がまた巨大な石の墓、その後の鳥取の池田家とのお国替え後も墓の移設はせず鳥取池田家から多くの鳥取池田家から墓守に来ていたそうです。
そして今回の話の最後は忠雄の遺言による仇討。渡辺数馬は光仲の鳥取移封について鳥取にには行かず、大和郡山藩に仕えていた姉婿の荒木又右衛門の加勢を得て仇討の旅に登った。訪ねて2年目、伊賀上野の鍵屋の辻で待ち伏せした数馬と又右衛門はついに又五郎を捉え仇討を果たします。
歌舞伎や講談、浪曲にも取り上げられた仇討話、最後は歌舞伎好きでもある杉さんの真骨頂の話でした。
とかく岡山藩というと名君池田光政やその後の治世のことが取り上げられるが、鳥取と岡山の池田家の移封前の池田家の出来事にとても興味を持たされました。楽しく面白い時間でした。杉さんありがとうございました。
杉さんは自衛隊退官後、後楽園や岡山城のボランティアガイドとしてご活躍中です。これまで池田光政の東部籠城作戦や、池田綱政と後楽園など池田家に因む話題の講座を開いてくれました。また次回に期待したいです。(山田)


2014年5月1日木曜日

岡山歴史研究会総会開催

4月29日、さん太ホールにて岡山歴史研究会の総会が開催されました。

岡山歴史研究会総会

天野会長の挨拶中です。
今日の講師、黒田美江子さんです。「黒田官兵衛」大河ドラマ決定までの苦労話、最初はNHKも「黒田官兵衛、地味ですねぇ」と言われたそうです。大河ドラマで取り上げられるに至った経過は「山田方谷」の大河ドラマ化に取り組む岡山歴史研究会の面々にもとても参考になる話でした。
戦後日本の教育から「歴史」が取り上げられて来た。宗教と地図と歴史が日本の国の教育から取り除かれて来た~と、歴史を学ぶことの大切さを話されながら、黒田官兵衛の生き様を熱く語っていただきました。
黒田さんの話はとてもわかりやすく、時代背景も含めて、官兵衛の凄さ、素晴らしさをあらためて時間させられる話でした。

ネルディスカッションです。竹本弘子さんの荒木村重の話では、荒木村重に対する見方がかわりました。民と文化を大切にした荒木村重。命を大切に思ったのは官兵衛と通じる。共通する精神を持っていたのではと思わされました。
引き続き総社市商工会議所の清水男さん、清水さんは備中高松城主清水宗治一族の子孫であられます。黒田官兵衛の大河ドラマ化に高松城の水攻めが大きく関わっているっことから高松城跡に関わるイベントの紹介や清水宗治の人物像の紹介がありました。
最後は備前福岡のボランティアガイドをされている松尾昭男さんで、備前高松と黒田家との関わりや、備前福岡の歴史や位置づけをわかりやすくお話いただきました。
いずれも有意義な話であっという間に時間がすぎてしまいました。

2014年4月23日水曜日

黒住教教祖「黒住宗忠」の生涯に深い感銘

18日は岡山人物銘々伝を語る会の4月例会でした。
今回は黒住教教祖「黒住宗忠を語る」と題して、黒住教教学局学院長の黒住信彰先生にお願いして話をしていただきました。
 黒住教は身近ですし、日頃から近所にある宗忠神社にも参拝させていただき、時折教祖伝なども目に触れさせていただいていましたので、おおよその生涯や教えの一端は聞いていましたが、今回黒住先生のお話を聞いてあらためてその偉大さを実感させていただきました。

宗忠教祖はいかに親孝行だったか~雨の日に父母が、下駄と草履と別々のアドバイスをくれた少年宗忠が、思案のあげく下駄と草履を両方の足に履いて転んだという逸話は有名ですが、何よりその背景にある親子の情の深さを信彰先生より伺い、納得することができました。

親孝行が「こうでなければならない」という、戒律的なものではなく、何より親子の情に根ざしたものであることを実感いたしました。特にお母さんの情愛の深さをとても実感させられて、家庭における母親の大切さをあらためて思い知らされました。

両親が急な病で次々と亡くなって、「立派な日本一の神主になって喜んでもらおうと思って修行していたすべての希望が潰えて、失望のどん底に陥りもはや命もここまでという時に、深い悟りの境地に至ります。
自らが心を暗くして命まで失うようなことは決して親の喜ぶことではない。そう気づいて太陽を拝しつつ、自らの心境を明るく切り開いていった時に、最高最大の神様の本体とも言うべき存在との感動的な出会いに、立教の出発があったのです。

初めから病気を治したり、様々なお陰をもたらす権能を求めたわけではありませんでした。本当に謙虚にただひたすら神様の心と一つになりたいと一心に修行した結果が、そのような権能も持つように至らしめたのです。

別のところで述べましたが「神様の開運を祈る」という境地にまで至ったことはとてもすごいことだと思いました。
黒住教の教会をおとづれた時の何とも言えない家族的な空気の元はこの教祖の祈りと精進の結実が受け継がれているのだなあ!と実感した次第です。

「続・太陽の神人黒住宗忠」著:山田雅晴 の中には黒住宗忠の法然上人やイエス・キリスト、王陽明等との共通性が紹介されています。本当の神様との一体化の境地を実感された方だなあとの印象でした。

上述の本には黒住宗忠を生み出した吉備の風土についても触れられています。
元伊勢神社や吉備の中山の岩倉に見る信仰のルーツなど、ここ「吉備楽土」のテーマに結びつく内容も紹介されていました。


黒住の教えは日本の宗教史上、とてつもなく大きな役割を果たした教えであると実感させられました。

私なりにこのあたり、もう少し整理して見たいと思っています。

人物伝、来月は杉嘉夫さんによる「池田忠雄と石」です。
来月も来場よろしくお願いいたします。
5月例会 
5月16日(金)18:00~県立図書館の予定です。

2014年4月17日木曜日

26日の訪問予定~寒風陶芸会館

26日最後に行く予定が寒風(さぶかぜ)陶芸会館です。

寒風陶芸会館に歴史探訪会の下見で、行きました。ここは備前焼のルーツ・国の史跡に指定されている須恵器の窯跡があります。館長さんに色々教えていただきました。
4世紀頃半島(伽羅)から渡来の技術者達によって始まった須恵器は高度な技術で、国内でも有数の焼き物の生産地になって行きました。錦海湾を望む風光明媚な丘の上、26日、天気が良ければ、外でお弁当でも頂きたいと思っています。

吉備歴史探訪会26日史跡めぐり

4月26日吉備歴史探訪会の例会です。訪問予定の一ヶ所門田貝塚遺跡です。

今回は先回講師をしていただいた金谷さんのご案内で浦間茶臼山古墳や門田貝塚遺跡、寒風陶芸会館に行きます。

以下、私のFBより転載
行って見たい遺跡100選に選ばれたという門田遺跡です。(瀬戸内市)
昨日は26日土曜日の吉備歴史探訪会の史跡巡りの下見に代表の狩谷さん、講師の金谷さんと共に出かけました。
26日は9:30平島ゆめタウン東側駐車場集合、金谷さんの案内で、浦間茶臼山古墳→花光寺山古墳→門田貝塚遺跡公園→寒風陶芸会館(備前焼のルーツ・須恵器の里)の予定です。(弁当各自持参)参加希望がありましたら連絡ください。

岡山人物銘々伝を語る会~明日です

明日18日金曜日18:00~20:00 県立図書館で岡山人物銘々伝を語る会です
明日のテーマは黒住教教祖の「黒住宗忠」
講師は黒住信彰さんです。

親孝行で有名だった黒住教の教祖さん
小さなころ、両親の言いつけを正しく守ろうとしてこけた話など逸話がいっぱいです。
両親思いが嵩じて病になり、そこから心持を変えることの大切さを悟り、自らの体験をもとに多くの人々の心を明るい正しい心に向けさせることで、多くの人々の悩みや苦しみ心身の病も救っていきました。その歩まれた生涯は貴重なものです。
今でも多くの方が参拝に訪れます。

今回は黒住教教祖黒住宗忠さんの人となりを黒住教教学局の学長を勤めておれらる黒住信彰先生に語っていただきます。
とても人柄のいい先生で、教祖様の雰囲気を感じさせられます。

楽しみです。
明日です。参加希望の方は
090-1033-3327 (山田)に電話ください。こちらにメールでも良いです


2014年4月11日金曜日

岡山歴史研究会総会

5月29日(火)の祝日に岡山歴史研究会の総会が、さん太ホールで開かれます。
13:30開会 受付は12:30より

今年は NHK大河ドラマ【黒田官兵衛】に学ぶ
基調講演に「軍師官兵衛」と題して黒田美江子さんの話があります。
その後、パネルディスカッション「大河ドラマ黒田官兵衛から」です。

参加費は資料代500円 誰でも参加できます。

参加申し込みは
岡山歴史研究会事務局 山本さんに

fax086-287-6226
携帯 090-4576-6955
Email

吉備楽土(山田)で見たとお伝えください。

2014年4月5日土曜日

岡山人物銘々伝を語る会~こちらも4月案内です。4月は黒住教教祖「黒住宗忠を語る」です。ご参加ください。

岡山人物銘々伝を語る会第94回 4月例会のご案内


 岡山人物銘々伝を語る会ではこれまで郷土の歴史上の人物の伝記を語る会を毎月開催してきました。以下の要領で4月例会を開催いたします。どなたでも参加出来ます。参加ご希望の方は事務局までお申し込みください。
 幕末~明治の新宗教の中でも最も代表的教団として 発展したのが黒住教です。階級や立場に分け隔てなく教えを説いた教祖の教えは黒住教信徒でなくとも親しみを感じ、地元岡山でも郷土を代表 する偉人として尊敬されています。1814年の冬至の日に開教のきっかけになった霊的体験を教祖がしてからちょうど今年が200年になり ます。今回は郷土を代表する偉人として教祖の生涯を学んで行きたいと思います。


以下の予定で開催いたします。ご参加お待ちしています。参加お申し込みください。
             記
 日時:  平成26418()※ 午後68時  3金曜日(※通例は第3金曜日です)
 場所:  岡 山県立図書館 2階 サークル活動室  
  内容: 「黒住宗忠を語る
 講師: 黒住教教学局学院長 黒住 信彰氏
  参加費:1000円 
    テーマ:黒住宗忠について
岡山は数多くの宗教家を輩出していますが、その中でも代表的な一人が黒住教教祖黒住宗忠です。
 黒住宗忠は安永9年(1780)今村宮禰宜の家に生まれました。幼い頃から親孝行で有名で、藩か らも表彰されるほどでした。
 ところが23歳の時、母そして父までが病に倒れ、必死の看病にもかか わらず相次いで亡くなってします。敬慕する両親を失った悲しみから極度の神経衰弱に陥り結核をも患い、もはや命も無いかと思われました が、文化11(1814)冬至の朝、太陽を浴びる中に忽然と天照太神と一体となる霊的体験を します(天命直受)。その日から病気もみるみる回復し、その体験を人々に語るうちに、人々も感動を受け、病気や悩みを持った人々など数しれず救われていきました。生涯、教えを述べながら嘉永3年(1850)昇天、享年71歳でした。
 その後その教えはその弟子たちによって広められ、とりわ け京では皇室や公家の信仰が篤く、吉田神道の地、神楽岡に宗忠神社が創建され、孝明天皇の勅願所にもなっていきました。


連絡先  「岡山人物銘々伝を語る会」事務局



山田良三 〒703-8225 岡山市中区神下341



TELFAX086-806-2525   090-1033-3327(山田携帯)




岡山人物銘々伝を語る会3月まとめと4月案内

「岡山人物銘々伝を語る会」第94回例会のご案内
                             
93回(312日)の例会は、代表の黒田照市さんが「黒田官兵衛を語る」でした。黒田官兵衛は今年の大河ドラマ、注目の人物です。岡山では黒田家ゆかりの備前福岡や、水責めの高松城址に注目が集まっています。今回は黒田さんが、①有岡城に説得に行くも捕縛投獄されその開放まで ②高松城水責め ③小田原城にて北条父子との直談判 この三つのテーマに絞って逸話を語ってくれました。最後はお馴染みの黒田節成立の一節を諳んじてくれました。さすが長年の経験、見事なものでした。
今回は備前福岡でボランティアガイドをしている松尾昭男さんも来られ、大河ドラマが始まって例年考えられないほどの見学客が殺到しているとのお話でした。また今回は直接お話はいただけませんでしたが、岡山歴史研究会の天野会長より提供していただいた黒田家播磨起源説の資料も全員に配布させていただきました。今回黒田官兵衛がテーマということで来られた方も多くいろいろ質疑応答して終えました。
(山田)
 月の例会ご案内 
以下の予定で4月例会を開催いたします。ご参加お待ちしています。参加お申し込みください。
             記
     日時:  平成26418() 午後68  3金曜日(※通例は第3金曜日です)
     場所:  岡山県立図書館 2階 サークル活動室 
     内容: 「黒住宗忠を語る
講師: 黒住教教学局学院長 黒住信彰氏
     参加費:1000円 
  【4月例会】 テーマ:黒住宗忠
岡山は数多くの宗教家を輩出していますが、その中でも代表的な一人が黒住教教祖黒住宗忠です。
 黒住宗忠は安永9年(1780)今村宮禰宜の家に生まれました。幼い頃から親孝行で有名で、藩からも表彰されるほどでした。ところが23歳の時、母そして父までが急な腹痛で病に倒れ、必死の看病にもかかわらず相次いで亡くなってします。相次いで両親を失った悲しみから極度の神経衰弱に陥り結核をも患い、もはや命も無いかと思われましたが、文化11(1814)冬至の朝、太陽を浴びる中に忽然と天照太神と一体となる霊的体験をします。(天命直受)その日から病気もみるみる回復、その後その体験を人々に語りながら病気や悩みを持った人々を数しれず救済していきました。生涯、教えを述べながら嘉永3年(1850)昇天、享年71歳でした。その後その教えはその弟子たちによって広められ、とりわけ京では皇室や公家の信仰が篤く、吉田神道の地、神楽岡に宗忠神社が創建され、孝明天皇の勅願所にもなっていきました。
 今年は天命直受の開教から200年、郷土にも根付いた黒住教教主黒住宗忠の歩みを黒住教教学局学院長の黒住信彰さんから伺うことといたします。

 山陽新聞情報ひろばにて案内予定です。(4月10日木曜日掲載予定)お誘いあわせの上ご参加ください。

2014年3月21日金曜日

黒田官兵衛を語る~岡山人物銘々伝を語る会代表黒田輝一さん

3月14日(金)午後6時から岡山県立図書館のサークル活動室で、岡山人物銘々伝を語る会の例会が 開かれました。
 今回は会代表の黒田輝一さんが、「黒田官兵衛を語る」と題し、黒田官兵衛の主な戦いの逸話と「黒田武士」の歌の由来を朗唱してくれました。
黒田さんの話が始まる前に事務局から、今回来場の都合がつかなかった岡山歴史研究会の天野会長が準備してくれた「黒田家播磨黒田荘出身説」の資料を紹介、また4月29日に開催予定の岡山歴史研究会の総会(テーマが黒田官兵衛)の紹介を行いました。
 また、備前福岡(瀬戸内市)でボランティアガイドをされている松尾昭男さんも来られていましたので、大河ドラマが始まっての福岡の様子など伺いました。例年ではあり得なかった観光バスでの来訪など、その対応に嬉しい悲鳴をあげてりる状態だとのことでした。
 
黒田さんの話のあとは質疑応答で賑やかな時間を過ごして語る会は終わりました。

次回は4月18日(金)今回と同じく岡山県立図書館Fサークル活動室で開かれます。
テーマは「黒住宗忠を語る」と題して、立教200年を迎える黒住教教祖黒住宗忠の伝記を語ります。
講師は黒住教教学局学長黒住彰先生にお願いしています。




2014年3月1日土曜日

岡山人物銘々伝を語る会月のまとめと3月案内~3月は14日(金)県立図書館で「黒田官兵衛と岡山~黒田家と福岡」です

                                平成2631
「岡山人物銘々伝を語る会」第93回例会のご案内
                             
92回(221日)の例会は。山田が熊沢蕃山ーその師中江藤樹と陽明学」でした。熊沢蕃山は岡山では名君池田光政公に仕え、その後京や明石、大和郡山などを遍歴し最後は古河で一生を終えます。地元岡山では旭川大洪水の時に被災者を救援するなどの業績はありますが、新田開発や後楽園の築造などを手がけた津田永忠などの方がその業績は高く評価されているようです。
今回は内村鑑三著の「代表的日本人」の中江藤樹の章に記述された、中江藤樹と熊沢蕃山の出会い、また この師弟と陽明学との出会いを軸に、江戸~明治の学者や政治家等に与えた藤樹~蕃山~陽明学の果たした役割を検証しました。熊沢番山は勿論岡山藩での活躍など生前の歩みも目覚しいものがありますが、集義和書をはじめとするその著作が後世に与えた影響がとても大きい人物です。
 中でも大和郡山時代に執筆した「大学或問」は江戸幕府から禁書とされたにも関わらず幕末には極めて多くの学者や文人に読まれて「この人この書あり」と評価され、明治維新前後の人士の活躍にひとかたならぬ影響を与えています。今回はこのあたりを語らせていただきました。
 話が少々長くなり、参加した皆さんの見解や感想をもっと聞いて話を盛り上げれば良かったと反省しております。みなさん申し訳ありませんでした。(山田)
 3月の日程変更 :3月は21日が祝日であり。県立図書館ほか休館日が多く会場の確保が難しいため今回参加のみなさんのご都合などお聞きして一週間前の3月14日(金)に開催することとなりました。ご注意ください。                   記
     日時:  平成2614() 午後68  第2金曜日(※通例は第3金曜日です)
     場所:  岡山県立図書館 2階 サークル活動室 
     内容: 「黒田官兵衛と岡山~黒田家と福岡
講師: 代表 黒田輝一 氏 ほか
     参加費:500円 
  【3月例会】 3月は通常より1週間早い開催となります。さて、今年はNHK大河ドラマが待望の「黒田官兵衛」官兵衛ゆかりの史跡を多く持つ岡山県でも、様々な企画がなされています。当会でも代表の黒田さんが何度か取り上げたテーマですがあらためて今回取り上げたいと思います。
 今回は黒田家のルーツについて新資料が発見されたということで岡山歴史研究会の天野会長より資料をご提供いただいています。(山﨑副会長がお持ちくださいます)また黒田家ゆかりの備前福岡で長く観光ボランティアをされている松尾昭男さんにもおいでいただき地元福岡から見た黒田家についてお話を伺いたいと思っています。メインの話はこれまで何度か黒田官兵衛の話をされた代表の黒田さんです。みなさまも是非関心を持っていい資料や情報などありましたらお持ち寄りください。活発な語る会にできればと存じます。
 山陽新聞情報ひろばにて案内予定です。(3月6日木曜日掲載予定)お誘いあわせの上ご参加ください。
(上記通常例会の件、お手数ですが、下記にて出欠をお知らせ下さいますようお願いいたします) 

参加希望は山田まで
 090-1033-3327

2014年2月12日水曜日

日本発!イスラームが世界を救う

澤田沙葉師の本を読みました。

東大卒業後修道の道を歩み、唯一神道8代目の継承者となり、カソリックの信者として世界基督教民主同盟の日本代表を務めさらには日本のイスラームの代表としてサンドのメッカ巡礼を行った。日本の古神道とキリスト教、イスラームの共通性を説いたのが澤田沙葉師です。

十数年前何度かお会いし、岡山に来られた時は高松稲荷や瑜伽山を案内しながら、古神道や吉備中山のこと、稲荷と秦氏のつながりなどいろいろお教えいただきました。

数年前にお亡くなりになられて非常に残念ですが、その時教えていただいた、日本と日本宗教、世界と世界宗教の関わり、さらには吉備国と秦氏との関わりなどとても重要な示唆に富む内容でした。

私が「秦氏」にことさら関心を抱くようになったのも澤田先生にお会いしてからです。高松稲荷では「稲荷は秦氏の氏神様だから~」と言われながら岩座を確認されて行きました。瑜伽山でも同様です。瑜伽神社はもともと岩座のあった場所です。瑜伽神社本殿の背後は岩座です。宮司に案内してもらいながらそのことを確認しました。
(22日の歴史探訪ではその辺も確認する予定です。)


さて、この本にその当時教えていただいた内容がすべて書かれているように思います。

澤田先生の遺著ともいうべき本ですが、その中でもイスラームの本質に触れる内容があります。それは今日我々がイスラムに関してしている知識とかなり違っていると思います。
特にクルアーン(コーラン)に対する正しい理解です。その中でも注目されるのはイエス・キリストに関する伝承です。これは今日のイスラム法学者たちも知っているはずだと澤田先生は言われます。

本著の中には石上神社に関する記述もあります。また大本教に関する内容もあります。日本の宗教と伝承にはイスラームに通ずる内容がとても多くあると澤田先生はいわれます。

今後の世界が一致化していく上で、宗教の一致は避けて通れません。日本の古神道とキリスト教とイスラームの一致点を澤田先生は明らかにしています。今日の世界情勢の推移において日本の役割が大きくなっていますが、宗教的な正しい理解がなければ、今後の世界で主導的な役割は果たせません。
それらの問題の回答はまさに澤田先生の中にあると言えます。

澤田先生はまさにマルチ宗教者で、今後の世界宗教の最終的動向を予言する内容が本著にはしたためられています。私もさらに理解を深めたいと思っていますが、皆様にもお勧めします。

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「日本発!イスラームが世界を救う」
澤田沙葉:著

2014年2月11日火曜日

吉備歴史探訪会2月の例会は吉備の児島に~

2月22日(土)吉備歴史探訪会~以下のごとく企画しました。
吉備の国児島の史跡を訪ねます。
9:30 熊野神社(倉敷市林)スタート
~瑜伽山・・・瑜伽神社・蓮台寺~金比羅山との両参りや岩座信仰の歴史など考察
~田の口・・・広重の六十余国名所図会にも描かれた田の口港の瑜伽神社鳥居~
~鷲羽山・・下津井港
~野崎邸・・
14:30頃解散予定
当日参加自由ですが資料の準備のため参加希望は山田(090-1033-3327)までご連絡ください(資料代300円)

2014年2月4日火曜日

歴史を変えた郷土の人~熊沢蕃山

岡山人物銘々伝を語る会2月21日の例会は第91回目になります。
この回のきっかけは会代表の黒田輝一さんが現在代表代行を務める久井勲さんの書いた「和気清麻呂」を読んだところから始まります。
桓武天皇のもと平安京造営をなした和気清麻呂ですが、同時代に活躍した吉備真備とともに奈良時代から平安時代にかけての日本の歴史に決定的な役割を演じた人物でした。
久井勲さんの語る「和気清麻呂」が第1回、吉備真備が第2回のテーマでした。
そして第3回がやはり久井勲さんによる「熊沢蕃山」でした。

この「熊沢蕃山」について、今回もう一度山田がテーマとして取り上げたいと思います。
「熊沢蕃山ーその師中江藤樹と陽明学」のタイトルを決めました。

内村鑑三が「代表的日本人(原題 Representative Men of Japan)」の中で紹介した5人の代表的日本人の中の一人中江藤樹の項を見ると、かなりのページを割いて熊沢蕃山と備前岡山藩主池田光政との関わりと陽明学について書いている。
幕末から明治にかけてさらには戦前戦後を通して日本の政治思想に多大な影響を及ぼした日本の陽明学の祖は中江藤樹となっているが、中江藤樹という人物とその思想が後世に影響を残すきっかけが熊沢蕃山の入門にありました。中江藤樹という近江の田舎の儒学者と備前池田藩士だった熊沢蕃山との出会いと交友、さらに師の中江藤樹が王陽明全集に出会い、王陽明の思想に感銘を受けさらにその思想が熊沢蕃山を通して江戸時代の朝野に影響を与え、さらには幕末の志士たちに影響を与えて行くのである。

我が郷土が誇る偉人の一人山田方谷先生もその影響を受けた一人である。

岡山に帰った熊沢蕃山は藩主池田光政のもと中江藤樹から学んだ学問を藩政に活かし多大な活躍をするが、藩政を巡っての藩主池田光政や藩士たちとの行き違いからか隠居し蕃山村に遁世、その後岡山を離れるが、徳川の学問を司っていた林羅山などから危険人物と見なされるようになり、京都、明石最後は古河に幽閉されるよう立場で最期を遂げている。

若き頃の活躍に比べ岡山を離れてからの蕃山はいかにも不遇であるかのごとくだが、この間彼は多く思索し、多くの著述を残している。その代表か「集義和書」である。

熊沢蕃山の著述は多くの儒学者が漢文で著述するなかで和文で書かれており、学問の中身も陽明学者とは言われるが、朱子学にせよ陽明学にせよそれをそのまま学ぶのではなく、あくまでも自分自身の精神の修養と思想の確立の資料としているに過ぎない。この姿勢はその師の中江藤樹もしかりである。

蕃山の学問に対する姿勢は実に自由闊達である。歯に衣着せぬ表現や発言は時として多くの反対や抑圧を生むことになるが、それらを殊更に気にする体もない。陽明学で言うところの「良知」にいかに至るかということが彼の眼目のすべてのようである。
そもそも王陽明自身が自由闊達な考えを持った人物であった。王陽明は「知行合一」ということを重要視するが、極めて実践的な考え方である。

熊沢蕃山自身の障害は一見不遇に思えるが、彼の生き様と彼の残した思想や著作はその後、多くはその著作を通しながら、江戸期、さらには幕末、明治、そして現代に至るまで日本を指導する数多くの人々の精神的理念的な影響をとてもつもなく大きく残していることを実感する。

表向きの歴史にはあまり大きく取り上げられてこなかった熊沢蕃山だが、実は日本の歴史にとてつもなく大きな影響を及ぼした、歴史を変えた人物であると思う。

2月21日(金)18時から岡山県立図書館で皆様と熊沢番山について語りあいたいと思いますのでぜひご参加ください。

2014年1月30日木曜日

熊沢蕃山の果たした役割

2月21日(金)岡山県立図書館のサークル活動室で岡山人物銘々伝を語る会の例会です。
2月は私が「熊沢番山と陽明学」について語ります。皆様のご見解や情報もお教えいただければと期待しています。

主要テーマは「開明思想としての陽明学」あるいは「熊沢蕃山の思想」です。

藩主池田光政と何故決別するようになったのか?その辺もテーマの一つです。

熊沢蕃山という人物がいなければ、名君池田光政も備前岡山藩の様々なその後の業績も無かったのではないでしょうか。
また、熊沢蕃山という人物が中江藤樹の門下となりその教えである陽明学を学び発展させなければその後の日本における陽明学の興隆も無く、特に幕末の多くの儒学者や志士といわれる人物たちが陽明学や熊沢蕃山の思想に共鳴し、新時代を切り開いていったことを考えると、熊沢蕃山とその思想と行動は、日本の政治思想文化で極めて大きな役割を果たして来たことがわかる。

熊沢蕃山は池田光政の元を去ってのちも様々な著作を通して後の政治や学問に多大な影響を及ぼした。
藩主光政公との行き違いの原因は何だったのか?もしや二人が別れ別れにならなかったらどうなっていたのか?興味は尽きない。

幕末の時代の熊沢蕃山に傾注した学者や指導者は多いが、その中でも最も代表的な一人が山田方谷である。
自らの学問の成果を政治で実現していったことにおいても、山田方谷先生は熊沢蕃山の思想を最もそのごとくに実践した代表的人物であると言えるのではないだろうか。

いま日本は壊滅的な敗戦の中から復興し世界でも有数な大国となった。しかし精神的理念や経済政策外交問題など極めて大きな課題を抱えている。
戦国時代の終演した熊沢蕃山の時代、徳川300年の歴史を閉じて世界に飛躍しようとした幕末から明治の時代、この時代に勝るとも劣らない危機的状況にあるとも言える。
いま日本は世界から注目され多くの国々から期待されているが、最も隣国の中国韓国との深刻な摩擦を抱えている。国内的にも国家財政の赤字や、少子化など深刻な課題が多くある。

当面の危機を打開しようと国家のリーダーも必死だが、抜本的解決の道は提示されていない。

熊沢蕃山の思想とその継承者たちの思想の中に問題解決の道があるのではと思う。

2月21日は皆様の見解やご意見も聞きたいと思っています。
ぜひ都合つけてご参加ください。

吉備楽土 代表 山田良三

2014年1月29日水曜日

関東大震災を描いた和気町出身の画家徳永柳洲~久井勲さんが講師

岡山人物銘々伝を語る会の例会が1月17日(金)午後6時から岡山県立図書館サークル活動室でありました。今月は会代表代行の久井勲さんが和気町出身の画家徳永柳洲の話をしました。
 昨年県立美術館で展示会がありましたのでご覧になった方もあると思いますが、徳永柳洲の代表的な作品は関東大震災の惨状を描いた絵です。これらの絵は全国を回って復興基金を募るなど当時大きな役割を果たしました。
 東京美術学校当時から抜きん出た才能をもっていて、期待されていましたが、当時の美術界の風潮に嫌気が差したのか、パリに遊学して研鑽を積んでいます。その中で歴史画に関心を持ち帰国後も歴史的瞬間を描くことを続けています。関東大震災の時上記にあるように震災の生々しい姿を絵で表し、この絵を持って全国を回ります。「震災画家」という名称を新聞で用いていますが、講師の久井さんはあまり賛同できないとのことでした。
地元の岡山県内、和気町内でも知らない人が多いのでぜひ多くの方にこういう素晴らしい絵を書いた画家のいた事を知ってもらいたいものです。
 講師の久井勲さんは「和気清麿呂」など歴史小説作家としても知られています。また論語に詳しく、ラジオでの論語の時間の担当や「論語かるた」使っての子供たちへの教育など積極的に取り組んでおられます。
 和気町は人口的にも全国の中小都市の代表のように、老齢化や人口の減少など様々課題や悩みを抱えています。そんな和気町を発展と希望ある町に躍進させるべく4月に行われる町長選に立候補する決意を固めておられます。
 和気清麻呂と論語をテーマにサテライト都市を目指し地方都市のあるべきモデルを実現していってほしいものです。