杉嘉夫さんの話、面白かったです。
備前岡山藩藩祖は池田
その池田忠雄が担当大名として築いたのが大阪城の桜門の蛸石ほかの巨石である。
なんと大阪城巨石十傑のうち7つまでが池田忠雄の担当した石垣石だった。・・他に京橋門の肥後石、桜門の振袖石など~。
岡山城にも巨石
さて、忠雄の嫡子勝五郎(光仲)の誕生の祝宴の行われていた夜、臣下の渡辺数馬のの弟源大夫が河合又五郎に切り殺され、又五郎は江戸に逃れて旗本安藤治左衛門を頼って行った。引渡しを求めるが治左衛門は旗本の応援を得て引き渡さず、伊達家の応援を得た忠雄と対立、大久保彦左衛門が調停に入るが治まらず、旗本と外様大名の対立の様相となった。
さて、忠雄は31歳の若さで亡くなって、その遺言が「死後の読経はやめて河合又五郎の首を墓前に供えよ」というものだった。そうして池田家の墓所龍峰寺に作られた墓が
歌舞伎や講談、浪曲にも取り上げられた仇討話、最後は歌舞伎好きでもある杉さ
とかく岡山藩というと名君池田光政やその後の治世のことが取り上げられるが、鳥取と岡山の池田家の移封前の池田家の出来事にとても興味を持たされました。楽しく面白い時間でした。杉さんありがとうございました。
杉さんは自衛隊退官後、後楽園や岡山城のボランティアガイドとしてご活躍中です。これまで池田光政の東部籠城作戦や、池田綱政と後楽園など池田家に因む話題の講座を開いてくれました。また次回に期待したいです。(山田)
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