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2015年6月8日月曜日

宇垣一成

宇垣一成(うがきかずしげ)
岡山市旧瀬戸町の大内出身のもと軍人政治家の宇垣一成
組閣の命を受けながら陸軍首脳の反対を受けて組閣を断念した宇垣一成について岡山人物銘々伝を語る会で取り上げる予定を計画しています。
戦後は国会議員を目指して立候補しようとしましたが、公職追放にかかり最初の選挙は断念せざるを得ませんでした。しかし続く参議院選挙では全国区で得票率トップで当選しました。
宇垣一成が掲げた軍縮の意図するところはなんであったのか?何故陸軍首脳は反対したのか?組閣断念に至るまでの経過はどのようなものだったのか?宇垣内閣が不成立に終わったその結果の日本の動向をどのように判断するのか?日本の近現代史の中でも歴史的に重要な位置に立っていた宇垣一成という人物だったと思います。
10月ころの例会での発表に向けて講師の依頼など手配中です。
語る会の会員の間でも関心の深いテーマです。
多少なりとも予備知識をもっていきたいと思っているところです。

宇垣一成の生家は旧国道2号線の岡山から行くと備前大橋の手前を旭川の西岸沿いを熊山方面に行く途中にある大内というところにあります。かつては生家は資料館として公開されていましたが今は公開されていません。(外から見ることは可だそうです。)

地元でも顕彰の動きがあるようですが、旧瀬戸町が岡山市に合併になり、旧瀬戸町で文化財保護で担当していた方も移動になり、その活動も弱くなってしまっていると聞きました。

岡山人物銘々伝を語る会でも埋もれていく郷土の偉人の顕彰や、その記録の保存などにわずかでも協力していければいいなと思っています。

岡山人物銘々伝を語る会 事務局 山田良三

2015年6月4日木曜日

「方谷の高弟三島中洲の思想とその影響-渋沢栄一等」~岡山人物銘々伝を語る会6月例会

岡山人物銘々伝を語る会の例会案内ができました



「岡山人物銘々伝を語る会」第106回例会(6)のお知らせ
                       
                              世話人代行  久井 勲
 
5月の第105回例会は、杉嘉夫さんに池田光政 熊沢蕃山三千石登用の謎について語って
いただきました。熊沢蕃山を語るに、人物考察上の学術意見はもとより、史料(学者番付表)
歌舞伎演目(「あさがお日記」)、赤穂藩をめぐる動静、と多面的な分野のアプローチで語っ
ていただきました。歴史を語る時には、特に政治的な人物は、政治の世界の材料だけで語られ
がちですが、熊沢蕃山の場合は、幸いいろいろな領域での事績やエピソードが残っています。杉さんは、それらを一つひとつ細かく拾ってくれました。光政の時代、江戸時代の初期において、これほどの材料がそろう歴史人物は珍しいのではないでしょうか。江戸期には実学の概念が整理されてきて、それは結局、“人の道の助け”になるだけにとどまらず、さらには江戸期四名君(保科正之、徳川光圀、上杉鷹山、池田光政)の事績に見られるように、人の“経済生活”の助け“にまで連なっていくようにも思えます。蕃山はその嚆矢たる意義を果たしたのではないかと私は考えます。
 毎度ながら、杉さんにおかれては、見やすくて簡潔なスライドでご説明をいただきありがとうございました。

以下の予定で6月例会を開催いたします。ご参加お待ちしています。参加お申し込みください。
参加希望の方はこちらにメールください
                   
 

岡山人物銘々伝を語る会1066月例会 
 
日時:619日(金)18002000     会場:県立図書館サークル活動室2 
 テーマ:方谷高弟三島中洲の思想とその影響-渋沢栄一等」
講師:  方谷研究会理事 高橋義雄氏
 参加費:500円 
 
山田方谷先生の弟子として、二松学舎の創設者としても知られる三島中洲は様々な形で日本の精神や文化に多大な影響を残した人物です。今回三島中洲と交友のあった人物との関係、その中でも代表的な人物の一人が日本の産業文化に多大な功績を残した渋沢栄一です。そのほか三島中洲の及ぼした影響と影響を受けた人物について方谷研究会理事高椅義雄氏から話をお聞きします。

当日講演の要旨
『山田方谷の高弟三島中洲の思想と影響-渋沢栄一等』
      方谷研究会理事 高橋義雄
概略:窪屋郡中島村(現倉敷市中島)出身の漢学者三島中洲は、山田方谷の第一の高弟で、幕末に方谷の片腕として、備中松山藩の藩政改革に活躍した。
 明治5年に新政府の命により上京、裁判官に就任、後に大審院判事として民法編纂に参加した。明治10年、漢学塾二松学舎を創設、生徒に嘉納治五郎、夏目漱石、犬養毅等がいた。東京講師、東大等で漢学を講じ、漢学の泰斗として、重野成斎、川田甕江とともに三大文宗と称せられた。明治11年、高梁に第八十六国立銀行を板倉勝静等を株主として設立した。その後、川田甕江の後、大正天皇の侍講となり、漢詩を指導、大正天皇は歴代天皇で最多の漢詩を作詩した。三島は方谷の思想(「知行合一」)を発展させて、「義理合一論」)を唱えた。
 埼玉県出身の渋沢栄一は親交のある三島の思想に感銘して「道徳経済合一説」を唱えるとともに『論語と算盤』を著し、経営に儒教理念を採用した。企業経営から得た利益を教育、福祉、国際、社会活動に投入した。
 長岡出身の外山脩造は河井継之助の学僕であった。江戸末期に三島から昌平黌で漢文を学び、維新後に銀行局職員となり、明治10年に三島の国立銀行設立申請を指導した。後に大阪の大手の銀行再建に活躍し、日銀初代の大阪支店長に就任。退任洋行して帰国。銀行、大阪麦酒、商業興信所、阪神電気鉄道会社を設立し、関西経済界を指導した。三島の思想(「義は利に優先」)は渋沢を通じて広く経済界に影響を与えた。阪神球団は阪神鉄道の子会社。
高梁出身の団藤重光(東大名誉教授、宮内庁参与、文化勲章受章者)は陽明学(熊沢蕃山に私淑)を信奉して、我が国の刑法学を確立した。
その他、大原孝四郎(倉紡設立)、大原孫三郎(大原美術館設立)、守分十(中国銀行第3代頭取)、 川崎祐宣(川崎病院、川崎医科大学設立)等が儒学の影響を受けていた。




今後の予定
月日 テーマ 講師 会場 備考
6
19
三島中州とその影響ー渋沢栄一 高橋義雄 県立図書館
サークル活動室2


7
17
小堀遠州 福田明正 県立図書館
サークル活動室2


8
21
坂崎出羽守(浮田詮家)は伊賀忍者か 坪井章



9月








10 宇垣一成 岡本芳明






岡山人物銘々伝を語る会事務局
山田良三 メールはこちら