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2012年6月29日金曜日

鹿島昇氏の著書に衝撃

以前からネット上では「鹿島昇」氏の名前を眼にし、気になっていたが。最近秦氏のことを調べるうちに、どうしても気になって先日岡山の市立図書館と県立図書館であわせて10冊あまりの著書を借りてきて目を通している。
目を通しながら、衝撃が走る。
この内容は、真偽はともかく、衝撃的内容である。
日韓中たの歴史書はすべて偽史だと結論付けている。
当然批判や無視あり。

ただ、内容は論理的、実証的で納得のいくものである。
視点がグローバルで、これまでの日本、韓国、中国のそれぞれの時代の手前勝手な歴史観を覆すもので、真実の歴史を解析しているように見て取れる。

これまで闇に葬られて来た、国家成立の時代の真実を解明する重要な突破口を開くのではと思った。
追ってその内容と感想を述べて行きたい。

7月20日(金)岡山人物銘々伝を語る会で「吉備の秦氏と岡山の人物」のテーマで語ります。
18時~20時 岡山県立図書館です。


鹿島氏の説はとんでもないという人もいると思うが、日本のルーツを遠くヒッタイトやフェニキアまでさかのぼって論じていることは、これまでの日本学者に無かった観点である。
また半島との関係も、既成概念を外してくれる。

日本国家成立の過程、日本文化の成立の背景を日本列島内だけで論じていては解らないのが当たり前で、そのような枷を外した視点での見方ということで十分評価できると思う。
真偽のほどは確かめて行かなければならないと思うが・・・。

一丁ぐろ古墳と正木山

30日土曜日に吉備歴史探訪会の例会で総社市秦の一丁ぐろ古墳に行く予定ですが、昨日下見を兼ねて行って来ました。
先日も行ったのですが、そのときは一丁ぐろ古墳までで、そこから正木山まで行けるかどうか心配だったので再度です。
サントピア側から登ろうとすると地元のかたから車も行けるよとのことでしたので林道を登ってみました。最近秦地区の方が案内看板を随所に設置してくれていて解り易くなっています。
一丁ぐろ古墳のところまで行って正木神社方面に足を伸ばしたのですが、かなりの悪路で途中で躊躇していることころに地元の方が、散歩中とのことで通りかかったので聞いてみると、ここから徒歩だと1時間近くかかると言うことで、そこから途中の登山口まで歩き更にしばらく登山道を登ってみましたが、かなり急な山道で本気で山登りのつもりでないと難しいと感じ、途中から引き返してきました。

一旦下山し、今度は車で登るルートを探して行ったのですが、こちらも途中から林道が通行止めで断念。
山中でかなり登山ルートを探しましたがかなり難しい状況で、福谷側に降りてきました。そこで先日正木山に連れて行ってくれた姫社神社の総代をしておられる板野さんに電話をして少し遅い時間になりましたがお話をうかがうことが出来ました。

お話によると、今年の11月には正木神社の社殿の修復にあわせて登山道を整備するとのこと・・・
今回の歴史探訪会は正木山に登るのは一旦取りやめにしようかと思っています。

今日会員の皆さんに相談して30日のコースを変更する予定です。
一丁ぐろ古墳には行きますよ。いろいろ板野さんからもお話うかがえたので当日お話します。
30日の10時にサントピア側の登り口に集合
岡山からのかたは9時半に吉備路国分寺の県営駐車場に寄って合流して行きます。

2012年6月22日金曜日

10000回突破ありがとうございます。

fc2ブログカウンターが10000回突破しました。ありがとうございます!

「吉備の児島」とのトータルのカウンターですので、こちらのページのカウントとはずれていますが、いずれにせよ感謝です!

いつもあれこれ書いてまとまりの無いブログですが・・・それでも毎日覗いてくれる方が続いているのはありがたいことです。

話は変わりますが、30日(土)一丁ぐろ古墳と正木山に登ります。10時にサンピアのはずれの所に集合です。興味のある方はぜひ来てください。山に登れる格好とおにぎり持参で来てください。

岡山人物銘々伝を語る会 和気清麻呂を語る

岡山人物銘々伝を語る会
6月例会は  久井勲さん  の「和気清麻呂」を現代的に説く
経済や政治的駆け引きの中での和気清麻呂像は、とても面白かったです。

宇佐八幡ご託宣事件の背景など・・・宇佐と大宰府の関係や、宇佐神官家内部での勢力関係の図式など、更に都での勢力関係の中での、ご託宣と清麻呂の動向は・・・フム!しかりと思うことあり。

その後の清麻呂はもっぱら土木工事に専念・・・大阪に残る清麻呂の土木工事の遺跡・・・失敗の遺跡もあり・・・・そこから平安京造営に携る経緯など、清麻呂の実像を良く知ることが出来ました。

皇統を守った人物ということだけが強調された戦前戦中、戦後の教育から抹殺されたかのごとき和気清麻呂で無く・・・・

作家としての視点がとてもユニークで・・・久井さんの金融マンとして経歴から見た清麻呂像も・・・実にユニークでした。

来月は私が「吉備の秦氏と岡山の人物」のテーマで語りますが、みんなに喜んでもらえる話が出来るかどうかいまから心配です。秦氏に詳しい佐藤さんや丸谷さんに来ていただく予定ですので、とにかく話が盛り上がるようにしたいと思っています。

次回は7月20日(金)18:00~県立図書館です。

2012年6月9日土曜日

和気清麻呂と秦氏

15日(金)午後6時から県立図書館で小説「和気清麻呂」の作者久井勲さんによる語る会が開かれます。 久井さんの本にも和気清麻呂と秦氏との関係が書かれていますが、15日にはそのあたりのことをお聞きしたいなと思っています。 平安京造営には秦氏の力が大きかったと言われます。 熊山遺跡にも和気氏と秦氏とのかかわりを見ることが出来ます。 宇佐八幡のご神託事件にも秦氏とのかかわりが伺われます。 和気氏と秦氏との密接な関係は何処からなのか?ぜひ知りたいと思っています。 15日 岡山人物銘々伝を語る会 ぜひご参加ください!

2012年6月6日水曜日

秦氏とは・・・高度技術集団且祭祀集団?

秦氏がいつどのようにやってきたのか? 残された記録としては古事記、日本書紀や新撰姓氏録にその記述があるのが主なもので応神天皇の時127県の民を弓月君が引き連れてきたことになっている。 応神天皇の実在年代がいつかはいくつかの説がある。またこのときに渡ってきたのがすべてかの疑問もある。 古代の半島と列島の状況から、朝鮮半島で3国、伽耶を含めれば4国の騒乱の時代、新羅が唐の力を借りて高句麗と百済を滅ぼす前の時代、特に伽耶が新羅に併合されてしまう時代であることは間違いない。 倭人伝で有名な三国志の魏志韓伝に面白い記述がある。辰韓(後の新羅)に住む人々は、土地の古老の言い伝えとして「かつて秦の時代、その労役を避けてやってきた。そのとき馬韓が馬韓の東の地を分けて住まわせたそれが我々である。」とある。さらに「辰韓を秦韓と呼ぶものがある」とあり。また、「辰韓には12国があり12国は辰王に服属しているが辰王には馬韓人がなった。」との記述もある。 馬韓は後の百済である。 以下続く・・ 7月20日(金)岡山人物銘々伝を語る会で「吉備の秦氏と岡山の人物」のテーマで語ります。 秦氏はその当時としても世界でもっとも最先端の技術集団であり、また宗教集団であったと言うのが私の説です。 それが今日の日本の文化と繁栄をもたらした原動力となったとみます。

2012年6月4日月曜日

6月30日一丁ぐろ古墳に

吉備歴史探訪会例会のご案内です 6月30日、総社市秦の一丁ぐろ古墳に行きます。 6月30日(土)10:00 サンピア駐車場の端の上り口のところに集合です。10~15分で登れます。 その後正木山のイワクラにも行く予定です。山歩きのできる格好でおにぎり持参で来てください。 八丁ぐろ古墳は4世紀前半に出来た吉備地方では最大級の前方後方墳だそうです。全長80メートル。 方墳は出雲で多く築造されていますので、出雲と吉備の関係を推察できます。 また4世紀はいわゆる倭国の大乱の時代です。この時代の吉備の有様を想像してみるのも良いかと思います。

和気清麻呂を語る

小説「和気清麻呂」の作者久井勲さんが和気清麻呂を語ります。 6月15日(金)午後6時から、岡山県立図書館2F 会費500円です。 主催は岡山人物銘々伝を語る会 久井さんは会の代表代行になっていただいています。 和気清麻呂は岡山県を代表する歴史上の人物です。 弓削の道鏡事件で宇佐八幡の御神託を奏上。大隅に左遷。その後復帰し桓武天皇の元で平安京の造営に貢献します。 現在和気町に在住の久井さん、和気清麻呂を小説化したことで有名で、和気町の町おこしにも参加しておられます。 参加希望の方は事務局山田まで(090-1033-3327)