このブログを検索

2012年12月6日木曜日

豊かさは社会全体でつくるもの

豊かさは社会全体でつくるもの。豊かさは共有財産です。豊かさを一部の人間や社会組織が独占しようとするところに格差が生まれ、それが争いや、混乱の要因となる。
格差社会は、結局社会全体の衰退をもたらすのは歴史が教えている鉄則である。
よき統治者、リーダーはより良好な富の分配を実現してその組織や社会の豊かさを共有てきた。それが本当の知恵である。
今の選挙制度による民主主義は致命的な欠陥がある。それは「多数」が優先されると言う欠陥である。少数者、弱小者は常に無視され疎外されてきた。

民の煩いを知らないリーダーは失格である。

国政選挙に突入したが、どうも私は「選挙戦」と言う言葉が好きでない。
競い合うことは良いが、「戦」は相手を殲滅するイメージがある。
スポーツでも勝敗はあるが、これは競い合いである。

選挙もいいが、その結果が一部のものだけの権益を守る結果になっては、それがたとえ多数であっても良くないものである。

勝者も敗者もないともに喜びを共有できる社会を実現するべきである。それが本当の意味での豊かさであろう。そのために人間の歴史は叡智を傾けてきたのではないか。

2012年12月5日水曜日

岡山人物銘々伝を語る会12月は中川横太郎

岡山人物銘々伝を語る会12月は生前葬を行い、集まった香典を寄付したことで有名な中川横太郎の話を会代表の黒田輝一さんが語ります。
12月21日(金)18:00~20:00 県立図書館です。
ご参加ください。問い合わせは山田まで。

以下久井代表代行の案内文です。



                            平成24124
      
   「岡山人物銘々伝を語る会」第77回例会のご案内
                         代表世話人代行 久井 勲
  
 第76回(平成241116日)の例会は、恒例の懇親会でした。20人近くの会員の方に集まっていただいて、皆さんおもいおもいのコメントをしていただきました。この会もはや七十余回を重ねてきて、語る人物も”著名”から”意外”まで、なかなかに重厚になってきました。いま岡山だけでなく全国的に「歴史好き」の方が増えてきています。うれしいことです。歴史人物の中に、自分あるいは自分の憧れるキャラクターを求めたくなるからかもしれません。もとより人のキャラクターは、所詮片面的なもので、どこにスポットを当てるかによって変わってくるものでしょう。自分なりの当て方でいいんじゃないかと私は思いますこの頃、「マイ〇〇」という言葉が流行りだしています。昔は、この〇〇に相当するのは、江戸期は“役者”であったのが、近代では”美男美女の俳優”、高度成長期は“車その他の耐久諸費財”最近では-----人の思考が内面に向き出したのか-----”歴史人物”や”古典文学”などもその対象になりつつあるようです。思考対象が広がるのは世界観の広がりと解釈すれば、まあいいいのかもしれません。

12例会通常通り下記の要領で開催いたします。              
                   記
      日時平成241221()※ 午後68時  (※通例は第3金曜日です)
      場所: 岡山県立図書館2Fサークル活動室
      内容: 中川横太郎
      講師: 黒田輝一氏(本会会員)
参加費:500
【中川横太郎のあらまし】
    黒田さん自身、今まで中川横太郎のことを二度取り上げてくれています。このたびは、
    特に彼の「生前葬」についてスポットを当てて語っていただきます。
  
私も大先輩に学んで生前葬を(ご助言を)・・・黒田輝一
  とのメッセージを黒田さんよりいただいています。

富国の基本は民の力

「富国・・」と言うのが最近聞くことばだが、「富国は民の力」と言うのが基本である。

明治の富国強兵策は、ある面では成功した。世界の劣等国と思われた日本が世界の列強と伍するまでになった。教育を強化し産業を育成し軍備を強化した。
明治政府の成功したのは、学制を整備し、まずは「教育勅語」を制定して「人づくり」を教育の基本とし、学校で技術や知識の基本を教え、優秀な人材を育成したところから、始まる。

富は物の豊かさだが、物は人によって作り出されるもの。その人づくりに成功したのが日本の富国強兵策だった。

ただ間違いは伝家の宝刀を抜いてしまったこと。
平家と源氏により、武力を持つものが政権を持ち、その後武力で政権が争われ最後は戦国時代を経て、最後に政権を持った徳川は、その武器である「刀」は「抜かぬもの」として、300年続いた。
しかし最後は、武力で政権は失った。
明治の時代は列強が強大な軍事力を背景にアジアに進出していた時代。軍事力の強化なしには生き残ることのできない時代であった。その当時日本は小国ながらも優秀な軍人を育成し、彼らは列強の進出を跳ね除けた。そこまでは良かったが、最後は列強に追い詰められ、刀を抜いてしまったのが結局敗戦につながった。戦争と言うものは何かを創造するものではない。最後は破壊であり破滅である。結局何も残らなかった。残ったのは「民」である。

戦後日本は残された民の力が「ものづくり」に向かった。その結果日本は「経済大国」と言われるまでになった。しかし今は・・・・。

先日、黒田サミットで講師の黒田美江子さんが「戦後日本は、マッカーサーによって三つの教育を奪われた。それは修身と、歴史と、地理です」と言われたことを紹介したが、要は教育の基本である「人づくり」が、失われたことである。
アメリカ式の教育が取り入れられ、欧米型の民主主義と個人主義、それに技術教育が施されるようになった。
教育は学校教育もあるが、家庭での教育がそれ以上に重要である。人づくりの基本、思いやりの心や人を大切にするこころは家庭の中で育成されるものである。ところが戦後教育と体制の中で家庭が破壊されてしまった。
それまで学校教育を柱としてなされてきた「人づくり」は企業が肩代わりするようになった。「人づくり」に力を入れた企業は大きく成長した。ところが企業の行う教育はあくまで企業に役立つ人材の育成に過ぎない。一番の基本の「心の教育」は何処でもなされない、あえてあったのは戦後雨後のたけのこのごとく登場した新興宗教や倫理道徳団体であった。これらの中には心の豊かさを育てたり、家庭の大切さを教えるところもあり、国による人づくり教育の失われたところを補ってきた。
ところがこれも、多くの教団が自らの教団の勢力を拡大することに走り、人づくりよりも、現世的ご利益を強調、一時の癒しに走るなどして教育的役割を放棄するようになってきた。

今日本で一番失われ、一番大切にしなければならないのは、「人づくり」の教育である!
まずは国を挙げて人づくり教育の体制を再構築しなければならない。
学校教育の柱に「人づくり」をすえなければならない。
そして、人づくりの基本となる「家庭」を大切にする取り組みを国を挙げて取り組んでいかなければならない。家庭力の強化が決定的役割を果たしていくようになるでしょう。

いよいよ総選挙、「脱原発」や「TPP」とかが主要政策課題などと騒がしいが、何処にも本当に豊かでみんなが幸せに暮らせる国づくりの視点が見受けられない。
そういうこと、教育などを政策に掲げても選挙に勝てないという今の日本の政治社会の現況が嘆かわしい。国民が原発を怖がっているから、「脱原発」と言えば国民の共感を得て票を入れてくれると思っているのか。
創造的建設的視点は何処にも見受けられない。残念である!

よき知恵を求め、よき知恵を生かす努力を育成する取り組みをみんなでして行かなければ国の未来は危うい。

痛切に実感する日々である。

2012年12月4日火曜日

生きる意義を見出せない人々

生きる意義を見出せない人々・・・・。
失業や就職難、経済的困難やはなはだしい差別・・・・
様々な理由で生きる力を失っている人がとても増えている。
生まれた時は、人間としての能力や可能性は誰も、そんなに違わないと思う。
にもかかわらず、成功して上手くいく人、運に恵まれる人、苦労と努力が報われる人とそうでない人ががいる。
国と国の間にも格差があるし、同じ国の中でも格差がある。

自ら人生を儚んで、自らその命を絶とうとする人間も多い。
やりきれない気がする。

どんなに希望的な言葉を投げかけても、どうすることもできない人々をどうするのか?
その温かい言葉さえかけてもらえない人々があまりにも多い。

生きるべき道を与えてくれる、親もいない。友もいない。師もいない。まして行政など見向きもしてくれない。
見失われた人々にこころを向けるリーダーがいない。
今日本は国政選挙の騒ぎだが、票にならない疎外者には政治家も政党も目もくれない。メディア、特に商業メディアは、消費力を持たない人々には冷酷である。
権力機関は取立てや取締りだけは無慈悲に執行する。

あたたかい共生の世の中は来ないのか!そんな社会は夢物語なのか?
福祉福祉と叫んでいる人々も、それは自分のための福祉に過ぎない。
身近な人に少しばかりの施しをする人はいるが、生きる力を失った多くの人々には余りにも無力である。

何とかならないものなのか。