「富国・・」と言うのが最近聞くことばだが、「富国は民の力」と言うのが基本である。
明治の富国強兵策は、ある面では成功した。世界の劣等国と思われた日本が世界の列強と伍するまでになった。教育を強化し産業を育成し軍備を強化した。
明治政府の成功したのは、学制を整備し、まずは「教育勅語」を制定して「人づくり」を教育の基本とし、学校で技術や知識の基本を教え、優秀な人材を育成したところから、始まる。
富は物の豊かさだが、物は人によって作り出されるもの。その人づくりに成功したのが日本の富国強兵策だった。
ただ間違いは伝家の宝刀を抜いてしまったこと。
平家と源氏により、武力を持つものが政権を持ち、その後武力で政権が争われ最後は戦国時代を経て、最後に政権を持った徳川は、その武器である「刀」は「抜かぬもの」として、300年続いた。
しかし最後は、武力で政権は失った。
明治の時代は列強が強大な軍事力を背景にアジアに進出していた時代。軍事力の強化なしには生き残ることのできない時代であった。その当時日本は小国ながらも優秀な軍人を育成し、彼らは列強の進出を跳ね除けた。そこまでは良かったが、最後は列強に追い詰められ、刀を抜いてしまったのが結局敗戦につながった。戦争と言うものは何かを創造するものではない。最後は破壊であり破滅である。結局何も残らなかった。残ったのは「民」である。
戦後日本は残された民の力が「ものづくり」に向かった。その結果日本は「経済大国」と言われるまでになった。しかし今は・・・・。
先日、黒田サミットで講師の黒田美江子さんが「戦後日本は、マッカーサーによって三つの教育を奪われた。それは修身と、歴史と、地理です」と言われたことを紹介したが、要は教育の基本である「人づくり」が、失われたことである。
アメリカ式の教育が取り入れられ、欧米型の民主主義と個人主義、それに技術教育が施されるようになった。
教育は学校教育もあるが、家庭での教育がそれ以上に重要である。人づくりの基本、思いやりの心や人を大切にするこころは家庭の中で育成されるものである。ところが戦後教育と体制の中で家庭が破壊されてしまった。
それまで学校教育を柱としてなされてきた「人づくり」は企業が肩代わりするようになった。「人づくり」に力を入れた企業は大きく成長した。ところが企業の行う教育はあくまで企業に役立つ人材の育成に過ぎない。一番の基本の「心の教育」は何処でもなされない、あえてあったのは戦後雨後のたけのこのごとく登場した新興宗教や倫理道徳団体であった。これらの中には心の豊かさを育てたり、家庭の大切さを教えるところもあり、国による人づくり教育の失われたところを補ってきた。
ところがこれも、多くの教団が自らの教団の勢力を拡大することに走り、人づくりよりも、現世的ご利益を強調、一時の癒しに走るなどして教育的役割を放棄するようになってきた。
今日本で一番失われ、一番大切にしなければならないのは、「人づくり」の教育である!
まずは国を挙げて人づくり教育の体制を再構築しなければならない。
学校教育の柱に「人づくり」をすえなければならない。
そして、人づくりの基本となる「家庭」を大切にする取り組みを国を挙げて取り組んでいかなければならない。家庭力の強化が決定的役割を果たしていくようになるでしょう。
いよいよ総選挙、「脱原発」や「TPP」とかが主要政策課題などと騒がしいが、何処にも本当に豊かでみんなが幸せに暮らせる国づくりの視点が見受けられない。
そういうこと、教育などを政策に掲げても選挙に勝てないという今の日本の政治社会の現況が嘆かわしい。国民が原発を怖がっているから、「脱原発」と言えば国民の共感を得て票を入れてくれると思っているのか。
創造的建設的視点は何処にも見受けられない。残念である!
よき知恵を求め、よき知恵を生かす努力を育成する取り組みをみんなでして行かなければ国の未来は危うい。
痛切に実感する日々である。
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