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2010年3月30日火曜日

いま求められるものは「親(父母)愛」そして(純潔な)「夫婦愛」

今の時代、求められるものは何か?
鳩山首相の祖父の鳩山一郎氏は「友愛政治」を掲げた
これはオーストリアの政治学者、グーテンホフ・カレルギー伯爵の政治理念の「友愛」をとりいれたものだった。
カレルギー伯は、かってドイツのヒトラーに併合された小国オーストリアの悲哀を体験する中で、真の平和は東西の融和からななされなければならないと、汎ヨーロッパ主義を唱え、その理念は現在のヨーロッパ連合(EC)を作る元となったため、かれは「ECの父]と呼ばれている。ECは欧州を一つにし、ヨーロッパの東西も一つにしていった。
さて、鳩山首相は祖父が掲げた「友愛」を政権の旗印い掲げたが、なかなその実現は見えて来ていない。
そこで私は
「友愛」をもっと進めて、今必要なのは「親愛」これは親しみ愛するということではなく、親の愛、父母愛ということである。
そして、さらに父母愛の、もととなるのが純潔な「夫婦愛」
いま世の中に一番欠けているのはこの[親愛](父母愛)であり、(純潔な)「夫婦愛」であると思う。

かつてこのブログで「中江藤樹と熊沢蕃山の士道」ということで
「士(さむらい)とは愛すること」と、熊沢蕃山が教えた と書いたが
いま世の中には「愛」がかけている。
昔は士(さむらい)今は行政
熊沢蕃山先生は役人世辞を忌み嫌った。それが池田光政公との行き違いの原因だったともいわれるが、
役人政治を嫌った理由は「政治(まつりごと)に優しさがなくなる」ということであった。
実は私は別のブログでわが先祖(山田家)のことを書き始めている。
その名は山田次郎重忠という。承久の乱の時、官軍方で獅子奮迅の戦いをした悠も果敢な武将であったが、一方、「心優しい侍であった」と、「沙石集」という鎌倉時代の無住禅師が書いた書に残っている。
信仰心篤く、母親のために寄進した寺が「長母寺」として、今も名古屋市の北区に残っている。
熊沢蕃山先生は「文武二道」を唱え、それを実行したのが池田光政公の政治であった。
それが徳川300年。300藩中第1位の名君として番付1位にあげられる所以となっている。

煎じつめれば、政治に必要なもの、いま世の中に最も必要なものは「愛」だと結論付けられる。
一方の名君の一人米沢藩の上杉庸山公の政治理念も、「藩主の務めは民の父母」ということだった。それは米沢藩主として婿入りする時、その師からきつく教えられていたことだった。
わが郷土の偉人山田方谷先生の精神も「至誠惻脱」、哀れみのこころ、民への「愛」であった。

親の愛は、その子供たちにひとしくそそがれ、わけ隔てのないものである。むしろ弱きものに注がれる。
聖書には、イエスキリストの教えとして「羊飼いは99匹の羊をおいても、失われた1匹を探す」とある。
かっての聖人の教えた教えは、ひとしく「愛」である。
偉人といわれる人たちの心も「愛」である。
世の中で一番必要なものは「愛情」
その「愛」を育むところが家庭である。
そしてそれは、純潔な夫婦の深い愛情の中から生まれてくる。
多くの偉人の伝記を読めば、その背後に偉大な母がいる。その母は、貞節な妻でもある。
夫をこよなく愛し、そして子どもをこよなく愛する。
そして、親や先祖、さらに神仏への深い愛情、敬愛の心である。

この普遍的な事実を我々ははっきり知らなければならないだろう。
もとより、母よりもっと重要なのは父であろう。
妻を大切にできない、親や先祖に孝を尽くせないようでは失格である。
偉人といっても、ここで失敗する人がまま多かった。
これは本物ではない。
いま世の中には「さまよえる子羊」が、あまりも多くいる。
仕事を失いさまよう人、親を失いさみしさのどん底にいる人、政治からも世の中からも見捨てられている人たちが、どれほど多いだろうか。
親の立場になってみれば、心はち切れるほどである。
地域社会全体が、強固な家族的連帯を取り戻すべきである。行政も、さまざまな社会機構も、企業や団体も親の心[親愛](父母愛)を取り戻していかなければならない。
その原動力は純潔な「夫婦愛」男女それぞれが、その相手を心から慈しみ大切に思う愛する心。そのような情操を、社会全体の中で育てる運動をしていくことではないのか。


2010年3月29日月曜日

子どもたちに家庭の大切さ、性の大切さを教える

子どもたちに家庭の大切さを教えたい
特に結婚前の青少年には性の大切さを

明るくて、豊かな社会を作りたい
皆が平和で豊かに暮らせる郷土が理想です。

そんな中で家庭問題で苦しむ子供たちが多い。
何とかできないものか

未来をになう子どもたちに家庭の大切さ
結婚する前の純潔の大切さを教えてやりたい。

そしていい家庭をたくさん増やしていってほしい。
そうすれば我々の郷土の未来は、ほんとに明るいもになるだろう。
皆さん考えてみませんか。

吉備の音楽

それから「ぷりまべら」というコンサートに行ってきました
玉島の郷土出身者の方々の演奏会で
くらしき作陽大学の聖徳殿でありました。
今回が42回目ということで、ずいぶん長く続けている。
玉島の町に根付いた活動をしているんだなと思いました。

とてもいい演奏が聴けて幸せでした。
若手から、長く演奏活動を続けておられる方まで幅広い演奏曲目で、堪能させていただきました。
結構いいレベルの演奏が聴けて、県外や外国からも駆けつけて、音楽文化が根付いている町の印象を受けました。

私の出身地の児島にはどうかな?

それからプログラに[吉備の国混声合唱団]のコンサートの案内がありました。
実は私も誘われて何回か練習に行ったことがあります。
仕事の関係で、時間も取れなくて、その後行けてないのですが
4月にはコンサートということで、ぜひ行ってみたいと思っています。

さて岡山特に備前池田藩は池田光政公が歌舞音曲を禁止したので、江戸時代は音楽は下火でしたが
却って明治になって盛んになったといわれます。
備中方面は「とくに盛んだったのかな
今はとても優秀な演奏家が岡山からも出てきて、とてもうれしいです。

楽土には音楽は不可欠で
[吉備楽土]は音楽、芸術の振興を勧めます。
私自身も下手の横好きの「合唱」続けたいと思っています。

2010年3月27日土曜日

限界状況の日本 再生の道は?

限界状況の日本
今の日本は明らかに限界状況である。
過去の遺産によって生きているが、かっての経済大国の力は完全に失われていると言っていいだろう。
特に大きな問題は、経済もそうであるが、社会的崩壊現象である。
家庭が力を失っている。
人間性を育てる愛の懐が家庭である。ところがその家庭が崩壊している。
離婚率の増大、少子化、そのような中で子どもたちが漂流している。
明日を担う若者が、数においても、室においても低下してしまっている。

政治の限界が言われる。
自民党政治が、その限界に達して、「政権交代」民主党に代わったが、その「民主党」も限界だった。
戦後政治の基本的スタンス自体が問われている。
結論的に言えば、経済重視、教育軽視
精神的豊かさを育てることを忘れてきた、その結果に他ならない。
少なくとも日本はこれまで、その精神性の豊かさで世界を凌駕してきた。
犯罪の少なさなど、道徳性の高さは誇るべきものであった。
ところが最近世界にも例のないような凶悪犯罪が増えてきている。

様々な要因はあるが、今は国民全体が一つになって、国のかじ取りを基本的に変えていかなければならない時である。
日本が今後ともに持つべき基本精神は何か?
高い道徳性、精神性、宗教性を復活する道はあるのか?
過去の歴史に学ぶことはないのか?

このことを追求していきたい。

2010年3月20日土曜日

坂本龍馬ら明治維新の原動力の背後に「秦氏」「景教」が?

「龍馬伝」が好評である。
さて、明治維新といえば「薩長土肥」
龍馬をはじめとした土佐の郷士下士)、
かっての長宗我部につかえていたのが、郷氏となったと考えると
長宗我部のルーツは秦川勝といわれる
秦氏の子孫が土佐にやってきた、その子孫が「長宗我部」
高知駅の北側のあたりに「秦」という地名が残っている。これはまさにそのことを証明するものではないか?

薩摩の島津も秦氏の後孫だと言われている。
長州の大内氏は百済の聖明王の子孫だといわれていた。山口も秦氏の勢力の強かったところである。

どうも明治維新の原動力の背後には「秦氏」があったような気がする。
自身を省みない精神
西郷隆盛の「敬天愛人」はまさに聖書の「まず第1に神を愛しなさい。次に隣人を愛しなさい。」 とのマタイ伝言われる聖書の言葉そのものである。

秦氏=景教徒説はかなりの精度で真実のようである。
そして、空海の教え
四国が「弘法大師」尊崇の地と考えると

明治維新、坂本龍馬らを動かした精神の源流に「秦氏」や景教(キリスト教)の教えが流れていたというのは、あながちおかしな推論ではないのではと思うが・・

池田光政の東部籠城作戦

・「池田光政の東部籠城作戦」という講演を聞かせてもらった。
元陸上自衛隊一等陸佐の杉嘉夫氏の講演は、様々な資料をもとに、それを実証するものだった。
池田光政公というと、備前岡山藩の初代藩主、徳川300年隋一の「名君」とうたわれ、特に教育や住民の福祉に力を入れたといわれているが、慈悲深い施策の一面、軍事にも力を入れていたことが判る。
突如。3000石にとりたてられた「熊沢蕃山」は儒学者として、教育思想面だけでなく、軍事にも力を入れた。
このブログでも紹介した、「熊沢蕃山の説く士道の中でも
「士(さむらい)」とは「愛」なり・・の中で

「文武二道」
番山は、武士の天職を“人を愛するなり”とし、その具体的実践を文武にわたって述べて、“これを文武二道の士という。人を愛するのことなり。”と結んでいた。
良き武士というは、あくまで勇ありて武道武芸の心がけ深く、何事ありても躓くこと無きように嗜み、さて主君を大切に思いたてまつり、自分の妻子より始めて天下の老若を不憫におもう仁愛の心より、世の中の無事を好み、その上に不慮ことできる時は、身を忘れ家を忘れて大なるはたらきをなし、軍功を立てる人あらば、一文不通の無学というとも、文武二道の士なるべし。

まさに文武二道が熊沢蕃山が藩主池田光政に教えたことであり、「文」のみならず「武」もしっかり怠らなかったことがわかる。

杉氏によると
・歴史的事実としては光政が行った、大規模な「タカ狩り」
・香登の「大池」の築造  西側からの侵入の隘路を作るため掘削
・虫明の「井田」片上湾からの補給路確保
・「倉安川」の築造  緊急時のための物資輸送路
・「閑谷学校」単なる学校ではない。いざという時、軍事施設となる証拠が
・「和意谷墓地」なぜあのような辺鄙な地に墓地を、その答えは・・
等々の詳しい証拠をあげられ、「池田光政の東部籠城作戦」を証明された。
とても納得する内容であった。
常識では考えられなかったが、逐一証拠を見せられ納得!
これまでなぜ?と思われた秘密が解明された。

名君とうたわれた池田光政が単なる「善政」を敷いた藩主ではなく、しっかり防衛も考えていた、またそれを、立案したのが熊沢蕃山というのは、おもえば当然然りでもある。

これで池田光政公の実像が見えてきた。
また背後に熊沢蕃山があり、その人物と思想も明確になってきた。

2010年3月19日金曜日

「造山古墳で周濠と周堤跡初確認」 のニュース

山陽新聞3月18日のトップ記事


「造山古墳で周濠と周堤跡初確認 大王墓級に匹敵、岡山大チーム発表」
との見出しで、「岡山大考古学研究室の新納泉教授らのチームが、墳丘を巡る周濠、周堤跡を初確認したと発表した。」とある。

すごいことです!吉備の国の実像が見えてきた。


造山古墳は5世紀前半の築造といわれるが、周濠が発見されたことにより、畿内の古墳と比べてもこの時代としては最大級の古墳になり、吉備の勢力が畿内と匹敵する、あるいは同等の力を持った勢力だったことが証明されたことになる。この時代の吉備と畿内の関係が解明されれば、古代吉備王国の実像が見えてくる。

日本の歴史において「吉備」がいかに大きな役割を果たしたか。明らかになってきた。
日本の古代が見えてきた気がするではないか。


2010年3月16日火曜日

吉備真備(きびのまきび)

郷土出身の偉人で忘れてはならない一人
和気清麻呂とは少し先輩に当たるが同時代に生きた「備中」下道の出身

吉備真備(きびのまきび)
Wikipedaiによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/吉備真備

現在は倉敷市に合併したが、旧真備町に[吉備寺]がある。
http://www2a.biglobe.ne.jp/~marusan/phkibiji1.html
吉備真備の故郷である。
下道氏の出身
遣唐使として唐にわたりさまざまな学問を学んできた。
儒学のほか、天文学、音楽、兵法、その他様々な技術・学問んできた
学者から始めて、称徳女帝の時右大臣にまで昇進した。
兵法にも優れ恵美押勝の乱のときにはその才を発揮した。
地方出身者としては異例の出世をした人物として歴史に名を残す

陰陽道の書を持ち帰り、陰陽道の祖としても知られている。

日中国交に貢献した岡崎嘉平太しが幼いころ母親に連れられて[吉備寺]を参拝
郷土出身の偉人の話に感動し自分も大きくなったら、そのようになろうと、日中の懸け橋として活躍するようになったとのことである。

旧真備町はその町名を吉備真備の「真備」からとったそうである。
今でも、郷土出身の偉人として尊敬され、吉備寺を訪れる人も絶えない。

なぜか、吉備の国は同時代に備前、備中、そして美作 偉人が出る。
和気清麻呂と吉備真備
法然と栄西
幕末から明治の新宗教として 金光教と黒住教

現代でも岡崎嘉平太氏と、行政改革に力を発揮した土光敏夫氏 このお二人は結構親交を厚くしていたそうである。
和気清麻呂と吉備真備は出会いがあったのか?
法然と栄西の出会いは?

お互いその存在を意識せざるを得ない関係だったが・・?

2010年3月15日月曜日

人物伝のご案内

岡人物銘々伝を語る会の例会があります。毎月岡山にゆかりの人物について研究発表をしています。どなたでも参加できますので、お気軽においでください。
 
 日時:平成22319()※ 午後6~8時  
  場所:岡山県立図書館の2階
  取り上げるテーマ:「池田光政の備前東部籠城作戦」
  講師:杉嘉夫氏                  参加費:500
徳川300年、300藩中第1の名君とうたわれた池田光政公、特に教育に熱心だったことが知られていますが、一方「治に居て乱を忘れず」有事対処の策を常に練り、平素から着々と準備してきた方でした。光政公が秘密裏に準備していたと思われれる「備前東部籠城作戦」について、軍事専門家である、杉嘉夫氏に話をしていただきます。和意谷のような遠隔地になぜ墓所を設けたのか?その秘密が明らかにされます。
 講師プロフィール: 岡山生まれ 防衛大学校から陸上自衛隊に進み 平成2年一等陸佐で退官 故郷岡山に帰る。現在は後楽園のボランティアガイドをしながら歴史を研究。
   (参加希望の方は下記までご連絡ください。資料を準備します。)

            
       「岡山人物銘々伝を語る会」(山田)
            FAX0862453648
            TEL08033993005
            Eメール:yamada.ryozo@gmail.com

2010年3月13日土曜日

制限速度70kmに緩和

山陽新聞に速度制限緩和のニュースが
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_k/news/d/2010031201000448/

ようやくという感じ
かねてから日本の速度制限は、実態に即していない。低すぎると思っていたが・・
韓国など諸外国に行くと、一般道でも 70km 80kmの制限なのになぜ日本はと・・・・

自動車専用道路の整備に偏っていた道路整備も、
一般道で 70km 80kmで走れる道路を作るほうが実用的なのではないか
いつできるかわからない、できても限られた人しか使えない専用道路を作るより
今の道路を改良して70~80KMで走れる一般道の整備を促進することのほうが地域に役に立つ

それにしても
日本で最初に緩和というのは うれしい 岡山県警 評価する

鷲羽山から瀬戸大橋

鷲羽山から瀬戸大橋

瀬戸内海国立公園の中でも一番の絶景の地は鷲羽山からの景色であろう。季節により、また朝晩の時間により姿を変えて見せてくれる。
潮の流れの変わる様や、行きかう船の姿を見ていると時間を忘れてしまう。
瀬戸大橋と、島々もよく調和して、自然と人工の美の調和を見せてくれる。
美しい自然に囲まれて生きる幸いを感じる時間である。

2010年3月12日金曜日

日本神話と聖書の類似性 秦氏より先に来た古代イスラエルの末裔

「日本の中のユダヤ文化」久保有政 著 学研 によると 
秦氏はキリスト教に改宗した古代イスラエルの末裔であろうという
ところが、秦氏より先に来た古代イスラエルの末裔があるという
それは「エフライム」ではないかという
「エフライム」は北イスラエル10部族の中でも「王家」の家系であった。

その理由の第1として
日本の神話の「ニニギ」から、「ウガヤフキアエズ」、「神武天皇」に至る家系と
聖書の「ヤコブ」から「エフライム」「ヨシュア」に至る家系が、瓜二つであるという。

2番目にキルギス人の「マナス叙事詩」の中にある物語に「山幸彦・海幸彦」の話にそっくりな話があるという。

3番目に神武天皇の正式名「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は
ヘブル・アラム語で「カム・ヤマトゥ・イヴリ・ベコ・シュメロンマクト」
「サマリヤの王・ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」という意味で
「サマリヤの王家」とは「北イスラエル王国の王家」のことでそれは「エフライム家」であるからだという。

確かに、日本の古神道には「ユダヤ教」的な祭祀があることが言われており、そのほかの文化にも、ユダヤ的な文化を見ることができる。

日本神話を作ったのが先に来た「ユダヤ」で
秦氏が「古代キリスト教化したユダヤ」で、あとからやってきた。
というのは当たってるかもしれない。

渡来人と、日本文化
日本人の源流がわかってくるような気がする。

報恩大師

現在の岡山出身で忘れてはならない宗教家の最初の人物ともいえるのが報恩大師である
断片的だが紹介してみる

現在の岡山市芳賀に産まれる
産湯の井戸 顯本寺
http://ichinomiya.town-web.net/picture/6course_datalis/6coures_details10.html



吉野で修行

http://blog.goo.ne.jp/otchan1/e/bfc823f77e816f3f8f92eaa9c252ae1f
 この付近にあったと思われる、安禅寺宝塔は、報恩大師の建立で、千手観音ならびに二十八部衆を安置していたと伝えられ、吉野金峯山が寺院化したのはこのころと考えられています。『金峯山創草記』

報恩大師は、三十才にして吉野山に入り観世音呪を持した。天平勝宝四年(七五二)、孝謙天皇のご病気を加持した功により、報恩の名を賜ったという。また桓武天皇が長岡宮で沈痾に伏せられた時、観自在根本呪を誦して治されたと伝えられる『元亨釈書』

天平勝宝元年(749年) 孝謙天皇の勅命により開創48寺開基
金山寺 西大寺 岡山寺 など
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/bizen48.htm

千手山弘法寺も報恩大師が中興と伝えられえる
http://www.asahi-net.or.jp/~wj8t-okmt/400-02-setouti-usimado-kouhouzi.htm

天平勝宝4年(752年) 
「龍王山神宮寺」(現在の最上稲荷)開基
http://www.inari.ne.jp/inr.01.02.html

伏見、豊川と並ぶ日本三大稲荷の一つ最上稲荷も報恩大師の開基

フェリー運航継続になるも

宇高フェリー
国道フェリーに続いて、四国フェリーも、航路の継続を発表
ひとまず、安心だが 今後が問題
どのように継続していくかを、真剣に考えてもらいたい。
全国の高速料金無料化は、長期的にはメリットがあり、進めていくべきだし、
瀬戸大橋も当然、通行料の引き下げが進められていくべきだが、そのような状況でも、航路を維持し、利用を継続できる方策を考えて行かなければならないだろう。

両社とも企業努力で、当面運航を継続するとのことだが、いずれそれも難しくなってくるだろう。
多少なりとも、公費を投入して航路を継続して、メリットがあるのならばそれも必要であろう。
たとえ将来的には、航路の必要性が薄れるとしても、急に航路がなくなることだけは避けなければならないから、そこにこそ、公的な支援が必要だと思う。
変化には、あるい一定の時間をかけることが必要
変化の大きいところにこそ、行政の思いやりが必要!

2010年3月5日金曜日

吉備楽土: 法然と秦氏 誕生寺に秦氏の君の像が

これまでの法然上人と秦氏 誕生寺に関する記事です。
誕生寺・波多神社・本山寺
法然と秦氏
法然上人と誕生寺

日本の生んだもっとも有名な宗教人とは?と聞いたらだれを答えるであろうか?
あるいは日本の宗教史上もっとも大きな変革を遂げた宗教家はと聞いたほうがいいかもしれない。
法然上人はその筆頭にあげてもいいのではないかと思う
もちろん 伝教大師最澄 弘法大師空海 ほかにも偉大な宗教家は数多くあるが
もっとも大衆に影響を与えたとなるとやはり「法然上人」であろう。
特に、仏教では救われがたい、と思われてきた女性に救いの道を説いたというのは「法然上人」が一番であろうと思おう。
女性は子供を産んで育てて、どんなに苦労しても、男性のように簡単に出家することもできない。

法然上人の母親「秦氏の君」の心が胸にしみる。
夫を殺され 一粒種の息子は出家し 母親のせつなさはいかほどだったであろうか?
息子のために一心に祈り続けた母の心が法然上人の人格と教えに結実しているように思う。

誕生寺の漆間住職の話によるとこの11月に「秦氏の君(法然上人の母)」の像が誕生寺境内に建てられるとのこと
偉大な宗教家の背後に祈り祈った一人の女性の姿があったことを思い浮かべてみよう。

2010年3月3日水曜日

郷土の先人、偉人の名に恥じないように

郷土の先人、偉人に恥じないように

思えば、現在の岡山県 かっての吉備の国 備前、備中、美作、それに備後も含めて
偉大な人物が数多く輩出している。
この[吉備楽土]でも順次紹介しているが、
かっての時代も、大きく時代を左右するところで、活躍した、宗教家、政治家、経済人、科学者、芸術家、文筆家、医師、スポーツ選手、武将、・・・・・

今の時代も、国政にかかわり、大きな影響を及ぼす立場にある政治家やその他有能な人物が数多くある。

このブログでも、紹介したが、現政権を預かる民主党の党首、時の総理大臣鳩山由紀夫氏の家系も美作勝山藩の家系、副党首、財務大臣の菅直人氏も先祖は御津町と聞く。
与野党を問わず、国政に重大な影響を及ぼすとみられる政治家が、今もたくさんいる。

ここで偉大な先人を輩出した郷土の名に恥じない活躍と実績を残してもらいたいというのが、我々の大きな希望であろう!

はっきり言って、これから日本まますます困難な時代を生きていかなければならないというのが、実感である。
少子化で、どんどん若者が減少し、かっての技術大国、経済大国の夢はどこかについえてしまっている。国家財政は破綻の様相を呈し、解決の道が全く見えてこない。
社会道徳も低下し、犯罪がますます増加の傾向を見せている。

国家再生のビジョンが見えてこない。

かって幕末のとき、備中松山藩の藩政改革を行った、山田方谷先生の理財論が今注目されている。
この理財論をどう具体的な政策として現代に生かすのか?
テーマである。

[吉備楽土]ではそのあたりを考えていきたいと思う。

宗教、思想的には 法然上人の大衆救済の思想、栄西禅師の禅にもとずく指導者が持つべき精神理念、熊沢蕃山先生が教えた「士道」
日本の国全体が模範とし、学ぶべき、思想、理念がこの地にゆかりある、人物から編み出されるのではないか?
期待せざるを得ない。

2010年3月2日火曜日

由加山

由加山

由加本宮と蓮台寺がある。
ともと大権現で神仏混淆
明治の廃仏毀釈で無理やり神仏分離させられたが
それまでは「大権現」神仏習合の信仰の地だった。
金毘羅さんも「大権現」だった。

弥生時代からの磐座(いわくら)信仰の地
磐座とは巨岩信仰
ここに天平年間、行基菩薩が勅願を持ってこの地に十一面観音菩薩を祀り開基したと伝えられる。

平安初期には桓武天皇の勅願により坂上田村麻呂がこの地に至り堂宇が整備された。
一時荒廃の時代があったが、江戸期増吽僧正のとき再興し、また備前池田家の尊崇を受け、由加大権現は全国に名だたる名刹となる。
江戸期には讃岐の金毘羅さんと両参りが盛んになる。



左の写真は
由加神社本宮
本殿左手に稲荷社が祀られている。
本殿の裏側には巨岩があって、この地が磐座信仰の地であったことが判る。





上は参拝客でにぎわう由加神社

下は多宝塔




由加山について詳しく知りたい人は

宇高フェリー廃止問題に触れて


←宇野港に停泊する四国フェリ


宇高航路のフェリー廃止が問題になっている。
最近、玉野に行く機会が多いので宇野港のフェリー乗り場に行ってみた。
確かに、乗船する車は少なくなっているように感じられる。
それでも出向を待つ大型トラックなどの列を見ると、このまま廃止してしまうのかと、さびしい思いがわいてくる。
地元玉野市や対岸の高松市、岡山香川の両県でもフェリー廃航を何とか食い止めようと国に訴えたり運動を起こしている。
宇高航路は特に玉野市にとっては町の看板のようなもので、かっては国鉄の連絡船が街をにぎわしていた時代が長く続き、そして、瀬戸大橋開通後は、連絡船は廃止になったが、フェリーは健在で今まで維持してきた。
長距離を走るドライバーにとっては、フェリーの1時間は適当な休息の時間にもなり、結構利用する車も多かったと思う。そして、瀬戸大橋に対抗する安い料金は、地元を初め多くのフェリーファンがあって、航路を維持してきた。高松市に通ったり、市民の足にもなってきた。
それが、100円高速の直撃を受けた。結構利用者のあった、週末の一般利用が完全に打撃を受けて皆無に等しい状況になった。これでは航路を維持することは見えない。民主党政権になり、政策の変化を期待したが、1000円高速はそのまま持続されており、高速料金無料化を政策に掲げた民主党政権は高速料金の上限制を検討している。


↓玉野沖を航行する国道フェリー

私は高速料金の無料化には基本的には賛成である。膨大な資金を投入されて作られた高速道路が高い国惻料金のゆえに敬遠され、長距離トラックなどが、あえて一般道を長時間かけて走っている、それによる渋滞や大気汚染はどれくらいか?さらに料金の高さと利用率の低さからくる、物流コストの増大が、地方の産業の発展を阻害している。
また有料高速道路のゆえに、並行して無料で走れる、一般道やバイパスが建設されるという無駄も多く生じている。





だからと言って、一挙に無料化はどうか?
特に、前政権が末期にやった「千円高速」 これは良くない
土日に集中する、一般道の渋滞、一度降りると再び料金を払わなければならないので、延々と高速道路を一般車が占領する。
確かに、これまで何千円、何万円とかかった長距離をたった「千円」で走れるのだか使わない手はない。遠出のできなかった一般ドライバーには朗報であった。
しかし、国の根幹である、物流においては、発生する渋滞によって却って多くの損害を生じた。

急激な、人気取りの、目玉政策は困ったものだ!
良い政策も、その結果生じるマイナス面にも十分配慮をして、よく検討し、時間をかけて実施すべきである。

その目玉政策の犠牲になっているのが、真面目に航路を維持してきたフェリー業者や。高速バスの業者である。
これは問題である。

岡山香川県民にとって、瀬戸大橋が無料になればどれほど便利であろうか。
そうすれば、岡山と香川の間で通勤もできれば、自由に観光にも行ける。物流も大幅に増える。
私など、好きな寺社参りもできるし、ついでにおいしい讃岐のうどんめぐりもできる。
いいことずくめで以前から瀬戸大橋の無料化、あるいは、一般高速並みの低料金を主張してきた。

だからと言って今回のように、急激な政策の変化によって、フェリーの足が一挙になくなり、これまで航路に従事してきた百何十人かの船舶従事の皆さんが職を失うようなことを看過することはできない。
航路維持や万一廃止する場合も、しかるべき代替策を、しっかりととらなければならない。

だいたい、これまでの国の政策には地方や弱者への配慮があまりにも欠けて来ている。
民主党政権になってそのあたりが少しは変わるのかと期待したが、どうも期待外れのようである。

国全体、あるいは世界全体がより豊かになるために、産業への投資や、産業を支えるインフラの整備などに国が力を入れていくのは当然である。
しかし、その一方で、決して忘れてはならないのは、地方や、弱者が切り捨てられるようなことが絶対あってはならないということである。
ところがどうも、最近の「規制緩和」や国の政策の方向は、大都市や、富裕層、あるいは既得権層に傾いて、地方の振興や、弱者を作りださない政策は見たことがないようである。
どんなに地方の、どんなに小さな一人にも、国全体の豊かさをともに享受できるようにするのが本物の国ではなかろうかと、しみじみ思う。

宇高航路の廃止という、国全体から見れば取るに足らない、小さな問題のようでも、それに国がどのような判断をし、方向付けをするのか、しっかり見ていきたいと思う。 

宇高国道フェリー