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2010年3月20日土曜日

坂本龍馬ら明治維新の原動力の背後に「秦氏」「景教」が?

「龍馬伝」が好評である。
さて、明治維新といえば「薩長土肥」
龍馬をはじめとした土佐の郷士下士)、
かっての長宗我部につかえていたのが、郷氏となったと考えると
長宗我部のルーツは秦川勝といわれる
秦氏の子孫が土佐にやってきた、その子孫が「長宗我部」
高知駅の北側のあたりに「秦」という地名が残っている。これはまさにそのことを証明するものではないか?

薩摩の島津も秦氏の後孫だと言われている。
長州の大内氏は百済の聖明王の子孫だといわれていた。山口も秦氏の勢力の強かったところである。

どうも明治維新の原動力の背後には「秦氏」があったような気がする。
自身を省みない精神
西郷隆盛の「敬天愛人」はまさに聖書の「まず第1に神を愛しなさい。次に隣人を愛しなさい。」 とのマタイ伝言われる聖書の言葉そのものである。

秦氏=景教徒説はかなりの精度で真実のようである。
そして、空海の教え
四国が「弘法大師」尊崇の地と考えると

明治維新、坂本龍馬らを動かした精神の源流に「秦氏」や景教(キリスト教)の教えが流れていたというのは、あながちおかしな推論ではないのではと思うが・・

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