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2010年3月30日火曜日

いま求められるものは「親(父母)愛」そして(純潔な)「夫婦愛」

今の時代、求められるものは何か?
鳩山首相の祖父の鳩山一郎氏は「友愛政治」を掲げた
これはオーストリアの政治学者、グーテンホフ・カレルギー伯爵の政治理念の「友愛」をとりいれたものだった。
カレルギー伯は、かってドイツのヒトラーに併合された小国オーストリアの悲哀を体験する中で、真の平和は東西の融和からななされなければならないと、汎ヨーロッパ主義を唱え、その理念は現在のヨーロッパ連合(EC)を作る元となったため、かれは「ECの父]と呼ばれている。ECは欧州を一つにし、ヨーロッパの東西も一つにしていった。
さて、鳩山首相は祖父が掲げた「友愛」を政権の旗印い掲げたが、なかなその実現は見えて来ていない。
そこで私は
「友愛」をもっと進めて、今必要なのは「親愛」これは親しみ愛するということではなく、親の愛、父母愛ということである。
そして、さらに父母愛の、もととなるのが純潔な「夫婦愛」
いま世の中に一番欠けているのはこの[親愛](父母愛)であり、(純潔な)「夫婦愛」であると思う。

かつてこのブログで「中江藤樹と熊沢蕃山の士道」ということで
「士(さむらい)とは愛すること」と、熊沢蕃山が教えた と書いたが
いま世の中には「愛」がかけている。
昔は士(さむらい)今は行政
熊沢蕃山先生は役人世辞を忌み嫌った。それが池田光政公との行き違いの原因だったともいわれるが、
役人政治を嫌った理由は「政治(まつりごと)に優しさがなくなる」ということであった。
実は私は別のブログでわが先祖(山田家)のことを書き始めている。
その名は山田次郎重忠という。承久の乱の時、官軍方で獅子奮迅の戦いをした悠も果敢な武将であったが、一方、「心優しい侍であった」と、「沙石集」という鎌倉時代の無住禅師が書いた書に残っている。
信仰心篤く、母親のために寄進した寺が「長母寺」として、今も名古屋市の北区に残っている。
熊沢蕃山先生は「文武二道」を唱え、それを実行したのが池田光政公の政治であった。
それが徳川300年。300藩中第1位の名君として番付1位にあげられる所以となっている。

煎じつめれば、政治に必要なもの、いま世の中に最も必要なものは「愛」だと結論付けられる。
一方の名君の一人米沢藩の上杉庸山公の政治理念も、「藩主の務めは民の父母」ということだった。それは米沢藩主として婿入りする時、その師からきつく教えられていたことだった。
わが郷土の偉人山田方谷先生の精神も「至誠惻脱」、哀れみのこころ、民への「愛」であった。

親の愛は、その子供たちにひとしくそそがれ、わけ隔てのないものである。むしろ弱きものに注がれる。
聖書には、イエスキリストの教えとして「羊飼いは99匹の羊をおいても、失われた1匹を探す」とある。
かっての聖人の教えた教えは、ひとしく「愛」である。
偉人といわれる人たちの心も「愛」である。
世の中で一番必要なものは「愛情」
その「愛」を育むところが家庭である。
そしてそれは、純潔な夫婦の深い愛情の中から生まれてくる。
多くの偉人の伝記を読めば、その背後に偉大な母がいる。その母は、貞節な妻でもある。
夫をこよなく愛し、そして子どもをこよなく愛する。
そして、親や先祖、さらに神仏への深い愛情、敬愛の心である。

この普遍的な事実を我々ははっきり知らなければならないだろう。
もとより、母よりもっと重要なのは父であろう。
妻を大切にできない、親や先祖に孝を尽くせないようでは失格である。
偉人といっても、ここで失敗する人がまま多かった。
これは本物ではない。
いま世の中には「さまよえる子羊」が、あまりも多くいる。
仕事を失いさまよう人、親を失いさみしさのどん底にいる人、政治からも世の中からも見捨てられている人たちが、どれほど多いだろうか。
親の立場になってみれば、心はち切れるほどである。
地域社会全体が、強固な家族的連帯を取り戻すべきである。行政も、さまざまな社会機構も、企業や団体も親の心[親愛](父母愛)を取り戻していかなければならない。
その原動力は純潔な「夫婦愛」男女それぞれが、その相手を心から慈しみ大切に思う愛する心。そのような情操を、社会全体の中で育てる運動をしていくことではないのか。


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