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2011年8月21日日曜日

秦氏と日本と吉備の国

19日 岡山人物銘々伝を語る会で
吉備の秦氏と岡山の人物 和気清麻呂~法然 のテーマで話す

あらためて 日本の歴史、文化、宗教、産業 日本のもっとも大切なもののすべてを作り上げてきた
秦氏の偉大さを 実感

にもかかわらず 秦氏の歴史の 最も輝いた平安京の時代を境に 秦氏は 日本の歴史の主要舞台から消えてしまったかのごとくである

平安の時代の最終ランナーとして 日本宗教界の最大のスターであり、最大の革命者として登場した法然の活躍を境に

そして見えてきた
「秦氏」の名前は消えていったかのごとくであるが・・・
実は 法然の宗教として 大衆救済の宗教として そしてその鎌倉仏教に帰依した鎌倉・関東武士団の歴史として (栄西禅師も広くは秦氏である そしてその他の祖師たちも)

そして明治維新も秦氏が先導したかのごとくである

にもかかわらず 現代の日本は かって失速した秦氏の中から 新しい改革者が法然が登場したように 改革者の登場を渇望しているかのごとくである

秦氏と日本と吉備の国

日本列島の中で最も輝いた吉備の国の時代
その吉備の歴史と文化を造りだし、輝かせてきたのが「秦氏」である。
その吉備の秦氏の中から、和気清麻呂や吉備真備、法然や栄西が登場した。
そして更に続く多くの歴史を輝かしてきた人物たち

岡山の歴史と文化、そして人物を見ながらそのことが見えてきた。

その秦氏が作ってきた、日本を輝かせてきた吉備の国の文化が、今の、そして未来の日本と世界を輝かせるのではないか!

大和の古代国家成立に貢献した吉備と秦氏
大和の王朝成立に深くかかわった「吉備」と「秦氏」、 「吉備の秦氏」と言ったほうがいいのかもしれない。

2011年8月14日日曜日

錦織神社

8月8日美咲町の錦織神社を訪問した。
秦氏ゆかりの神社である。
久米郡誌を見ると

・錦織部 久米郷の南に旧錦織村がある。ここは一面の大水田地区の背後にゆるやかな丘陵を持ち、人家は山麓に集中している。ここは一村で一郷となった珍しい土地である。ここの氏神錦織神社の祭神は秦氏の祖といわれる。秦氏繁栄の地で高級織物を代表する錦を製作する錦織部がおかれた吉備でただ一つの場所である。隣接する桑村が養蚕製糸の基地であったと考えられる。
とある。
神社を訪れると宮司さんが迎えてくれて、神社の由緒など教えていただいた。
今の宮司さんの祖父がまとめたと言う錦織神社の由緒の書を見せていただいたが、そこには作陽誌などにある神社の由緒にかかわる諸文献がまとめられ、そこには秦氏に重要なかかわりのある神社であることが綴られていた。
またそのころここ錦織の郷で孝行ものとして記録に残る秦豊永を顕彰する集まりが全国から秦氏の関係者や地元の住民が集まり、さらに唱歌も作られて郡内で歌われたそうである。

秦氏は渡来の殖産の民で、その民をあらわす太秦(うずまさ)と言う名が,絹の織物をうずたかくとあるように絹織物が主要な殖産の産物であった。
当時今の岡山県で唯一の絹の産地となったのがここ錦織の地だったそうである。
秦氏は鉄産にかかわったことも有名で現在の久米町や久米南町でもたたらの後が確認されている。
法然上人の母君は「秦氏の君」と言われたが、この地域が殖産の地として栄えた秦氏が住まった地域であったことがわかる。
今は寂れた一農村のようになっているがかっての栄華の時代を思い起こされた。

8月19日午後6時から県立図書館で「吉備の秦氏と岡山の人物~法然と秦氏」の題目で話す予定です。主催は岡山人物銘々伝を語る会です。

2011年8月3日水曜日

岡山人物銘々伝を語る会7月まとめと8月案内

   「岡山人物銘々伝を語る会」第61回例会のご案内
                         
7月例会のまとめ 代表代行 久井勲氏
60回(715日)の例会は 百鬼園倶楽部会長の岡将男氏に「内田百閒の素顔」について語っていただきました。内田百閒については、文章に凝りに凝る、洒脱と皮肉と頑固一徹の人という印象が強いですが、彼の作品を愛する人々の集まり、百鬼園では、そのキャラクターのよってきたるところや、そのエピソード等が、今もなお語り草となっているようです。席上いただきました資料では、昔の岡山市内の地図が描かれてあり、特に六高周辺では店屋の名前までもが記されており、ご覧になった方は懐かしく、今において縁を感じた方もいらっしゃったのではないかと、推察いたします。
私の文学的感覚ですが、百閒文学は、好きな人はとことん惚れ込む一方で、作品にテーマ性や目的論的意味合いを期待する人(夏目漱石の弟子という系譜から、そう期待する人いらっしゃるようです)には、必ずしもそうでないのかもしれません。それはともあれ、百閒の諧謔や反語に満ちた意見や感想の表明、ないし行動は、かなり“岡山的なるもの”と比較の上で出てきているなあ、と感じました。今の日本は昔と違い、郷里と東京との間の垣根は段々と低くなっています。百閒の時代には持ちえた頑固さは、今では目立たなくなっています。そういう意味で百閒文学は、”岡山的なるものの安堵”を、再び感じることができるものと言えるかもしれません。

8月の例会は下記のとおりです。             
                   記
      日時:平成23819()※ 午後6~8時  (※通例は第3金曜日です)
     場所:岡山県立図書館の2階  
    内容:「吉備の秦氏と岡山の人物―法然上人と秦氏とのかかわりから
      講師: 吉備の国岡山の歴史と未来を語る会  山田良三
      参加費: 500
 [法然上人と秦氏について]
 実に数多くの偉人を輩出してきた岡山ですが、とりわけ宗教的人物に有名な人物が多い。その背景を見てみると、古代日本最大の渡来豪族と言われた「秦氏」とのかかわりが見えてくる。平安京の造営にかかわった和気清麻呂が秦氏との密接な関係を持っていたことは有名だが、その平安時代末期に、日本の宗教史に革命的変化をもたらした浄土宗の開祖法然上人とのかかわりは、これまであまり知られていなかったように思う。今回は法然上人と秦氏とのかかわりを軸に吉備の秦氏と岡山の人物について語りたい。(山田)