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2009年6月26日金曜日

高梁 山田方谷 備中松山城 頼久寺





吉備歴史探訪会の仲間と高梁に行ってきた。
「山田方谷の世界」の展示が6月28日までと聞いて急遽、行くことになった。

高梁市の歴史美術館 ここで山田方谷の遺品などが展示してあった。
方谷の書いた書の中に彼の精神、思想を感じることができて、あらためてその偉大さと、その思想をさらに研究してみる好奇心がわいてきた。

昼食後備中松山城に
日本一の山城、これだけの標高のところに、よくこれだけの城を築いたものだと感心する。
まさに天然の要害。昔のお殿様もさぞかしたいへんだったろうと思いをはせる。
城から眺める高梁の町並みは絶景。

帰り道、頼久寺に寄る。
寂室玄光師が開祖と言われる。
かの小堀遠州作と言われる庭は、すばらしい。
しばし、悟りの世界を実感する。
まさにここが備中松山藩の精神文化の中心地と思う。
禅と武士道、そして幕末にはここから陽明学者の山田方谷師が出る。
山田方谷師が寂室玄光師を極めて尊敬していたといわれるが、
改めてそのことを実感する。

禅の果たした役割、陽明学との接点、
山田方谷の改革とその思想、
現代にどのように生かして、未来つなげるか、興味は尽きない。

改めて感じることの多い高梁の街でした。

2009年6月23日火曜日

クラス会

小学校のクラス会を開いた
何十年来の友人たちと談笑しながら
懐かしい思い出話に花が咲いた。
恩師もやってきてくれた。
「認知症が出かかって」と言いながら
小さかったころのエピソード
昨日のことのように覚えてくれている。
忙しさにかまけて、昔を振り返ることを忘れていたが
そこに自分たちの成長の原点があった。
人生それぞれの道を歩み
いろんな苦労を背負ってきたものたちもいるが
苦労の中にも楽しみを見出して
亡くなった友人たちの分までもしっかり生きていこうと
良かった思い出を未来に行かせる歩みをしていこうと
改めて思われた。

2009年6月10日水曜日

栄西禅師と山田方谷

最近発見したことがある。
栄西禅師と山田方谷先生の関係
ともに備中の生んだ偉人であるが
6月14日まで岡山市のデジタルミュージアムで郷土の先人の展示館が開催されている。
その中に、勿論、栄西禅師や、山田方谷先生の展示もあるのだが、
宗教家として、「寂室元光」師も紹介されていた。いまの勝山の出身で鎌倉の後期の禅僧である。
実は、山田方谷先生がとてもこの寂室元光師を尊敬していたということで、
山田方谷先生と言えば陽明学者として有名であるが、禅の影響をとても受けていたといわれる。
栄西禅師は鎌倉仏教の祖の中では、幾分注目度が低く扱われているが、波頭をこえて二度にわたり中国にわたり、禅宗と喫茶の習慣を日本に根付かせた功績は極めて大きいと言わざるを得ない。

津山と内村鑑三



かって、内村鑑三が津山に来たことがあると聞いて、津山に行ってみた。
地元の友人の案内で、作楽神社、平沼騏一郎の墓所、生家を訪ねた後、元の基督教図書館(今は博物館になっている)に行ってみた。
津山藩の御用商人であった、錦屋の当主、森本慶三氏が内村鑑三の話に感銘を
受け、岡山県で初めて津山に呼んだらしい。基督教図書館は二階が礼拝堂になっていて、ここが今展示場になっていて、内村鑑三が津山に来た時の写真
や、手紙などが展示されている。
その中で興味を引いたのが、内村鑑三が、「法然上人」を尊敬していたということである。
法然上人と言えば、美作が生んだ大宗教家である。キリスト教と仏教、何か一致しないようであるが、ウイt村鑑三は、法然上人の教えがキリストの教えと極めて近いものを感じたようで、とても親近感を感じていたようである。
岡山県は全国でもキリスト教がかなり普及した県であるが、当時、津山銀行という、岡山県では最初の民間銀行を創立した、有力者の支援あってのことだったことが、よくわかった。

2009年6月1日月曜日

サンセットイベントin王子ヶ岳


王子が岳山上で行われた、サンセットイベントに行ってきた
夕暮れの瀬戸の海、
あいにく、夕日の美しい景色には恵まれませんでしたが、
それでも、夕暮れの瀬戸の海をバックに奏でる、筝の音、尺八の音は格別の響きを感じるものでした。
最後は、日本筝曲学会の大月宗明師の「春の海」最高でした。
忘れられない情景