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2012年6月6日水曜日

秦氏とは・・・高度技術集団且祭祀集団?

秦氏がいつどのようにやってきたのか? 残された記録としては古事記、日本書紀や新撰姓氏録にその記述があるのが主なもので応神天皇の時127県の民を弓月君が引き連れてきたことになっている。 応神天皇の実在年代がいつかはいくつかの説がある。またこのときに渡ってきたのがすべてかの疑問もある。 古代の半島と列島の状況から、朝鮮半島で3国、伽耶を含めれば4国の騒乱の時代、新羅が唐の力を借りて高句麗と百済を滅ぼす前の時代、特に伽耶が新羅に併合されてしまう時代であることは間違いない。 倭人伝で有名な三国志の魏志韓伝に面白い記述がある。辰韓(後の新羅)に住む人々は、土地の古老の言い伝えとして「かつて秦の時代、その労役を避けてやってきた。そのとき馬韓が馬韓の東の地を分けて住まわせたそれが我々である。」とある。さらに「辰韓を秦韓と呼ぶものがある」とあり。また、「辰韓には12国があり12国は辰王に服属しているが辰王には馬韓人がなった。」との記述もある。 馬韓は後の百済である。 以下続く・・ 7月20日(金)岡山人物銘々伝を語る会で「吉備の秦氏と岡山の人物」のテーマで語ります。 秦氏はその当時としても世界でもっとも最先端の技術集団であり、また宗教集団であったと言うのが私の説です。 それが今日の日本の文化と繁栄をもたらした原動力となったとみます。

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