児島高徳の墓を目指す。
鳥居の脇の道を登っていくと、急な坂道が続いて、児島高徳の墓に至る。まず忠魂碑が迎えてくれる。さらに進むと、高徳の墓があった。
妙見寺は、熊山の戦いで重傷を負った高徳が療養した寺と伝えられる。明治の神仏分離で別れてしまったが、当時は妙見寺が大避神社の別当であり、16坊5庵の大伽藍、2~300人の僧侶に、寺男、数百の僧兵を抱えたていたという。高徳の義父和田範長は妙見寺の良覚上人と旧知の間柄であったので、高徳をかくまったのであろう。山上には和田範長一族の墓がある。
備前児島の熊野社、五流尊龍院には児島高徳の誕生碑が立っている。児島と赤穂をむすぶつながりを思い、しばし思いを巡らす。
児島高徳については[吉備の児島」に記事を書くつもりであるので、見てほしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿