坂越まち並み館の隣が奥藤酒蔵で、その前を通りかかると、「奥が郷土館になっていますよ」と言われたので、のぞいてみた。古い酒蔵の二階が資料館になっていて、古くからの資料がぎっしり詰まっていた。
一番の注目は、入口にあった塩の運搬船の模型、そこに書きつけがあって、当時運んでいた、塩の量や価格が書いてあった。それを見ると、塩の俵が五千七百俵、千七百両余りの値段が書かれていた。
坂越の町は赤穂の塩の積み出し港として栄えた歴史がある。
徳川幕藩体制が始まって、最初は姫路藩に所属していたが、塩の生産があるということで、赤穂藩として独立したそうであり、例の「忠臣蔵」の浅野家と吉良家の争いも塩の利権をめぐってのことだといわれている。
ここ奥藤酒蔵は、もとは塩の取引を一手に、請負った、豪商だったとのことである。
その他にも貴重な写真など、ぎっしり詰まっていて、面白い。
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