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2010年9月2日木曜日

国を愛する人間をどう育成するのか

最近の内外の情勢、多くの抱える問題を考えるときに、
結局のところは、どう、人材を育成するかと言う、根本問題に帰らざるを得ない。

わが郷土、吉備の国が有能な人材を多く輩出したのも、そのような人材を輩出する風土があったからに他ならない。
たとえば「法然上人」、浄土宗の開祖として、日本仏教に多大な影響を及ぼした。
その法然上人の出家の動機は、その父親の、高邁な精神から来ている。打ってきた敵に仕返しをするよりは、赦す道、信仰の道を選ぶようその子に諭したのである。そこから偉大な宗教家「法然」がうまれた。
普通の親なら、その子に、憎き敵を打ち取ってほしいと教えるところを、そうは教えなかった。
そのようなことが出来る、風土が、漆間氏の祖の家系にはあったということであろう。

かって、和気清麻呂公も、弓削道鏡に貶められそうになた時に、その信を曲げなかった。自らの、生や存在よりも「天」の前に正しきかどうかを問うた。このような清明な心を一朝一夕に持つことが出来るもんではない。深い精神的、宗教的天性と伝統があった。

人を育てるのは、もちろん学校があり、塾があり、施設も必要だが、何より、深い精神的、宗教性であったり、精神風土の歴史が必要である。

世が困難に直面した時に、その問題を超克できるのは、高度の人格性を持った人がそこにあるかということである。自らを顧みることなく、自らの命も利益もかなぐり捨ててでも、人や国を愛する「心」を持った人間がそこにいるかが問題である。
いまも国や社会を預かるべき人々が、かってなことを言っている。
困難に直面した時代に、自分の利益や、名誉や、ましてや個人の怨念を基準に行動するものは必要ない。
真に「愛する心」を持った人間が必要である。
そんな人間が多く輩出されれば、未来に希望がある。
そんな人間を多く輩出できる、地域が、家庭が出来ることを願う

そうして「楽土」を実現する。
先人の生き様にもっと多くを学んでいこう。

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