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2010年9月17日金曜日

日本と朝鮮はなぜ一つの国にならなかったのか

[日本と朝鮮はなぜ一つの国にならなかったのか」武光 誠(明治大学教授) 著 新人物文庫 を読んでみた。
紀元前10世紀~5世紀のころ、半島南部と日本列島は共通の文化を保有し、人や物の交流も自由に行われていた。ところが、新羅が半島を統一するようになると。半島と日本列島は完全に断絶、人や物の交流も少なくなり、それぞれ独自の文化と歴史を歩むようになる。そしてその後は、秀吉の朝鮮出兵や、明治の日韓併合のような不幸な歴史ばかりが目につくようになって今日まで来た。
半島南部特に伽耶諸国は、とりわけ日本列島との関係が深く、弥生時代の竪穴住居や、その後の製鉄技術など、伽耶の持った文化が日本列島の文化を作ったと言っても良い時代が続いた。
しかし、百済と新羅が強大化し、新羅が半島統一をするころになると、日本では聖徳太子が摂政となる時代であるが、日本は半島との関係よりも中国を重視するようになり、また半島では新羅が唐と組んで高句麗、百済を滅ぼして統一するようになり、中国を挟んで、半島(新羅)と日本列島(日本)は、一時は同盟や友好の関係もあるが、お互い微妙な対立と、牽制と、敵対の歴史を作ってきた。

元は、同族、同根とも言える両民族、両国家が手を組めば中国にも対し、世界にも対する力を持っていたし、文化の発展も見ることが出来た。しかし、そのことが十分出来ないままに今日まで歴史がたどってきてしまった。
こと日本に限ってみれば、武光教授の書を読んでみると、「聖徳太子」の野望があったという。
和を持って貴しとなす。と、17条憲法を定め、遣隋使を送った聖徳太子だが、半島との関係において、注意深く同盟をむすぶ関係を作っていたならば、両国にとって多大な利益がもたらされてただろうというのが、読後の感想である。
韓日両国が、同根、同祖の、同族国家として、共通の理想をもって、共生する関係を作れれば、今日、日本も韓国も抱える諸問題を解決する道がひらかれるであろう。ともに栄え、発展する道を実現できる。そのことを実感させる内容を読み取った。

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