吉備の秦氏をテーマに研究中
秦氏は調べれば調べるほどミステリーな内容が付いてくる。
古代吉備王国は秦氏の王国だった。
薬師寺慎一氏や池田光範氏の論文を読むと、そう感じてくる。
全国的には吉備の秦氏はあまり注目をされていない。
郷土岡山、かっての吉備王国、備前備中美作からは偉大な人物を数多く排出している。
とりわけ宗教家や徳政を布いた政治家かが多い。そして、産業、技術、医学、芸術の分野でも・・
そのルーツをたどると、秦氏の系譜につながってくる。
このブログでもたびたび取り上げた和気清麻呂は秦氏とのかかわりが極めて強い人物だが
ほかにも、浄土宗開祖の法然上人
栄西禅師は賀屋氏の出自だが、賀陽家はもともと吉備氏の流れを汲んでいる。吉備氏が秦氏であるとの薬師寺氏や佐藤氏の説を取り入れれば栄西禅師も果たしの流れということになる。下道氏出身の吉備真備もしかり・・
秦氏は殖産の民といわれる。吉備国の繁栄は「真金ふく・・・」と万葉の枕詞にあるように、鉄産や銅産に丹を発している。機微の国を繁栄させた金属の加工技術は秦氏がその多くをもたらしたといわれている。
土木技術、湛井の堰の建設や巨大古墳の建設に貢献、また陶器の製造技術は須恵器などの陶器や特殊基台、などを生み出したのではないか。
それになにより不思議なのは秦氏の持つ宗教性
日本全国最も多い社数を誇る、稲荷社も八幡社もいずれも秦氏が祀ったものである。
金比羅は讃岐の秦氏の祀った神であり、吉備では児島の由加山もそうである。
秦川勝が聖徳太子からもらいうけ祀られたという京都太秦広隆寺の弥勒菩薩像
吉備でも最も古い仏教寺院は秦にある廃寺がそれである。
そして音楽や美術の世界
戦国期にやってきたキリシタン、禁教令が出て地下にもぐった隠れキリシタン
明治の開国とキリスト教の普及 このあたりにも秦氏のにおいを感じる。
岡山の歴史と偉人を探るとそこには秦氏の影が色濃く出てくる。
そのあたり少しまとめていこうかと
0 件のコメント:
コメントを投稿