かって熊沢蕃山先生は「士(さむらい)とは”愛”である」と説いたが、今当に政治に愛が求められるときであろう。聖書に「もし愛がなければ・・・」と言う一節があるが、いかにももっともらしいことを説いて行っても、その行動が”愛”から出発したものでなければ、かえって迷惑なものである。
原発事故に対する避難もそのようなものであろう。
危険だから避難してと言うが、はたしてそれは、その住民たちを愛することから発せられているものなのか。
大震災への復興支援もそうであろう。
個人や団体や企業が今回の復興に対して行った心からの支援は極めて貴重なものである。ところが国家中枢の震災対策ははたして”愛”から出発しているのであろうか?実際の被災地の帰途人の切実な心を理解することを忘れて論議ばかりしていないのか?
日本国民は愛する心を持っている。そのほとんどが被災地のニュースを見ながら、心痛く毎日を過ごしている。現地が復興してほんとうに活力を取り戻すまでその痛みは続く。
自分の家族が避難所暮らしをしていることは見るに耐えない。
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