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2011年5月27日金曜日

コロポーニョ1stコンサート

29日日曜日の午後2時から早島の「ゆるびの舎」で児島を拠点に活躍する女声合唱団コロポーニョの1stコンサートが開かれます
コールゆうぶんげんも賛助出演します

とてもいい歌声聴けそうです 聞きに行ってみては



コロポーニョ1stコンサート

コロポーニョの1st.コンサート

5月29日(日)13:30開場 14:00開演
早島町民総合会館 ゆるびの舎

指揮 高野敦
ピアノ 畠山勝子

Ⅰステージ 女声合唱とピアノのための「白いうた青いうた」より
Ⅱステージ 女声合唱とピアノのための「海をうしろへ」
Ⅲステージ 賛助出演 コール・ゆうぶんげん
Ⅳステージ(合同ステージ) 混声合唱とピアノのための「花に寄せて」

なお、当ブログの筆者も友情出演します

2011年5月23日月曜日

秦氏の不思議

吉備の秦氏をテーマに研究中

秦氏は調べれば調べるほどミステリーな内容が付いてくる。

古代吉備王国は秦氏の王国だった。
薬師寺慎一氏や池田光範氏の論文を読むと、そう感じてくる。
全国的には吉備の秦氏はあまり注目をされていない。

郷土岡山、かっての吉備王国、備前備中美作からは偉大な人物を数多く排出している。
とりわけ宗教家や徳政を布いた政治家かが多い。そして、産業、技術、医学、芸術の分野でも・・
そのルーツをたどると、秦氏の系譜につながってくる。

このブログでもたびたび取り上げた和気清麻呂は秦氏とのかかわりが極めて強い人物だが
ほかにも、浄土宗開祖の法然上人
栄西禅師は賀屋氏の出自だが、賀陽家はもともと吉備氏の流れを汲んでいる。吉備氏が秦氏であるとの薬師寺氏や佐藤氏の説を取り入れれば栄西禅師も果たしの流れということになる。下道氏出身の吉備真備もしかり・・

秦氏は殖産の民といわれる。吉備国の繁栄は「真金ふく・・・」と万葉の枕詞にあるように、鉄産や銅産に丹を発している。機微の国を繁栄させた金属の加工技術は秦氏がその多くをもたらしたといわれている。
土木技術、湛井の堰の建設や巨大古墳の建設に貢献、また陶器の製造技術は須恵器などの陶器や特殊基台、などを生み出したのではないか。
それになにより不思議なのは秦氏の持つ宗教性
日本全国最も多い社数を誇る、稲荷社も八幡社もいずれも秦氏が祀ったものである。
金比羅は讃岐の秦氏の祀った神であり、吉備では児島の由加山もそうである。

秦川勝が聖徳太子からもらいうけ祀られたという京都太秦広隆寺の弥勒菩薩像
吉備でも最も古い仏教寺院は秦にある廃寺がそれである。

そして音楽や美術の世界 
戦国期にやってきたキリシタン、禁教令が出て地下にもぐった隠れキリシタン
明治の開国とキリスト教の普及 このあたりにも秦氏のにおいを感じる。

岡山の歴史と偉人を探るとそこには秦氏の影が色濃く出てくる。
そのあたり少しまとめていこうかと

万代常閑 岡山人物銘々伝を語る会で

5月20日(金)午後6時から岡山人物銘々伝を語る会第58回例会が岡山県立図書館で開催されました。
今回のテーマは「万代常閑」 講師は久井勲氏 ゲストとして万代家21代の奥様がおいでになられました。
今回は特に万代常閑初代と、富山の薬売りのもととなった、11代についてのお話で
久井氏の大胆な推察と、小説風の語り口、実に興味深い例会となりました。
21代万代常閑の奥様も、各地を訪ね事跡を確認されておられ、伝説的に伝えられている内容と事実との相違など、実に興味深い話を聞くことができました。

地元岡山よりも富山をはじめ全国での知名度の高い万代常閑ですが、聞いてみるとその功績の大きさに感銘を受けます。
万代家の伝えてきた「返魂丹」は、今は薬事法の関係から製造販売できなくなっているそうだが、とても残念に思いました。万能薬として珍重され、その販売方法とともに多くの人々を救ってきたのに・・
万代家は明治以降は西洋医学を学び、西洋医として代をついでこられたそうであるが、その志に深い感銘を受けた。
西洋医学一辺倒の医学界や、医薬分業の体制が果たしてどうなのか?

返魂丹は富山に行って反魂丹と名を変えて越中富山藩の地場産業となり、越中富山の薬売りととして一世を風靡したが、その影で、忘れられかけていたかの万代家の功績にもう一度光を当てていくべきではないのかと感じさせられた。

2011年5月11日水曜日

国難を乗り越える思想 吉備の国から

未曾有の大震災に見舞われ、原発事故の追い討ちを受けている日本、かってなかった国難に瀕している。
地震直後の日本人の冷静な態度には世界から賞賛の声が上がったが、原発事故に対する日本の対応には世界ががっかりしている。

この国難をどう乗り切るのか?
今こそこの国難を乗り切る思想が必要である。

幸いここ吉備の国、岡山には熊沢蕃山から山田方谷にいたる経政家、思想家の系譜がある。
この国難を克服して国民全体が平和に安心して豊かに暮らせる国を実現していくことができれば、改めて日本は世界から注目され、地球規模のさまざまな問題を克服し、地球規模の平和と幸福と繁栄の世界を実現していくことができるであろう。

そういう思想、その根本は思いやりの心であろう。

私の先祖は信仰心厚く親孝行であるとともに心優しく民のわずらいを知る侍であった。と記録されている。

今一番必要なのは、被災した人たちの心配や不安を取り除いてあげること心を配ってあげることである。
震災復興は官邸や霞ヶ関でいくら論議しても始まらない。
被災地に直接行って実情を目の当たりにし、被災者の気持ちを最大限理解して、その気持ちを一番大切にして復興に当たることである。

原発事故の避難者には、一緒に避難生活をし、原発で必死で復旧に当たっている現場で一緒に復旧に取り組むべきである。

歴史に残る経政家、思想家は民のわずらいを知っていた。その民のわずらいを取り除くために全力を尽くして藩や地域の建て直しに取り組んだ。
その基本は心から民の心を思う思いやりであった。

その心を忘れた机上の論議は必要ない。

とるものもとりあえず被災地に駆けつけているボランティアの心は貴重である。
被災者の気持ちを第1に、そしてできることを応援してあげる。
まかり間違っても、首都と言う東京にいて、保障された生活圏の中で考える勝手な支援策を被災地に押し付けることだけはしないようにしてほしい。

2011年5月8日日曜日

岡山人物銘々伝を語る会5月は万代常閑

5月例会は置き薬の元祖万代常閑について作家の久井勲さんが語ります
参加希望の方は吉備楽土まで連絡ください


 日時:平成23520()※ 午後6~8時  (※通例は第3金曜日です)
  場所:岡山県立図書館の2階
  内容:「万代常閑」※
  講師:久井 勲
  参加費:500

    万代常閑は、室町初期、“延寿返魂丹”の製法を泉州堺の浦(当時ただの漁村)に寄港した明人から
教わり、それを一子相伝で伝えた人物。3代目以降は備前和気・益原村(その後伊部)に移住、やがて越中富山に”反魂丹”を伝授。同薬のいわれは、富山のみならず全国で有名なのに、なぜか地元で知名度まだし。そこで、『個々に知られたエピソードを、他の歴史事象と経済的・社会的・政治的な背景の中で無理なく接合させ、説明/推測可能なものとして構成しようとすればこうなるのでは----』、という前提で、万代常閑(初代)について、語りたいと思います。

今こそ政治に愛が必要なとき

かって熊沢蕃山先生は「士(さむらい)とは”愛”である」と説いたが、今当に政治に愛が求められるときであろう。聖書に「もし愛がなければ・・・」と言う一節があるが、いかにももっともらしいことを説いて行っても、その行動が”愛”から出発したものでなければ、かえって迷惑なものである。
原発事故に対する避難もそのようなものであろう。
危険だから避難してと言うが、はたしてそれは、その住民たちを愛することから発せられているものなのか。
大震災への復興支援もそうであろう。
個人や団体や企業が今回の復興に対して行った心からの支援は極めて貴重なものである。ところが国家中枢の震災対策ははたして”愛”から出発しているのであろうか?実際の被災地の帰途人の切実な心を理解することを忘れて論議ばかりしていないのか?

日本国民は愛する心を持っている。そのほとんどが被災地のニュースを見ながら、心痛く毎日を過ごしている。現地が復興してほんとうに活力を取り戻すまでその痛みは続く。
自分の家族が避難所暮らしをしていることは見るに耐えない。

2011年5月6日金曜日

吉備の国と被災地をつなぐ

今日本各地の人々が、東日本大震災の被災地の人々に、思いと心を向けている。
吉備の国から、何かできないものか。
日本復興の精神的支援を!

4月29日、岡山市民会館で開かれた、東日本大震災文化復興支援と銘打った方角演奏会「日本の感性21in岡山」に参加してきた。
邦楽と洋楽のコラボレーション「梵」の演奏で始まり、上海万博や全国コンクールで優勝した中学生佐竹さんの演奏もあり、普段は邦楽に接する機会の少ないわれわれもとても楽しませてもらえた。

ユネスコなどを通して世界的に活躍している大月宗明氏の率いる日本筝曲楽会の主催である。
大月師は、大震災の当日東北に行っていて、大地震に直面、10日間ほど車で生活してきたと言われる。この大震災を通して、日本人が示した助け合い共同の精神が世界を救うと訴えていた。

吉備の国のわれわれは精神文化の先頭を切るべきときである。思いやる心をすべてを生かしていくときである。