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2023年2月3日金曜日

神仏分離はなぜ引き起こされたのか?~ともに尊崇し、ともに神仏の心を取り戻す世の中に!

ずっと岡山の宗教家や宗教の歴史を訪ねてみて、気になってきたのは明治新政府による神仏分離政策。それまで続いてきた神仏習合の宗教が無理やり分離させられた。児島の新熊野、熊野権現の修験道は停止に追い込まれた。神仏習合が本格化したのは東大寺勧進に際して八幡神(宇佐八幡)が助けたことに始まる。以来、神と仏は互いに尊崇しあう関係を保ってこれが明治になるまで日本の宗教の根幹となってきた。それが突然のように出されてきた「神仏分離令(神仏判然令)であった。合わせて薩摩をはじめ廃仏毀釈が進んだ。札までは徹底的に廃仏毀釈が進み島津家の菩提寺をはじめ徹底的に寺院が破却された。全国各地でも廃仏が進み、身近なところでは讃岐の金毘羅大権現は仏像や仏塔が破却された。その仏像が岡山の西大寺観音院にもたらされ祀られています。いまだ阿仁全国各地にその傷跡が良いく残っています。  子の神仏分離、廃仏毀釈、さらに進んでいた神道国教化政策がなぜかくも甚だしくすすめられたのか?これが今の私の最大の疑問です。 様々な理由が言われてきています。当時の薩摩の経済事情が大きかったとか、平田篤胤などの国学の影響であるとか、薩摩にあった仏教や修験道への敵愾心が問題だっととか、当時のヨーロッパの特にプロイセンンのルター派キリスト教による国教化政策を真似たのではとか様々な理由がいわれているますが、果たして何が真実なのかと思います。それとももっと他に理由があったのか?   この時進められた神道国教化政策に反対して阻止したのが、備前国児島郡山坂村(現在の岡山県玉野市)出身の京都 相国寺の住持だった荻野独園師でした。独園師は、臨済宗相国寺の住持でしたが、新政府の廃仏と神道国教化政策に反対して増上寺に設置された大教院の大教正として臨済,曹洞、黄檗の総管長を勤め神道国教化を阻止した。その後は京都の相国寺に帰り相国寺の再建とともに鹿児島の廃仏毀釈にあった仏教寺院於復興に努めた。また、信教の自由の立場から、相国寺の寺領だった旧薩摩藩邸の土地にキリスト教の(新島襄の同志社)学校用地になることを認めている。伊千広や山岡鉄舟らが師のもとに参禅している。  神道国教化は阻止されたものの、実質的に神仏分離は進み、特に皇室の祭祀は完全に神道化されて今に至ってる。修験道は児島五流が天台宗の一流派として存続してきているが、法人としては神社とは分離されて今に至っている。その他各地に色濃く神仏分離の爪痕が残っているのが今の日本の宗教界の実情である。  私は、宗教史に関心を持って」様々な執筆や講演を重ねてきたが、今の日本於様々な精神的な荒廃を考えるときに、子の神仏分離政策の悪影響が今に続いていいると思うようになっている。神と仏がお互いに尊崇しあって支えてきた日本の国のあっり方を再び取り戻すことが、日本於国の良き伝統を取り戻す最も重要な課題ではないかと考えうようになっている。今は神道と仏教だけではなく、儒教やキリスト教、その他様々な倫理道徳運動なども含めて、宗教的あるいは倫理道徳、精神復興的運動がそれぞれの長所を生かしながら普遍的価値によって一致化しながら、国民精神の向上に努めていくべき時だと強く思わされている。   平和で、すべての人々がもれなく幸福に生き、喜びをもって生きることのできる社会の実現を共通の課題としてすべての人々が家族のような紐帯の心で思いやりや愛情豊かな生き方ができるように導くのがあまねく宗教や様々な道徳倫理運動の目的であるとして努めてくことではなかろうか!間違っても醜い教派争いや他宗批判などは止めなければいけない。宗教心をも他に人々にも温かい思いやりや奉仕が必要だと思います。無神論、唯物論的な人に愛することや普遍的な心の大切さを教えて行くことも大切だと思います。

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