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2011年5月11日水曜日

国難を乗り越える思想 吉備の国から

未曾有の大震災に見舞われ、原発事故の追い討ちを受けている日本、かってなかった国難に瀕している。
地震直後の日本人の冷静な態度には世界から賞賛の声が上がったが、原発事故に対する日本の対応には世界ががっかりしている。

この国難をどう乗り切るのか?
今こそこの国難を乗り切る思想が必要である。

幸いここ吉備の国、岡山には熊沢蕃山から山田方谷にいたる経政家、思想家の系譜がある。
この国難を克服して国民全体が平和に安心して豊かに暮らせる国を実現していくことができれば、改めて日本は世界から注目され、地球規模のさまざまな問題を克服し、地球規模の平和と幸福と繁栄の世界を実現していくことができるであろう。

そういう思想、その根本は思いやりの心であろう。

私の先祖は信仰心厚く親孝行であるとともに心優しく民のわずらいを知る侍であった。と記録されている。

今一番必要なのは、被災した人たちの心配や不安を取り除いてあげること心を配ってあげることである。
震災復興は官邸や霞ヶ関でいくら論議しても始まらない。
被災地に直接行って実情を目の当たりにし、被災者の気持ちを最大限理解して、その気持ちを一番大切にして復興に当たることである。

原発事故の避難者には、一緒に避難生活をし、原発で必死で復旧に当たっている現場で一緒に復旧に取り組むべきである。

歴史に残る経政家、思想家は民のわずらいを知っていた。その民のわずらいを取り除くために全力を尽くして藩や地域の建て直しに取り組んだ。
その基本は心から民の心を思う思いやりであった。

その心を忘れた机上の論議は必要ない。

とるものもとりあえず被災地に駆けつけているボランティアの心は貴重である。
被災者の気持ちを第1に、そしてできることを応援してあげる。
まかり間違っても、首都と言う東京にいて、保障された生活圏の中で考える勝手な支援策を被災地に押し付けることだけはしないようにしてほしい。

2011年5月8日日曜日

岡山人物銘々伝を語る会5月は万代常閑

5月例会は置き薬の元祖万代常閑について作家の久井勲さんが語ります
参加希望の方は吉備楽土まで連絡ください


 日時:平成23520()※ 午後6~8時  (※通例は第3金曜日です)
  場所:岡山県立図書館の2階
  内容:「万代常閑」※
  講師:久井 勲
  参加費:500

    万代常閑は、室町初期、“延寿返魂丹”の製法を泉州堺の浦(当時ただの漁村)に寄港した明人から
教わり、それを一子相伝で伝えた人物。3代目以降は備前和気・益原村(その後伊部)に移住、やがて越中富山に”反魂丹”を伝授。同薬のいわれは、富山のみならず全国で有名なのに、なぜか地元で知名度まだし。そこで、『個々に知られたエピソードを、他の歴史事象と経済的・社会的・政治的な背景の中で無理なく接合させ、説明/推測可能なものとして構成しようとすればこうなるのでは----』、という前提で、万代常閑(初代)について、語りたいと思います。

今こそ政治に愛が必要なとき

かって熊沢蕃山先生は「士(さむらい)とは”愛”である」と説いたが、今当に政治に愛が求められるときであろう。聖書に「もし愛がなければ・・・」と言う一節があるが、いかにももっともらしいことを説いて行っても、その行動が”愛”から出発したものでなければ、かえって迷惑なものである。
原発事故に対する避難もそのようなものであろう。
危険だから避難してと言うが、はたしてそれは、その住民たちを愛することから発せられているものなのか。
大震災への復興支援もそうであろう。
個人や団体や企業が今回の復興に対して行った心からの支援は極めて貴重なものである。ところが国家中枢の震災対策ははたして”愛”から出発しているのであろうか?実際の被災地の帰途人の切実な心を理解することを忘れて論議ばかりしていないのか?

日本国民は愛する心を持っている。そのほとんどが被災地のニュースを見ながら、心痛く毎日を過ごしている。現地が復興してほんとうに活力を取り戻すまでその痛みは続く。
自分の家族が避難所暮らしをしていることは見るに耐えない。

2011年5月6日金曜日

吉備の国と被災地をつなぐ

今日本各地の人々が、東日本大震災の被災地の人々に、思いと心を向けている。
吉備の国から、何かできないものか。
日本復興の精神的支援を!

4月29日、岡山市民会館で開かれた、東日本大震災文化復興支援と銘打った方角演奏会「日本の感性21in岡山」に参加してきた。
邦楽と洋楽のコラボレーション「梵」の演奏で始まり、上海万博や全国コンクールで優勝した中学生佐竹さんの演奏もあり、普段は邦楽に接する機会の少ないわれわれもとても楽しませてもらえた。

ユネスコなどを通して世界的に活躍している大月宗明氏の率いる日本筝曲楽会の主催である。
大月師は、大震災の当日東北に行っていて、大地震に直面、10日間ほど車で生活してきたと言われる。この大震災を通して、日本人が示した助け合い共同の精神が世界を救うと訴えていた。

吉備の国のわれわれは精神文化の先頭を切るべきときである。思いやる心をすべてを生かしていくときである。

2011年5月5日木曜日

困難に立ち向かう

今の日本は大変な国難である。
大地震、津波に原発事故
これをどのように乗り越えるか。
今真剣に考えなければならない。
多くの人々が義捐金を寄せたりボランティアに参加して被災地を応援している。ここに希望を見出す。
今行政のトップにある人間は大変。国民の意思をどのように実際の行政に生かすか。

2011年5月4日水曜日

危険思想視された陽明学

明治維新に多大な影響を与えた思想が陽明学である。
近江聖人といわれた中江藤樹に始まり、その弟子となった熊沢蕃山が教え、熊沢蕃山は徳川幕府から危険思想の持ち主とされ、岡山藩から追われ、最後はひっそりと関東の古河で最後を遂げたが、その思想は引き継がれ、幕末の思想家に多大な影響を与えた。その代表が横井小南であり、松下村塾を開いた吉田松陰もその影響を受け、幕末備中松山藩の改革を成し遂げた山田方谷もまた陽明学であった。
陽明学が嫌われたのは、学問としてよりもその行動性のためであろう。
思えば王陽明が教えた教え自体はなんら危険なものではない。人間が良知にしたがって生きることを教えたのである。しかし人がよいことと思うことが時としては権力者にとってはよいことでない場合もある。儒学の中でも朱子学はどちらかと言えば秩序を重んじる思想である。

熊沢蕃山は領主である池田光政公が役人を重用して政治を行うことに反対し、水魚の交わりとも言われた親密な関係が切れて、隠居するようになったと言われている。

東日本大震災に見舞われた日本の状況は、当時の状況に極めてよく似ている。
備前の大洪水のとき池田公は蕃山の意見を入れて民衆を救済した、しかし、晩年その家督を息子の綱政にゆずるに際して津田永忠など有能な家臣を重用したのである。これは大変よかった面もあったが、熊沢蕃山が心配した役人政治の弊害をもたらした。住民の生活のこと細かいことまで政治が介入して、民間の活力や文化活動が抑えられた。

政治の役割は何か?よき政治は必要であるが、それはあくまで民の幸福のためである。押し付けの善政は却ってマイナスをもたらす。

今の政治を見ると、当にそのような気がする。
未曾有の国難をどのように乗り切るか?不要な国の介入は国力をそぎ、復興を阻害する。
今こそ明確なビジョンを国民全体が共有して、国民全体が共通の意識と、共通の幸福を求めて生きるときであろう。
無益な論議はやめてほしい。

吉備歴史探訪会4月例会は吉備真備の故郷へ

4月30日(土)吉備歴史探訪会の4月例会
吉備真備ゆかりの吉備寺、箭田大塚古墳、下道氏墓所などを訪ねました。
応神天皇のとき妃の兄姫が故郷に帰ったのを追って吉備に来た応神天皇が族長の御友別に会いその兄弟や子供たちに吉備の国を県主として分封させたとの記述が日本書紀にある。
これがその後の吉備の各氏となる。そのひとつが下道氏である。
奈良時代に遣唐使として中国にわたり帰国後は中央政界で活躍した吉備真備の一族が下道氏である。古墳時代後期から、飛鳥、奈良に至る時代この地域を治める下道氏が栄えていたことがわかる。
吉備真備が岩の上で琴を弾いたと伝えられる琴弾岩から二万の大塚古墳、数年前未盗掘の古墳発掘のニュースで話題となった二万勝負砂古墳を訪ねたあと、昼食はうどん「かわはら」を訪ねました。とてもおいしかったです。

昼食後は岡田にある横溝正史疎開の家を訪ね横溝正史の数多くの作品がここから生み出されたことに感慨新たにしました。