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2010年11月2日火曜日

報恩大師は吉備の出身か?

熊山について詳しく書いた、仙田実氏の「霊山熊山」には、報恩大師は、もともと吉備の人物ではなく、備前48か寺も、後の世に、金山寺が、備前の中心的寺院としての権威を高めるために、報恩大師の開基としたのであろうという。生れも、備前の波荷(芳賀)ではなく大和で生まれたという。それでは報恩大師の産湯の井戸などの伝説は何かということになるが、高松稲荷、竜王山の開基との言い伝えなどからしても、[秦氏]との密接なかかわりは、否定できない。波荷の地も何かの縁があってのことであろう。確かに報恩大師の伝説は不明な事が多い。
吉野で修行して、孝謙天皇の病気平癒の祈祷に験があったというのは、記録にあるところであり、その出自か何かに吉備の国との密接な関係があったこと思われる。
奈良朝の時代、和気清麻呂が都で地位を高めて行った時である。一方備中に縁のある吉備真備も都の重要な役職を歴任して行く。
この時代、宗教面、人材面で吉備は輝いて行く。その宗教的風土のキーワードがやはり「秦氏」である。

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