薬師寺慎一先生の 『楯築遺跡と卑弥呼の鬼道』 (吉備人出版)を読んでみた。薬師寺先生は、古代祭祀の形態から、楯築遺跡の葬られているのが、卑弥呼か、卑弥呼に匹敵する人物であろうという。遺跡から出た大量の朱(水銀)や5つの立石の状況を詳しく調べながら、この楯築遺跡に葬られた人物が、きわめて有力な首長、しかもそれは道教の祭祀を行った、女性の首長であろうと言わる。
2世紀末から3世紀一の時代には、最大規模の墳墓が楯築遺跡であるという。しかもこの時代は魏志倭人伝に出てくる、卑弥呼の時代と一致する。
邪馬台国吉備説と言うことにもなる。
同薬師寺先生の説によると造山古墳もその時代において倭国最大の墳墓だったといわれれる。となると2世紀末から3~4世紀にかけての時代、吉備が倭国の中心地だった可能性を示唆している。
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