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2010年8月16日月曜日

菅首相のルーツと最近の政策

菅直人首相の本籍地が岡山と言うことで、吉備楽土も無関心ではいられない。
聞くところによると、菅原道真の家系とか
先日、「私も菅家(菅原家)の家系ですよ」と言う方にお会いした。
菅原道真と言えば、「学問の神様」として有名である。あまりに出来すぎて、太宰府に左遷の憂き目にあう。
児島の唐琴と言うところに行くと、菅原公が立ち寄られたという伝承が残っている。
さて、管氏の人柄を見ると、菅原公の子孫だなと言うところをとても感じる。先に、紹介した方もよく似たところをお持ちである。
正直、管首相については首相に就任されるまであまり関心を持たないできたが、首相になってみると、これまでの立っては消えて行った数多くの方々とは、少しちがって、あまり期待していなかったのが、逆に何かを期待できるのかな、という思いになっている。まあこれからですが・・
菅原道真は極めて優秀かつ実直でそれが嫌われて大宰府に流される羽目になったが、どうやらそんな気風を受け継いでいるかのようである。
さて、最近のこと
日韓併合100周年に当たり、[首相談話]を発表し、韓国に謝罪の意を表し、文化財を引き渡すといういいことが話題になている。
賛否両論あるようだが、
[吉備楽土]」としては、どちらかと言えば、日本と韓国は同祖同根であると見ているので、日韓両国は同族国家として、協力一致することが一族として、すなわち日本にも韓国にも良い結果をもたらすと考えている。
ただ、日韓両国は同族だとしても、お互い怨恨の歴史を持っている。韓国側とすれば、日韓併合とその後の日本による植民地政策は、今回の首相談話にあるように、韓国国民の意志や意向を無視して行われていたことは否めない。当時の国際情勢として、ロシアの南下を防止するという大義名分があったとしても、韓国と日本が一つにならなければならなかったとしても、重い恨みを残すやり方を回避することはできたはずである。
秀吉の時代の朝鮮出兵も、大きな傷跡をいまだに残していいる。
一方日本側からすれば、日本は、新羅に滅ぼされた伽耶や、百済の末裔が多く移り住んで作った国だと考えれば、半島に対する複雑な思いも当然あったと言える。

さて、今回の首相談話、韓国側としては歓迎されているようだが、日本の中には快く思っていない人たちも多くいる。
かって岡山出身の政治家、明治以降でも、犬養毅、宇垣一成、平沼騏一郎、命を狙われたり、非難を受けたり、勤皇愛国でありながら、実直であるがゆえに、あらぬ憎しみを受けた人物が多い。
細心の注意を払うこと、国民感情の微妙なあやを推し量ることも必要かもしれない。

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