岡山人物銘々伝を語る会
4月例会は 絹糸紡績の発展に貢献した[鶴見良憲]がテーマです。
日時は:4月20日(金)午後6時~8時
会場は:ゆうあいセンター(きらめきぷらざ2F)
講師は田中浩明さんです。
会費は500円です。
ご参加ください!
2012年4月11日水曜日
今後あるべき、経済社会政治体制は?
今ある、民主主義体制、市場経済社会、そして社会性のど数々・・・すべてが限界に来ている。今のままでいいものは何も無い。
今後21世紀以降の、経済社会政治体制はどうあるべきであって、またどのように変わっていくのか?
今時代の大変革期である。
万民が幸福な社会と言うのは一致している。しかしそれをどう実現していくのか、なぜそれがこれまで実現してこなかったのかを検証していかねばならない。
ある人は、「政府も要らない。金融機関、お金も要らない。」と言う。果たしてそうなのか?そうなのかもしれない?そうではないのかもしれない?
多数決原理による議会制民主主義がその限界にきていることは明らかである。
市場原理を中心とした自由主義経済も、格差社会や環境破壊など負の面がクローズアップされてきている。
この地球上に生きるすべての人びとが平等かつ幸福に豊かに暮らすすべはないのか?!
そのことがより前進化。発展化する方策はないのか?
そのことを過去から現在に至るまで、極めて多くの思想家や、宗教家やそしてあらゆる人びとが考え続けて本を書き、文章に表し、あるいはそれをそのごとくに実行しようとして、一部成功したものもあれば、まったく空想的だったものもある。
とにかく何かを決め付けて考えると言うのは良くない。間違いを犯しやすい。
諸悪の根源は資本主義体制だとして、資本化打倒といって、社会主義革命を行った共産主義・マルクス主義などはその失敗の典型であろう。
最近日本でも、なんでも規制緩和、自由化、民営化すれば良いといって政策が実行されたがその弊害が大きい。
事の問題は何か?
(つづく)
今後21世紀以降の、経済社会政治体制はどうあるべきであって、またどのように変わっていくのか?
今時代の大変革期である。
万民が幸福な社会と言うのは一致している。しかしそれをどう実現していくのか、なぜそれがこれまで実現してこなかったのかを検証していかねばならない。
ある人は、「政府も要らない。金融機関、お金も要らない。」と言う。果たしてそうなのか?そうなのかもしれない?そうではないのかもしれない?
多数決原理による議会制民主主義がその限界にきていることは明らかである。
市場原理を中心とした自由主義経済も、格差社会や環境破壊など負の面がクローズアップされてきている。
この地球上に生きるすべての人びとが平等かつ幸福に豊かに暮らすすべはないのか?!
そのことがより前進化。発展化する方策はないのか?
そのことを過去から現在に至るまで、極めて多くの思想家や、宗教家やそしてあらゆる人びとが考え続けて本を書き、文章に表し、あるいはそれをそのごとくに実行しようとして、一部成功したものもあれば、まったく空想的だったものもある。
とにかく何かを決め付けて考えると言うのは良くない。間違いを犯しやすい。
諸悪の根源は資本主義体制だとして、資本化打倒といって、社会主義革命を行った共産主義・マルクス主義などはその失敗の典型であろう。
最近日本でも、なんでも規制緩和、自由化、民営化すれば良いといって政策が実行されたがその弊害が大きい。
事の問題は何か?
(つづく)
2012年4月7日土曜日
物部は吉備である。そして吉備歴史探訪会4月例会
吉備歴史探訪会4月は[石上布都魂神社]訪問予定
4月28日(土)現地10:00 宮司さんにお願いしてお話を伺います。
ここの宮司さんが物部忠三郎さん
ここの神社はスサノオの命がヤマタノオロチを退治した時使われた剣が納められたところと伝えられる神社である。
さて、「物部=吉備」説は最近歴史作家の関裕二氏の著作に詳しい。
私もかねてから大和の王朝は[吉備]がその成立に深く係わっている。それは物部の一族ではなかったか。との推論をしていたが、関裕二氏の論はそれとほぼ一致する。
出雲と吉備との関係。そして大和王朝の成立過程。
蘇我氏と物部氏の係わり。
このあたりを整理すると、[吉備]の姿がわかり。逆に日本の歴史、特に日本文化成立の過程が見えてくる。
4月28日(土)現地10:00 宮司さんにお願いしてお話を伺います。
ここの宮司さんが物部忠三郎さん
ここの神社はスサノオの命がヤマタノオロチを退治した時使われた剣が納められたところと伝えられる神社である。
さて、「物部=吉備」説は最近歴史作家の関裕二氏の著作に詳しい。
私もかねてから大和の王朝は[吉備]がその成立に深く係わっている。それは物部の一族ではなかったか。との推論をしていたが、関裕二氏の論はそれとほぼ一致する。
出雲と吉備との関係。そして大和王朝の成立過程。
蘇我氏と物部氏の係わり。
このあたりを整理すると、[吉備]の姿がわかり。逆に日本の歴史、特に日本文化成立の過程が見えてくる。
2012年3月30日金曜日
永遠に語り告げられていくものもあれば、その時代、そのときに必要とされるものもある。
BOOKS吉備に投稿したが、・・・・
本にも・・・、永遠のベストセラーと言うものがあれば、一過的なベストセラーで終わるものもある。
時代と言うものは変化して行っている。そしてその中には変わるものと変わらないものとがある。
どちらが価値があるとかないとかということではない。いずれも必要だ!
その時代にあった、その時その場に必要なものもあれば、変わらない真理のように一貫して語り継げられるものもある。
どちらも必要!
宗教やいろんな企業や、団体もそうであろう。
特に宗教は、その開祖がその時代に必要な教えを説くことが多い。逆にその時代には受け入れられないが後の時代にその価値を発揮する場合もある。世界の主要宗教といったものはそうかもしれない。その代表格がイエスキリストかもしれない。
まあ、何処の宗教でも、自分のところの開祖が一番と言うだろうし、そう言わないと宗教団体は成り立たないだろうが・・・
さて、親鸞聖人は非常に聖徳太子を尊敬していたと言う・・・。これはある浄土真宗のお坊さんの書いた本の中にあったのだが・・・・、また法然上人はとても弘法大師を尊敬していて、讃岐に流された時、弘法大師の故郷に行けたと喜んで、善通寺に塔を寄進している。それを聞いた親鸞聖人は同じく善通寺にお堂を寄進している。
世界的にはマホメットは非常にイエス・キリストを尊敬していたと言う話である。聞いた話であるが・・イスラム教は偶像を排して、絵や像を廃棄したが、マホメットはイエスのイコンだけは廃棄させなかったという。
今では対立的な宗派のように思われているその各宗派の開祖たちは実は結構お互い尊敬しあっていて、共通の心の世界に生きていたのかもしれない。その後の継承者たちは、教団を守り拡大するために他の宗教を非難したり罵倒して宗教・宗派争いをしている。開祖の先生方がっかりしているのでは・・・とも思う。
人間の本質は永遠性を追求する。しかし人間は現実に生きている。このあたりにギャップが生まれる要因があるのか・・・?
2012年3月29日木曜日
分かち合いの文化
大震災の瓦礫を受け入れる、受け入れないといっているが・・・
日本には分かち合いの文化は無いのか。
喜びもそして苦しみも、ともに分かち合って生きていこうと言うのが日本人だったのではないのか。
権利ばかりが主張される時代になってしまっている。
筝曲家の大月宗明先生は、それを[格差の奴隷]だと言われる。
人が困っていれば・・恵んでやる・・・義捐金は恵んでやるが、傷みは分かたない
これってなんなんだ!
それに引き換え、天皇陛下が計画停電の時、皇居も電気を消して過ごされたと言うことを聞いて感動した。
本らに日本には分かち合う文化があったはずである。
それでこそ、世界から尊敬され、世界から崇敬され、頼りにされる日本になる。
本来日本にはそのような歴史的な使命があると思う。
それをどう回復していくのか・・・みんなの知恵を寄せ合って行こう。
日本には分かち合いの文化は無いのか。
喜びもそして苦しみも、ともに分かち合って生きていこうと言うのが日本人だったのではないのか。
権利ばかりが主張される時代になってしまっている。
筝曲家の大月宗明先生は、それを[格差の奴隷]だと言われる。
人が困っていれば・・恵んでやる・・・義捐金は恵んでやるが、傷みは分かたない
これってなんなんだ!
それに引き換え、天皇陛下が計画停電の時、皇居も電気を消して過ごされたと言うことを聞いて感動した。
本らに日本には分かち合う文化があったはずである。
それでこそ、世界から尊敬され、世界から崇敬され、頼りにされる日本になる。
本来日本にはそのような歴史的な使命があると思う。
それをどう回復していくのか・・・みんなの知恵を寄せ合って行こう。
2012年3月28日水曜日
宇喜多の別姓が秦だとすると・・・・
「黄蕨(きび)国と宝木伝説」 http://www.geocities.jp/ki_warabi/
を主宰しておられる丸谷氏の論文によると[宇喜多の本姓は”秦”」であるとのこと。
香川で歴史研究をしておられれる大井透氏からの情報として丸谷氏からいただいた情報です。
以下引用させていただきます。
2月23日に大井 透氏より秦氏関連の情報提供があった。吉備に多くの秦氏が入植していることからみて関係があると思いメールしました。
豊臣家の五大老の宇喜多家は本姓が秦氏です。この情報は観音寺じんねいん神恵院(香川県観音寺市八幡町1-2-7)に伝わる『弘化録』(弘化録 は、空、風、火、水、地の五巻からなり、同寺の第七十四代住職光遍法印が編集。703年(大宝三)から1845年(弘化二)までの寺歴や観音寺周辺の出来 事だけでなく、国家の歴史的な事象を歴代住職ごとにまとめている)に記載されています。この寺の別当には空海や足利尊氏の庶長子もおり、その為西讃では第 一の権勢を誇った寺社です。仙石秀久の讃岐侵攻の際、宇喜多一族は西讃地方で所領を与えられ「宇喜多」あるいは「浮田」と名乗り、大地主として農地解放ま で栄えていました。その宇喜多家の一人が江戸期に琴弾八幡宮(香川県観音寺市八幡町1-1-1)に奉納した際の名簿に載っているのです。ネットでは宇喜多 家は百済の末裔とか載っているのもありますが本当のところはよくわかりません。温羅も百済の王子という伝承も突厥の範疇の一部と理解できるのではないで しょうか。
宇喜多が秦氏とすると・・・・
児島高徳も秦氏・・・?
児島高徳が挙兵した熊山は有名な熊山遺跡の建造に秦氏が係わっていたことはすでによく知られている。そして児島高徳が船坂峠で戦って傷を負って治療のために匿われたのが坂越、ここの児島高徳の墓もある。坂越と言えば秦川勝が最後にたどり着き葬られた生島があり、大避神社がある。坂越は秦氏の故郷のようなところである。
吉備の秦氏と宇喜多家の血統的なつながりが明らかになれば、吉備の歴史の重要な部分がみな解けて来る。
[宇喜多騒動]というのがあった。家臣の中にキリシタンに改宗する者が出てきた。宇喜多秀家が重用した、長船紀伊守がその代表と言われれる。
日本にキリスト教を伝来したと教えられているフランシスコ・ザビエルの日記を見ると、日本人はすでにキリスト教伝来以前から、キリスト教と同じような信仰を持っていたことが伺われる。
秦氏=原始キリスト教徒あるいは景教徒との説がある。ケン・ジョセフ氏の[失われた十字架の国日本]などに明らかである。
丸谷氏は秦氏の元郷は中央アジア、シルクロードにあった弓月国であるとしているが、これは秦氏を率いてきたのが弓月王でるあるという日本書紀や新撰姓氏録に明らかである。
弓月国が原始キリスト教あるいは景教の国家であった可能性はきわめて高い。さらに魏志には秦始皇帝の時代に多くの難民が朝鮮半島南部に逃れ国を作ったとの記録がある。これが辰韓であり、新羅のもととなった。
秦氏の持つ宗教性から見ると、秦氏の少なくとも主力はユダヤ人原始キリスト教とであったとの推論はかなりの確立で正しいと言わざるを得ないであろう。
景教はネストリウス派とも言われ、一時はローマカソリックから異端視されキリスト教として扱われなかった時代があるが、近年和解した。
ある面、もっともキリストの教を忠実に受け継いだのが景教だったとも言われている。イエスの弟子の一人トマスがインドに宣教に行って殉教した話がケン・ジョセフ氏の本にもある。
そうすると、日本にはザビエルが日本にやってくるはるか以前、おおよそ2~3世紀ころには遅くも、その教が伝わっていたとしても間違いないであろう。
京都太秦の広隆寺も元は葛野にあって、それはまさに景教の寺院だったと言われている。秦川勝が側近を務めていたといわれる聖徳太子の伝説にキリストの誕生伝説に似通った話しが出てくるのも不思議ではない。
ザビエルが日本に来て、一挙にキリシタンに改宗したと言われるが、その土台がなければ何十万という人々が一挙に改宗などするはずが無い。それはその以前から名前やスタイルは違っていても同じ教えがこの日本に広まっていたからではないのか?
宇喜多が秦氏とすると、長船紀伊を始め家臣や領民の多くがすでにその以前から、キリストの教えに教化されていた人々であった。それは秦氏であった。と言うことになるのではないだろうか。
それではなぜ、日本は仏教国なのに?
それは、日本に伝わった仏教はすでにキリスト教と仏教が融合した形で伝わっていた。それは弥勒という形で・・・。それと徳川300年の鎖国政策とキリシタン禁教の中で、完全にキリストの教えの本質は外形が仏教や儒教と言う形の中に融合され、外形的なキリシタンと言うものが故意に抹殺され続けられて来た結果であろう。
幕末期から明治初めにかけての新興諸宗教が、その教えの内容に係わりなく神道の形を取らざるを得なかったように、日本に伝わったキリストの教えは仏教の衣を纏わざるを得なかったのである。
このあたりもう少し今後整理していきたい。
2012年3月24日土曜日
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