丸山古墳
日本書紀には応神天皇が兄媛に会いに葉田の葦守宮を訪ねたとあるが、古事記には、黒日売が皇后のねたみに耐えられず吉備へ逃げ帰った。その黒日売に会いたさから、淡路に行幸すると偽ってひそかに会いに行くとある。
応神天皇はその愛する妃のために、吉備国の一部を割いて織部県を所領として与えた。その織部県は吉井側の東側、旧邑久郡北部の平野部、服部集落を中心とした地域である。ここはすぐ南には土師の集落、さらに東南には須恵の集落があり渡来人の居住地であったといわれる。
この服部集落の北香登の集落の向かいに鶴山という小山がありその頂に丸山古墳というのがある。この古墳からはくりぬきの石棺があり、そこから巨大な管玉などとともに30面からの鏡が発見された。
立派な石棺といい、その場所から見てもこの古墳は黒日売のものと思われる。
黒日売は古事記には吉備海部直の娘であると記されている。
ここで問題は吉備海部直、すなわち大伯国造は吉備一族とは血縁関係がなかったということである。この地域は吉備本国の域外であったといわれるが、このあたりのことはまた検証しよう。
吉備の古代王国(鳥越憲三郎著)参照
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