「吉備の邪馬台国と大和の狗奴国」若井正和著 (歴研)
邪馬台国吉備説を大胆に述べている。著者は掛川市在住で掛川市立総合病院副医務局長・神経内科診療部長『歴史研究』に「邪馬台国吉備説の提唱」ほかを書かれている。
楯築遺跡は弥生式墳丘墓後期のもので、発掘した近藤義郎教授は出土した特殊器台と特殊壺を重要視していた。古代祭祀研究家の薬師寺慎一先生も楯築遺跡で行われたであろう祭祀を重要視して、魏志倭人伝に出てくる「卑弥呼」が行ったとみられる祭祀がここ吉備の地、楯築を中心とする地域で行われただろうと推論している。
著者の若井氏は魏志倭人伝における「邪馬台国と卑弥呼」の記述をさまざまに検証しながら、大和説、九州説共に不備な内容が多く、邪馬台国を吉備と比定してこそ、すべてがつじつまが合ってくると、詳しく論述している。
「やまと」とは何か?単なる地名ではない。若井氏の論によると魏志倭人伝に出てくる「狗奴国」を当時、大和(奈良盆地を中心とした地)の王国とし、邪馬台国は吉備にあって倭国をまとめた王権、女王国とすることで、古事記、日本書紀の記述と合わせ、すべての論理がつながるという。
結論、卑弥呼の墓は楯築遺跡に近い、「桃太郎伝説」にも登場する「鯉喰神社」であるとする。
「鯉喰神社」は楯築遺跡にほど近く、明治に楯築遺跡にあった楯築神社を合祀している。神社は楯築遺跡に匹敵する弥生式墳丘墓に建てられている。
造山古墳応神天皇陵説と合わせ、邪馬台国吉備説は、古代における吉備の位置づけが、単にこれまで言われてきたような大和に対抗する王国にとどまらず、「倭国」の中心地であった可能性を示唆している。
これらが秦氏や賀陽族など渡来の集団と、その技術や文化とのかかわりを見ていけば、古代吉備の真実の姿が浮かび上がってくるようである。
新羅の王子と言われた天日矛とのかかわりも注目に値する。
大和王権で祭祀をつかさどる同時に鉄の鋳造技術を持っていた物部一族との関係も見逃せない。
このあたりさらに整理してみることが必要。
それにしてもこの若井正一氏の「邪馬台国吉備説」はかなり説得力のあるもの。古代吉備王国の真相に迫る。
3月13日鯉喰神社を訪れました。
1 件のコメント:
私もその説に大賛成です❗
もっと広く広まって、見に来てくださーい。
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