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2011年9月14日水曜日

没落する秦氏と侍の登場

平安朝造営に多大な貢献をした秦氏。
平安京はまさに秦氏の都と言ってもいいくらいに、秦氏の持つ宗教や技術が取り入れられ、さらに多くの秦氏が住んでいた。
しかし、そのような秦氏が、平安の中期を過ぎるようになるとだんだんと没落していくようになる。
職能の民であった秦氏であるが、やはり百済系といわれる藤原氏が全盛を迎えていったように、今来の渡来人である百済系の人々がその勢力を拡大し、秦氏の民の中には賎民化していくものが多くなってきた。
関東武士団は没落した渡来人たちであるとも言われる。製鉄や武器製造にかかわってきた渡来人たちが自ら武装集団化していったのが武士団の始まりであると言う。「侍」と言うのはもともと被差別民を呼ぶ言葉であった。
鎌倉の源氏の武士たちがなぜ鶴岡に八幡宮を勧請したのか?そしてその後武士たちの守護神は「八幡大菩薩」になった。八幡宮の総鎮守は九州豊国の宇佐八幡宮である。八幡宮は秦氏の祀った神である。その秦氏の神様をなぜ、関東武士たちが崇敬したのか?・・・・・・・

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