日本最古の寺、元興寺 世界遺産に登録されている
ちょうど地蔵盆の供養の日で多くの参拝客が集まっていた。万灯供養があって参拝者はかわらけに供養の言葉を記して明かりを灯すのである。
夜には万灯の灯りとともに演奏会がある。そのリハーサルの筝の音が響いていた。
さて、すぐ近くに猿沢の池があり、その先は興福寺とのことで行ってみた。
猿沢の池の先、一段高い位置にあるのが「興福寺」奈良を代表する寺院で、多くの修学旅行生が訪れていた。
実はこの興福寺、藤原氏の寺である。
眼下の元興寺は蘇我氏の寺
元興寺はできた当初、広大な敷地を誇っていたそうであるが、いつの間にか無住となり、いつの間にか無住のものが住み着くようになり、「鬼の寺」というようになって行った。
思えば・・・
いわゆる大化の改新以来、時代は藤原の天下、蘇我氏は悪者にされて時代を経過していった。
蘇我氏の寺が寂れるのは当たり前のこと・・・
蘇我氏の名前と言えば、「蘇我入鹿」や「蘇我蝦夷」というように蔑視した名前で伝えられてきた。われわれもそのように教えられてきた。
果たして曽我氏はそのように悪者だったのであろうか?
元興寺:日本最古の寺を創建した蘇我氏
日本は仏教国といわれるがその仏教を日本に持ち込み定着したのが「蘇我氏」である。
聖徳太子も曽我氏の一族であった。
われわれは聖徳太子の王子、山背大兄が蘇我氏に滅ぼされたと学んだが・・本当だろうか?
聞くところによると、藤原氏(中臣氏)は百済からの渡来人が先祖と言う
蘇我氏は新羅系だとも言われる。
後発的に日本にやってきた百済系の渡来人中臣氏が先に来て基盤を作ってきた蘇我氏を打ち倒して政権を奪ったのが大化の改新とも言えるのでは。
元興寺の地域一帯は「奈良町」と言われて、古くからの奈良の町だそうである。
その後の住職の努力で復興してきている元興寺の姿を見ながら、蘇我氏って我々が学んで来たような悪者ではなくて、後発の渡来人集団によって滅ぼされ、あるいはその子孫は差別と蔑視を受けてきたのではとの思いが強くなる。
法隆寺も蘇我氏の怨みを封じるために建てた寺
祀られているのも「聖徳太子」ではなく「蘇我入鹿」ではないかとも聞いた。
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