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2014年4月5日土曜日

岡山人物銘々伝を語る会3月まとめと4月案内

「岡山人物銘々伝を語る会」第94回例会のご案内
                             
93回(312日)の例会は、代表の黒田照市さんが「黒田官兵衛を語る」でした。黒田官兵衛は今年の大河ドラマ、注目の人物です。岡山では黒田家ゆかりの備前福岡や、水責めの高松城址に注目が集まっています。今回は黒田さんが、①有岡城に説得に行くも捕縛投獄されその開放まで ②高松城水責め ③小田原城にて北条父子との直談判 この三つのテーマに絞って逸話を語ってくれました。最後はお馴染みの黒田節成立の一節を諳んじてくれました。さすが長年の経験、見事なものでした。
今回は備前福岡でボランティアガイドをしている松尾昭男さんも来られ、大河ドラマが始まって例年考えられないほどの見学客が殺到しているとのお話でした。また今回は直接お話はいただけませんでしたが、岡山歴史研究会の天野会長より提供していただいた黒田家播磨起源説の資料も全員に配布させていただきました。今回黒田官兵衛がテーマということで来られた方も多くいろいろ質疑応答して終えました。
(山田)
 月の例会ご案内 
以下の予定で4月例会を開催いたします。ご参加お待ちしています。参加お申し込みください。
             記
     日時:  平成26418() 午後68  3金曜日(※通例は第3金曜日です)
     場所:  岡山県立図書館 2階 サークル活動室 
     内容: 「黒住宗忠を語る
講師: 黒住教教学局学院長 黒住信彰氏
     参加費:1000円 
  【4月例会】 テーマ:黒住宗忠
岡山は数多くの宗教家を輩出していますが、その中でも代表的な一人が黒住教教祖黒住宗忠です。
 黒住宗忠は安永9年(1780)今村宮禰宜の家に生まれました。幼い頃から親孝行で有名で、藩からも表彰されるほどでした。ところが23歳の時、母そして父までが急な腹痛で病に倒れ、必死の看病にもかかわらず相次いで亡くなってします。相次いで両親を失った悲しみから極度の神経衰弱に陥り結核をも患い、もはや命も無いかと思われましたが、文化11(1814)冬至の朝、太陽を浴びる中に忽然と天照太神と一体となる霊的体験をします。(天命直受)その日から病気もみるみる回復、その後その体験を人々に語りながら病気や悩みを持った人々を数しれず救済していきました。生涯、教えを述べながら嘉永3年(1850)昇天、享年71歳でした。その後その教えはその弟子たちによって広められ、とりわけ京では皇室や公家の信仰が篤く、吉田神道の地、神楽岡に宗忠神社が創建され、孝明天皇の勅願所にもなっていきました。
 今年は天命直受の開教から200年、郷土にも根付いた黒住教教主黒住宗忠の歩みを黒住教教学局学院長の黒住信彰さんから伺うことといたします。

 山陽新聞情報ひろばにて案内予定です。(4月10日木曜日掲載予定)お誘いあわせの上ご参加ください。

2014年3月21日金曜日

黒田官兵衛を語る~岡山人物銘々伝を語る会代表黒田輝一さん

3月14日(金)午後6時から岡山県立図書館のサークル活動室で、岡山人物銘々伝を語る会の例会が 開かれました。
 今回は会代表の黒田輝一さんが、「黒田官兵衛を語る」と題し、黒田官兵衛の主な戦いの逸話と「黒田武士」の歌の由来を朗唱してくれました。
黒田さんの話が始まる前に事務局から、今回来場の都合がつかなかった岡山歴史研究会の天野会長が準備してくれた「黒田家播磨黒田荘出身説」の資料を紹介、また4月29日に開催予定の岡山歴史研究会の総会(テーマが黒田官兵衛)の紹介を行いました。
 また、備前福岡(瀬戸内市)でボランティアガイドをされている松尾昭男さんも来られていましたので、大河ドラマが始まっての福岡の様子など伺いました。例年ではあり得なかった観光バスでの来訪など、その対応に嬉しい悲鳴をあげてりる状態だとのことでした。
 
黒田さんの話のあとは質疑応答で賑やかな時間を過ごして語る会は終わりました。

次回は4月18日(金)今回と同じく岡山県立図書館Fサークル活動室で開かれます。
テーマは「黒住宗忠を語る」と題して、立教200年を迎える黒住教教祖黒住宗忠の伝記を語ります。
講師は黒住教教学局学長黒住彰先生にお願いしています。




2014年3月1日土曜日

岡山人物銘々伝を語る会月のまとめと3月案内~3月は14日(金)県立図書館で「黒田官兵衛と岡山~黒田家と福岡」です

                                平成2631
「岡山人物銘々伝を語る会」第93回例会のご案内
                             
92回(221日)の例会は。山田が熊沢蕃山ーその師中江藤樹と陽明学」でした。熊沢蕃山は岡山では名君池田光政公に仕え、その後京や明石、大和郡山などを遍歴し最後は古河で一生を終えます。地元岡山では旭川大洪水の時に被災者を救援するなどの業績はありますが、新田開発や後楽園の築造などを手がけた津田永忠などの方がその業績は高く評価されているようです。
今回は内村鑑三著の「代表的日本人」の中江藤樹の章に記述された、中江藤樹と熊沢蕃山の出会い、また この師弟と陽明学との出会いを軸に、江戸~明治の学者や政治家等に与えた藤樹~蕃山~陽明学の果たした役割を検証しました。熊沢番山は勿論岡山藩での活躍など生前の歩みも目覚しいものがありますが、集義和書をはじめとするその著作が後世に与えた影響がとても大きい人物です。
 中でも大和郡山時代に執筆した「大学或問」は江戸幕府から禁書とされたにも関わらず幕末には極めて多くの学者や文人に読まれて「この人この書あり」と評価され、明治維新前後の人士の活躍にひとかたならぬ影響を与えています。今回はこのあたりを語らせていただきました。
 話が少々長くなり、参加した皆さんの見解や感想をもっと聞いて話を盛り上げれば良かったと反省しております。みなさん申し訳ありませんでした。(山田)
 3月の日程変更 :3月は21日が祝日であり。県立図書館ほか休館日が多く会場の確保が難しいため今回参加のみなさんのご都合などお聞きして一週間前の3月14日(金)に開催することとなりました。ご注意ください。                   記
     日時:  平成2614() 午後68  第2金曜日(※通例は第3金曜日です)
     場所:  岡山県立図書館 2階 サークル活動室 
     内容: 「黒田官兵衛と岡山~黒田家と福岡
講師: 代表 黒田輝一 氏 ほか
     参加費:500円 
  【3月例会】 3月は通常より1週間早い開催となります。さて、今年はNHK大河ドラマが待望の「黒田官兵衛」官兵衛ゆかりの史跡を多く持つ岡山県でも、様々な企画がなされています。当会でも代表の黒田さんが何度か取り上げたテーマですがあらためて今回取り上げたいと思います。
 今回は黒田家のルーツについて新資料が発見されたということで岡山歴史研究会の天野会長より資料をご提供いただいています。(山﨑副会長がお持ちくださいます)また黒田家ゆかりの備前福岡で長く観光ボランティアをされている松尾昭男さんにもおいでいただき地元福岡から見た黒田家についてお話を伺いたいと思っています。メインの話はこれまで何度か黒田官兵衛の話をされた代表の黒田さんです。みなさまも是非関心を持っていい資料や情報などありましたらお持ち寄りください。活発な語る会にできればと存じます。
 山陽新聞情報ひろばにて案内予定です。(3月6日木曜日掲載予定)お誘いあわせの上ご参加ください。
(上記通常例会の件、お手数ですが、下記にて出欠をお知らせ下さいますようお願いいたします) 

参加希望は山田まで
 090-1033-3327

2014年2月12日水曜日

日本発!イスラームが世界を救う

澤田沙葉師の本を読みました。

東大卒業後修道の道を歩み、唯一神道8代目の継承者となり、カソリックの信者として世界基督教民主同盟の日本代表を務めさらには日本のイスラームの代表としてサンドのメッカ巡礼を行った。日本の古神道とキリスト教、イスラームの共通性を説いたのが澤田沙葉師です。

十数年前何度かお会いし、岡山に来られた時は高松稲荷や瑜伽山を案内しながら、古神道や吉備中山のこと、稲荷と秦氏のつながりなどいろいろお教えいただきました。

数年前にお亡くなりになられて非常に残念ですが、その時教えていただいた、日本と日本宗教、世界と世界宗教の関わり、さらには吉備国と秦氏との関わりなどとても重要な示唆に富む内容でした。

私が「秦氏」にことさら関心を抱くようになったのも澤田先生にお会いしてからです。高松稲荷では「稲荷は秦氏の氏神様だから~」と言われながら岩座を確認されて行きました。瑜伽山でも同様です。瑜伽神社はもともと岩座のあった場所です。瑜伽神社本殿の背後は岩座です。宮司に案内してもらいながらそのことを確認しました。
(22日の歴史探訪ではその辺も確認する予定です。)


さて、この本にその当時教えていただいた内容がすべて書かれているように思います。

澤田先生の遺著ともいうべき本ですが、その中でもイスラームの本質に触れる内容があります。それは今日我々がイスラムに関してしている知識とかなり違っていると思います。
特にクルアーン(コーラン)に対する正しい理解です。その中でも注目されるのはイエス・キリストに関する伝承です。これは今日のイスラム法学者たちも知っているはずだと澤田先生は言われます。

本著の中には石上神社に関する記述もあります。また大本教に関する内容もあります。日本の宗教と伝承にはイスラームに通ずる内容がとても多くあると澤田先生はいわれます。

今後の世界が一致化していく上で、宗教の一致は避けて通れません。日本の古神道とキリスト教とイスラームの一致点を澤田先生は明らかにしています。今日の世界情勢の推移において日本の役割が大きくなっていますが、宗教的な正しい理解がなければ、今後の世界で主導的な役割は果たせません。
それらの問題の回答はまさに澤田先生の中にあると言えます。

澤田先生はまさにマルチ宗教者で、今後の世界宗教の最終的動向を予言する内容が本著にはしたためられています。私もさらに理解を深めたいと思っていますが、皆様にもお勧めします。

Amazon
「日本発!イスラームが世界を救う」
澤田沙葉:著

2014年2月11日火曜日

吉備歴史探訪会2月の例会は吉備の児島に~

2月22日(土)吉備歴史探訪会~以下のごとく企画しました。
吉備の国児島の史跡を訪ねます。
9:30 熊野神社(倉敷市林)スタート
~瑜伽山・・・瑜伽神社・蓮台寺~金比羅山との両参りや岩座信仰の歴史など考察
~田の口・・・広重の六十余国名所図会にも描かれた田の口港の瑜伽神社鳥居~
~鷲羽山・・下津井港
~野崎邸・・
14:30頃解散予定
当日参加自由ですが資料の準備のため参加希望は山田(090-1033-3327)までご連絡ください(資料代300円)

2014年2月4日火曜日

歴史を変えた郷土の人~熊沢蕃山

岡山人物銘々伝を語る会2月21日の例会は第91回目になります。
この回のきっかけは会代表の黒田輝一さんが現在代表代行を務める久井勲さんの書いた「和気清麻呂」を読んだところから始まります。
桓武天皇のもと平安京造営をなした和気清麻呂ですが、同時代に活躍した吉備真備とともに奈良時代から平安時代にかけての日本の歴史に決定的な役割を演じた人物でした。
久井勲さんの語る「和気清麻呂」が第1回、吉備真備が第2回のテーマでした。
そして第3回がやはり久井勲さんによる「熊沢蕃山」でした。

この「熊沢蕃山」について、今回もう一度山田がテーマとして取り上げたいと思います。
「熊沢蕃山ーその師中江藤樹と陽明学」のタイトルを決めました。

内村鑑三が「代表的日本人(原題 Representative Men of Japan)」の中で紹介した5人の代表的日本人の中の一人中江藤樹の項を見ると、かなりのページを割いて熊沢蕃山と備前岡山藩主池田光政との関わりと陽明学について書いている。
幕末から明治にかけてさらには戦前戦後を通して日本の政治思想に多大な影響を及ぼした日本の陽明学の祖は中江藤樹となっているが、中江藤樹という人物とその思想が後世に影響を残すきっかけが熊沢蕃山の入門にありました。中江藤樹という近江の田舎の儒学者と備前池田藩士だった熊沢蕃山との出会いと交友、さらに師の中江藤樹が王陽明全集に出会い、王陽明の思想に感銘を受けさらにその思想が熊沢蕃山を通して江戸時代の朝野に影響を与え、さらには幕末の志士たちに影響を与えて行くのである。

我が郷土が誇る偉人の一人山田方谷先生もその影響を受けた一人である。

岡山に帰った熊沢蕃山は藩主池田光政のもと中江藤樹から学んだ学問を藩政に活かし多大な活躍をするが、藩政を巡っての藩主池田光政や藩士たちとの行き違いからか隠居し蕃山村に遁世、その後岡山を離れるが、徳川の学問を司っていた林羅山などから危険人物と見なされるようになり、京都、明石最後は古河に幽閉されるよう立場で最期を遂げている。

若き頃の活躍に比べ岡山を離れてからの蕃山はいかにも不遇であるかのごとくだが、この間彼は多く思索し、多くの著述を残している。その代表か「集義和書」である。

熊沢蕃山の著述は多くの儒学者が漢文で著述するなかで和文で書かれており、学問の中身も陽明学者とは言われるが、朱子学にせよ陽明学にせよそれをそのまま学ぶのではなく、あくまでも自分自身の精神の修養と思想の確立の資料としているに過ぎない。この姿勢はその師の中江藤樹もしかりである。

蕃山の学問に対する姿勢は実に自由闊達である。歯に衣着せぬ表現や発言は時として多くの反対や抑圧を生むことになるが、それらを殊更に気にする体もない。陽明学で言うところの「良知」にいかに至るかということが彼の眼目のすべてのようである。
そもそも王陽明自身が自由闊達な考えを持った人物であった。王陽明は「知行合一」ということを重要視するが、極めて実践的な考え方である。

熊沢蕃山自身の障害は一見不遇に思えるが、彼の生き様と彼の残した思想や著作はその後、多くはその著作を通しながら、江戸期、さらには幕末、明治、そして現代に至るまで日本を指導する数多くの人々の精神的理念的な影響をとてもつもなく大きく残していることを実感する。

表向きの歴史にはあまり大きく取り上げられてこなかった熊沢蕃山だが、実は日本の歴史にとてつもなく大きな影響を及ぼした、歴史を変えた人物であると思う。

2月21日(金)18時から岡山県立図書館で皆様と熊沢番山について語りあいたいと思いますのでぜひご参加ください。

2014年1月30日木曜日

熊沢蕃山の果たした役割

2月21日(金)岡山県立図書館のサークル活動室で岡山人物銘々伝を語る会の例会です。
2月は私が「熊沢番山と陽明学」について語ります。皆様のご見解や情報もお教えいただければと期待しています。

主要テーマは「開明思想としての陽明学」あるいは「熊沢蕃山の思想」です。

藩主池田光政と何故決別するようになったのか?その辺もテーマの一つです。

熊沢蕃山という人物がいなければ、名君池田光政も備前岡山藩の様々なその後の業績も無かったのではないでしょうか。
また、熊沢蕃山という人物が中江藤樹の門下となりその教えである陽明学を学び発展させなければその後の日本における陽明学の興隆も無く、特に幕末の多くの儒学者や志士といわれる人物たちが陽明学や熊沢蕃山の思想に共鳴し、新時代を切り開いていったことを考えると、熊沢蕃山とその思想と行動は、日本の政治思想文化で極めて大きな役割を果たして来たことがわかる。

熊沢蕃山は池田光政の元を去ってのちも様々な著作を通して後の政治や学問に多大な影響を及ぼした。
藩主光政公との行き違いの原因は何だったのか?もしや二人が別れ別れにならなかったらどうなっていたのか?興味は尽きない。

幕末の時代の熊沢蕃山に傾注した学者や指導者は多いが、その中でも最も代表的な一人が山田方谷である。
自らの学問の成果を政治で実現していったことにおいても、山田方谷先生は熊沢蕃山の思想を最もそのごとくに実践した代表的人物であると言えるのではないだろうか。

いま日本は壊滅的な敗戦の中から復興し世界でも有数な大国となった。しかし精神的理念や経済政策外交問題など極めて大きな課題を抱えている。
戦国時代の終演した熊沢蕃山の時代、徳川300年の歴史を閉じて世界に飛躍しようとした幕末から明治の時代、この時代に勝るとも劣らない危機的状況にあるとも言える。
いま日本は世界から注目され多くの国々から期待されているが、最も隣国の中国韓国との深刻な摩擦を抱えている。国内的にも国家財政の赤字や、少子化など深刻な課題が多くある。

当面の危機を打開しようと国家のリーダーも必死だが、抜本的解決の道は提示されていない。

熊沢蕃山の思想とその継承者たちの思想の中に問題解決の道があるのではと思う。

2月21日は皆様の見解やご意見も聞きたいと思っています。
ぜひ都合つけてご参加ください。

吉備楽土 代表 山田良三