このブログを検索

2009年7月15日水曜日

建仁寺展

7月18日から岡山県立美術館で建仁寺展が開催される。
しばらく前、栄西禅師のことをいろいろ研究してみたが、栄西禅師の日本の文化に与えた役割は極めて大きい。日本の武士道の形成に大きな役割を与えてきたし、茶道も日本文化の華である。
今回建仁寺の寺宝のみならず、高台寺などの寺宝も展示と聞く。楽しみな展示会である。

2009年6月26日金曜日

高梁 山田方谷 備中松山城 頼久寺





吉備歴史探訪会の仲間と高梁に行ってきた。
「山田方谷の世界」の展示が6月28日までと聞いて急遽、行くことになった。

高梁市の歴史美術館 ここで山田方谷の遺品などが展示してあった。
方谷の書いた書の中に彼の精神、思想を感じることができて、あらためてその偉大さと、その思想をさらに研究してみる好奇心がわいてきた。

昼食後備中松山城に
日本一の山城、これだけの標高のところに、よくこれだけの城を築いたものだと感心する。
まさに天然の要害。昔のお殿様もさぞかしたいへんだったろうと思いをはせる。
城から眺める高梁の町並みは絶景。

帰り道、頼久寺に寄る。
寂室玄光師が開祖と言われる。
かの小堀遠州作と言われる庭は、すばらしい。
しばし、悟りの世界を実感する。
まさにここが備中松山藩の精神文化の中心地と思う。
禅と武士道、そして幕末にはここから陽明学者の山田方谷師が出る。
山田方谷師が寂室玄光師を極めて尊敬していたといわれるが、
改めてそのことを実感する。

禅の果たした役割、陽明学との接点、
山田方谷の改革とその思想、
現代にどのように生かして、未来つなげるか、興味は尽きない。

改めて感じることの多い高梁の街でした。

2009年6月23日火曜日

クラス会

小学校のクラス会を開いた
何十年来の友人たちと談笑しながら
懐かしい思い出話に花が咲いた。
恩師もやってきてくれた。
「認知症が出かかって」と言いながら
小さかったころのエピソード
昨日のことのように覚えてくれている。
忙しさにかまけて、昔を振り返ることを忘れていたが
そこに自分たちの成長の原点があった。
人生それぞれの道を歩み
いろんな苦労を背負ってきたものたちもいるが
苦労の中にも楽しみを見出して
亡くなった友人たちの分までもしっかり生きていこうと
良かった思い出を未来に行かせる歩みをしていこうと
改めて思われた。

2009年6月10日水曜日

栄西禅師と山田方谷

最近発見したことがある。
栄西禅師と山田方谷先生の関係
ともに備中の生んだ偉人であるが
6月14日まで岡山市のデジタルミュージアムで郷土の先人の展示館が開催されている。
その中に、勿論、栄西禅師や、山田方谷先生の展示もあるのだが、
宗教家として、「寂室元光」師も紹介されていた。いまの勝山の出身で鎌倉の後期の禅僧である。
実は、山田方谷先生がとてもこの寂室元光師を尊敬していたということで、
山田方谷先生と言えば陽明学者として有名であるが、禅の影響をとても受けていたといわれる。
栄西禅師は鎌倉仏教の祖の中では、幾分注目度が低く扱われているが、波頭をこえて二度にわたり中国にわたり、禅宗と喫茶の習慣を日本に根付かせた功績は極めて大きいと言わざるを得ない。

津山と内村鑑三



かって、内村鑑三が津山に来たことがあると聞いて、津山に行ってみた。
地元の友人の案内で、作楽神社、平沼騏一郎の墓所、生家を訪ねた後、元の基督教図書館(今は博物館になっている)に行ってみた。
津山藩の御用商人であった、錦屋の当主、森本慶三氏が内村鑑三の話に感銘を
受け、岡山県で初めて津山に呼んだらしい。基督教図書館は二階が礼拝堂になっていて、ここが今展示場になっていて、内村鑑三が津山に来た時の写真
や、手紙などが展示されている。
その中で興味を引いたのが、内村鑑三が、「法然上人」を尊敬していたということである。
法然上人と言えば、美作が生んだ大宗教家である。キリスト教と仏教、何か一致しないようであるが、ウイt村鑑三は、法然上人の教えがキリストの教えと極めて近いものを感じたようで、とても親近感を感じていたようである。
岡山県は全国でもキリスト教がかなり普及した県であるが、当時、津山銀行という、岡山県では最初の民間銀行を創立した、有力者の支援あってのことだったことが、よくわかった。

2009年6月1日月曜日

サンセットイベントin王子ヶ岳


王子が岳山上で行われた、サンセットイベントに行ってきた
夕暮れの瀬戸の海、
あいにく、夕日の美しい景色には恵まれませんでしたが、
それでも、夕暮れの瀬戸の海をバックに奏でる、筝の音、尺八の音は格別の響きを感じるものでした。
最後は、日本筝曲学会の大月宗明師の「春の海」最高でした。
忘れられない情景

2009年5月17日日曜日

文化都市

岡山市が政令指定都市と出発した。
今秋には市長選挙も行われるとのことで、今後の岡山市のビジョンが問われている。
「文化都市」を目指してほしい。
昨日、ある集まりで、夏目漱石が岡山に来ていたとの話を聞いた。
夏目漱石は明治文学の代表的人物。
今でもファンが多い。
歴史的記念の遺跡でもあれば、町おこしになる。
今後の行政は、市民生活の向上の観点に、文化性を良く取り入れてほしい。
教育県、岡山の名前も最近廃れてしまっている。
件の夏目漱石だが、閑谷学校へ行きたかったようだ。が、実現できなかったようで・・
当時友人だった、正岡子規への手紙でも、閑谷学校へ行きたいと書いていたが、岡山の親戚に逗留中、大洪水が起こって、行くどころではなくなったようだ。

幸い、岡山には偉人が多い。偉人を顕彰したり、それらの史跡をめぐる、ガイドをもっと統一的に出来ないものか?

芸術、文化の町づくりが、長い歴史を刻む町を作っていく。
青少年の育成と、青少年の育成の母体となる、家庭を大切にする町づくりはどうか?

既に県内でもそのような町づくりに取り組むところがあると聞く。
経済的豊かさだけを求める、金だけがかかる、町づくりはそろそろ卒業の時では。
豊かな心、豊かな文化の町づくりこそ、岡山の目指す町づくりではないおだろうか。
郷土岡山、吉備の国にはその材料が揃いすぎるくらい、揃っている。