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2013年11月11日月曜日

山田方谷先生も経済的に困窮していた

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かの山田方谷先生の山田家も経済的に困窮していた時期があったという話です。

今日は久方ぶりに矢吹邦彦先生の書かれた山田方谷伝「炎の陽明学」を開いてみて、意外な発見をした。山田家の家計が窮地に瀕していたと言う話である。それも松山藩の藩政改革が実施され、藩財政は豊かになり領民は産業の振興と減税の実施で豊かになり、方谷先生を神様のように仰いでいたのにである。
 当時、方谷先生は藩政改革に成功した松山藩の最高責任者であった。にもかかわらず毎日の生活にも事欠くような貧苦の経済状態で家族8人が生きていくために端の髪飾りを処分したり、慣れない農作業に従事したりして苦境をしのぐ状態だった。
 それは方谷先生が藩の重要な役職にありながら俸禄は藩校の学頭時代とほとんど変わらないのに出費が増えたことである。その中でも最大の出費がかさむようになったのは、全国の他藩からその名声を慕ってくる門人たちを受け入れられるようにと長瀬に新居を普請したことが大きかった。これで家計が完全に回らなくなった。
 著者の矢吹先生は「理財の天才方谷が犯したあまりにうかつな大幅な計算誤りだった」と書いている。
 さすがの方谷先生も追い詰められたのか、この当時の心境をつづった漢詩が残されているそうである。
 我が山田家も、経済的困窮は計り知れず、方谷先生の山田家とは次元が違うが、よく似た心境を味わっている。
 方谷先生も誇り高きお方、どんなに困窮しても藩主や周りの人々に苦境を話すことも出来ない。じっと自らの心の中で耐えるしかない期間だったようである。
 まあ、私には方谷先生も仲間のような親近感を覚えるが、失礼かもしれない。方谷先生も釈迦の生活にあこがれたようだが、たしかにそうかもしれないと思う。

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