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2013年10月19日土曜日

岡山人物銘々伝を語る会~蜂谷道彦あれこれ~井上甫之先生のお話でした

昨日の岡山人物銘々伝を語る会
 「蜂谷道彦あれこれ」井上甫之(いのうえまさゆき)先生の話はとても面白かったです。
三木行治知事と同級生だったのですね。その交友の履歴が面白かったです。蜂谷先生が医学を志したのは三木さんが薦めたから、逆に三木知事の紺のスーツ(生涯同じ紺のスーツでしたね)は蜂谷先生が薦めたからだったそうですね。
 蜂谷先生は超メモ魔だったそうで、原爆投下から、その後の治療の状況など、その後「原爆ノート」が世界18ヶ国語に訳されて、原爆と原爆病の実態が世界に知らされましたが、それもこれも蜂谷先生のメモ魔の賜物。その克明なメモには誰もが舌をまかれたそうです。
 原爆投下後の原爆症の実態の詳密な検査とデータの結果、原爆症の死者や重度の被害は、爆心地近くの直接被爆した人々にのみ見られることを証明し、原爆の投下で数十年は草木も生えないというデマを払拭したなど、極めて科学的な思考方式の方でもあったようです。
 読書が好きで読み出したら読み終わるまで止めなかった。三木さんは丸一日以上も待ったこともあるとか、三木さんも気が長かったようですが・・他にも逸話がいっぱいでした。
 その名前と業績だけ聞くと、ずいぶん生真面目な方かと思っていましたが、案外ユニークな性格の方だったようですね。そうそう、交友関係が広く、マメに手紙も書く人で年賀状は1500通、全世界の人とも手紙で交流していたそうです。
 お話を聞いて、岡山県人、結構ユニークな人が多かったんだなとあらためて感じた次第です。

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