アイアンロード
京大名誉教授で、日本の古代史研究で有名な上田正昭教授が総社市の姫社神社に来たとの話を、姫社神社総代の板倉さんから聞いたが、そのとき上田教授が「鉄産の民が中原から久米南に行った」と講演会で話をしていたとのこと。
法然上人の家系が秦氏とかかわることは明らかになっているが、このあたりのことを今回探ってみる。
久米南町誌を見ると久米南町の北、現在の美咲町に旧錦織村があり、ここには秦氏が祀った「錦織神社」があるとある。欽明天皇の時、秦氏の納める織物の量が山をなすほど多かったとあり、当時の秦氏の繁栄を伝えている。鉄産とともに久米郡の一帯が秦氏の栄えた地域であったのであろう。
今回、誕生寺と、法然上人の両親が、その子を授かるために祈願したと言う本山寺を訪ねる。本山寺に行く途中には「波多神社」がある。もとは畑三社権現と言ったそうだが、ここにも秦氏の名残がある。
探訪会今回は25日土曜日、10時に誕生寺集合です。
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