昨日ゆうあいセンターで岡山人物銘々伝を語る会2月例会が開かれました。
今回講師は津山歴史人物研究会の近藤泰宏氏、テーマは「箕作阮甫と西洋文明」と題して、箕作阮甫の人となりや業績を学んだ。
津山藩の藩医の家に生まれた阮甫は、父、兄を早くなくし幼くして家督を継ぎ、藩医になるが、江戸で町医者を開業していたときに火事に会い、それを機会に翻訳の仕事に専念するようになる。語学の才能を生かして蘭学や洋学を学ぶようになり、翻訳の仕事としてはペリーの来航時、米大統領の親書を翻訳するなど活躍した。
近藤氏の解説では、特に阮甫は洋学を学ぶに当たり、西洋文明の背後にあるキリスト教に関心を持ち、聖書を学んでいたという。
阮甫の生まれた津山は明治以降、キリスト教が盛んになり、内村鑑三も何度も訪れるなどキリスト教の普及したところであるが、今回は近藤氏の西洋文明の背後にあるキリスト教の歴史にも言及しての解説に感心させられた。
当ブログの主も、誕生寺や津山のキリスト教図書館などを尋ねたことがあるが、津山にはキリスト教を受容する風土が在ったことが感じさせられた。津山に来た内村鑑三が「法然上人」をとても尊敬していたとのことに感銘を受けた。法然上人といえば秦氏の末裔である。(以前書いた法然上人の項に詳述)秦氏は原始キリスト教とだったとも言われている。
さて、阮甫は漢訳の聖書を読んでいたとの話を今回聞いた。聖書といえば当時はまだキリシタン禁制の徳川の時代、少々驚きを隠せないが、一面そうだなあとの感想も持った。
いずれ私も秦氏と、キリスト教、日本文化の歴史をまとめてみたいと思っている。
2011年2月19日土曜日
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