私はいくつかの歴史テーマについて研究しているが、その中の一つに「日韓関係史」がある。
最近竹島問題や従軍慰安婦問題などで、日韓の対立が続いている。
どうもお互いの感情や主張が食い違って、難しい状況である。
半島と日本列島は一衣帯水と言われながら、なぜその主張や感情が食い違ってしまうのだろうか?
明治学院大学の武光誠教授が書いた「日本と朝鮮はなぜ一つの国にならなかったのか」という本がある。2010年9月の発刊だが、タイトルに引かれて買ってみた。
やはり古代史、日本と半島国家の成立過程から見て行かないと、この両国家の対立の理由を探ることは出来ない。
例えは良くないかもしれないが、対立する両国家が争っているのは、サッカーの試合で、反則があったかなかったかといって争っているようなものである。激しい争いの中では、故意か故意でないかは別として、反則行為、ないしは反則に近い行為はありうるものである。お互い応援するチームがあればきわどいところで「あった」「なかった」と騒ぐものである。これが激しくなればサポーター同士が乱闘騒ぎにもなり死人まで出ることもある。
まあ、喧嘩というものは、争い出したらきりのないもので、お互いあること無いこと言って、最後どちらも傷ついて終わるものである。兄弟喧嘩も、夫婦喧嘩も同じ。
まあ、家族同士の喧嘩と言うものはどこかで収拾して、仲直りして終わればいいのだが・・・
さて、「日本と朝鮮はなぜ一つの国にならなかったのか」・・・・
と言うことは、一つの国になったかもしれないと言うことですね。
これは日韓両国のルーツを知らなければならないと言うことになります。
「伽耶を知れば日本の古代史がわかる」
慶南大学や京畿大学の教授を歴任した高濬煥(コ・ジュンファン)氏の書いた本を読むと、日本の国家成立に一番大きな係わりがあったのが半島南部にあった伽耶の国であることがわかる。
伽耶とは、高句麗、百済、新羅とともに半島南部にあった小国家群である。(加耶とも加羅とも書いたりするが同様である)。鉄産を中心に産業が栄えたが、百済と新羅が強大化する中で、その軋轢に消滅していった。その中心だったのが金官加羅国で、その国の神話は日本の神話と極めて似通っている。この金官加羅国はその後新羅に併合されて行くがその王族は新羅の国で重用され、その後その一族から統一新羅を実現に貢献する金庾信(キム・ユシン)将軍などが出ている。またその王族の一部は日本の古代国家成立に深く係わってりると言われている。
2013年2月20日水曜日
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