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2010年4月27日火曜日

ユーラシア大陸の東の端

大陸、シルクロードを通った文明は、朝鮮半島を通って、日本列島に流れ込んだ、
日本は多民族国家だと誰かが言っていた。
正倉院、世界の文物が集まっている。
精神文化の粋が日本において結実したといっても間違いない。
平和を求め、新天地を求めた人々が、この日本列島にやってきた。特に西暦紀元後間もなくの時代に急激に多くの民族がやってきて、この日本は出来上がっていった。
聖徳太子の17条の憲法の第1は「和をもってと貴しとなす」である。当時様々な、歴史性を持った渡来人が日本にやってきた。様々な技術や文化や宗教をもって。それらを生かしあいながら作り上げてきたのがヤマト政権ではなかったか?もちろん醜い争いも多くあったが、基本的に平和を愛好する人々亜が多かった。権力の中枢では醜い争いや、騒乱を繰り広げていても、日本社会の基盤は、平和を愛好する善良な人々だったのではないか。

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