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2010年4月27日火曜日

ユーラシア大陸の東の端

大陸、シルクロードを通った文明は、朝鮮半島を通って、日本列島に流れ込んだ、
日本は多民族国家だと誰かが言っていた。
正倉院、世界の文物が集まっている。
精神文化の粋が日本において結実したといっても間違いない。
平和を求め、新天地を求めた人々が、この日本列島にやってきた。特に西暦紀元後間もなくの時代に急激に多くの民族がやってきて、この日本は出来上がっていった。
聖徳太子の17条の憲法の第1は「和をもってと貴しとなす」である。当時様々な、歴史性を持った渡来人が日本にやってきた。様々な技術や文化や宗教をもって。それらを生かしあいながら作り上げてきたのがヤマト政権ではなかったか?もちろん醜い争いも多くあったが、基本的に平和を愛好する人々亜が多かった。権力の中枢では醜い争いや、騒乱を繰り広げていても、日本社会の基盤は、平和を愛好する善良な人々だったのではないか。

2010年4月26日月曜日

「失われたアイデンティティー」ケン・ジョセフ
という本を読んだ。
秦氏、景教というキーワードを探っていくと、氏の本にぶつかった。
以前から日ユ同祖論や、秦氏原始キリスト教説や、空海は景教を学んできたとか、いろいろ言われてきたが、ある面、日本人の発想では気付かない観点で、日本文化における、キリスト教の影響を明確に述べているように思う。
日本人の優秀さ、文化度の高さ、精神性の高さはどこから来ているのかと考えると、宗教性を抜きにsては考えられない。
吉備楽土も、いろいろ秦氏の研究や、日本の宗教・思想史の研究をしてきたが、日本文化の源流が何なのか?
単にキリスト教と言うのではなくて、それも、ローマカソリックや、プロテスタントと言った、西洋キリスト教ではなくて、何か根本的宗教、さまざまな宗教が単に融合するだけでなく、何か昇華されるというか、より根本に帰るような、人類が普遍的価値として持つことのできるようなものが作られてきたのか?
仏教も、キリスト教も、ユダヤ教も、あるいはイスラムやヒンズー教などの中にも、普遍的な価値や、共通する理念を見ることができる。
あらためて、その価値を見出す時なのかと。

日本をどうするつもりなのか

日本をどうするつもりなのか
国のかじ取りは難しい!たしかに
それにしても、最近の政治の動向には不安を感じる。
国民全体が、何か不安を感じながら、それがどこから来ているのか、どうして行ったらいいのかということに答えを見いだせずにいる。
政治家や、評論家といった人たちが、それなりのことは言っていて、それなりに評論はしているのだが、明確な答えは、誰も言っていない。
その答えはどこにあるのだろうかと、吉備楽土は考える。
その答えが、何んとなくあるような気がするのだが、それはどこに?
思いがけないところにあるのかもしれない。
掘り下げて考えてみたいと思う。

2010年4月17日土曜日

岡山出身の異色の小説家「江見水蔭」について

江見水蔭
これまであまり知らなかったが、今回、岡山人物銘々伝を語る会で田中浩明さんが発表した、内容によると、ずいぶん活躍していたんだなあと、はじめて知った驚きでいっぱいです。
水蔭は岡山藩士、江見鋭馬の長男として明治2年、1番町1丁目に生まれた。父親は勤皇の士で、岡山藩の維新三尊と言われた人物で、母親は父が播州赤穂藩士村上真輔で、藩内の軋轢で暗殺され、その子、四郎らが高野山で仇討をした。(これは日本最後の仇討と言われれる)
幼くして父を亡くし、祖父に育てられるが、伯父の勧めで上京、16歳の時、教育者・思想家であった杉浦重剛の称好塾に入塾、そこから東京英語学校に通う。
18歳の時、尾崎紅葉らの文学結社 硯友会のメンバーになり、数多くの作品を書いた。
最初は純文学を書いたが、その後は通俗的な時代小説や、探偵小説などを盛んに書いた。
資料によると、明治期の作家の中でも、水蔭の作品数は、第一位となっており、自称2000作ともいわれるほど多数の作品を書いている。
明治36年、シェークスピアの「オセロ」を翻案して戯曲を書き、これは、川上音二郎と貞奴が主演して前項を公演して回り、有名になった。
水蔭は、相撲に熱を入れ、「文士相撲」を始めた、これはその後学生相撲と変わっていった。
また、明治42年には両国に相撲の常設館が建設されるが、その名前の「国技館」は、水蔭があいさつ文を頼まれ、その中に「そもそも、相撲は日本の国技、朝廷これを奨励せられ・・・」の言葉から名づけられ、「国技館」の名付け親とされている。
また、考古学にも興味を持ち、自宅に太古遺物陳列所を作り、その収蔵品は2万7千9百点余りもあったといわれる。
晩年は講演活動などをして回っていたが、昭和9年9月、岡山講演を予定していたが、室戸台風の影響で、それができず、四国を講演中、松山で肺炎にかかり、闘病、亡くなった。66歳であった。
水蔭は明治期の作家として、きわめて多くの作品を残し、脚光を浴びたが、地元岡山ではあまり知られていない。これは岡山では、あまり文士を歓迎しなかったのと、父親が勤皇の士で、有名人で会った人物で、かえって小説家となった水蔭を蔑視する風潮があったといわれる。
文壇では田山花袋を育てたりしているが、「自分は学問がない、それで二流三流扱いをされた。」とも述べており、尾崎紅葉などとの軋轢が、その一因だったとも見られる。
今回講演してくれた田中浩明さんは、東京品川を訪ねたり、水蔭の生家跡(番町1丁目、新鶴見橋のたもと辺りにあった)を訪ねたり、国技館の資料や、川上音二郎が演じた「オセロ」のポスターや、その他多数の資料を準備いて語ってくれた。
郷土岡山では、あまり尊重されなかったようだが、国技館の名付け親になったり、その事績は極めて大きなものがある。改めて光を当ててみるべき人物だと思った。

2010年4月16日金曜日

高速道路上限制に思う

高速道路上限制について
6月から、高速道路の上限制が始まる。
民主党は、高速道路無料化をマニフェストに掲げて、政権交代し
国民の間に、高速道路無料化の論議が広がった。
自民党政権は、その末期に、土日祝日の千円高速を実現し、功罪様々結果となった。
本ブログでも取り上げた、フェリーの廃航問題も起こってきた。

今回の上限制、ちょっと思いつきの観を否めない。
フェリー航路廃止に考慮したというが、四国各県からは反発が強い。
橋を渡るのに、一般高速道路より上乗せされたのは、はっきり言って不公平。
フェリーへの影響を考慮したというが、我々はこんな形を願ったのではない。

確かに長距離利用者にはメリットがあるが、その恩恵はごく一部。
本当に必要なのは、全体的な値下げ。
近距離なんかは、むしろタダにした方が、地方交通には役に立つ。
これこそ有効活用だと思うがどうだろう。
高速道路の利用促進策をして、そのための値下げをすればいい。
ある一定のルールを決めて、料金設定を自由にしたらいいと思う。

2010年4月14日水曜日

「江見水蔭」について語る 岡山人物銘々伝を語る会例会

 16日金曜日 午後6時から岡山県立図書館で 岡山人物銘々伝を語る会 第44回例会が開かれます 皆さん是非ご参加ください。  

4月の例会は明治から大正にかけ一世を風靡した岡山出身の異色の作家「江見水蔭」について田中浩明氏が語ってくれます。
詳しく知りたい方は 吉備楽土にメールください
  

岡山人物銘々伝を語る会第44回例会              
 
 日時:平成22416()※ 午後6~8時  (※通例は第3金曜日です)
  場所:岡山県立図書館の2階
  取り上げるテーマ:「江見水蔭」
  講師:田中浩明氏                  参加費:500

 <江見水蔭>えみ すいいん、明治2812日(1869917日) - 昭和9年(1934年)113日)は、小説家、翻案作家、雑誌発行者、紀行家、冒険家。本名:忠功(ただかつ)。岡山市生れ。 文学作品を皮切りに、通俗小説、推理小説、冒険小説、探検記など多岐に渡る分野に作品を残し、硯友社、江水社、博文館など数々の出版社で雑誌の編集発行に関わった。代表作に小説『女房殺し』、『地底探検記』、随筆『自己中心明治文壇史』、翻案戯曲『正劇  室鷲郎』などを残す。

事務局 山田
携帯 090-1033-3327


2010年4月7日水曜日

日本の感性21in岡山 邦楽演奏会の案内

昨年王子ケ岳でサンセットイベントに参加した
日本筝曲学会 日本の感性21in岡山の案内をいただきました。

昨年の演奏はとても素晴らしかった。
全国コンクールで毎年優勝しているという子の演奏も素晴らしかったし
何より夕暮れの瀬戸内海をバックに「春の海」 最高でした。
今年はその王子が岳のイメージの新曲始め
また 素晴らしい演奏が聴けそうです。

日時 平成22年5月9日(日) 12:30 開演 12:00 開場
場所 岡山市民会館
司会 大月宗明
心が明るくなる集い No.5

主催 NPO全国法人 日本の感性21in岡山
日本音楽大道派 ・仁康音楽会

出演者 日本音楽大道派宗家 大月宗明
斎藤道英 大月一正 大月邦弘 永廣孝山 熊代七恵 中村真理 近藤裕子 有山京子       ほか
演奏曲目 荒城の月抄:さくら舞曲・・・・日本のうた
サンシャイン瀬戸・・・王子が岳ファンタジー/新作発表  ほか


出演者・プログラムなど詳しくはパンフレット
日本の感性21in岡山 邦楽演奏会
クリックしてください


「吉備楽土」に連絡をいただければ割引入場券(半額)を差し上げます
kibirakudo@gmail.com
にメールください。

2010年4月4日日曜日

闇夜の日本

闇夜の日本
歴史というのはいい歴史ばかりじゃない
世の中暗い話も多い
悲惨な歴史をくぐりぬけてきたのが歴史かもしれない。
不当な弾圧や迫害を受けてきた人も多い。
差別や抑圧、侵略や、醜い戦争。
悪が大手を振って歩いてきた歴史も多い。
そちらからの歴史も見てみないといけないのかも。
現実も悲惨な、そして馬鹿げたことが多い。
はらわたが煮えくりかえるような、理不尽なことも多い。
今日も殺人や、死体遺棄の報道がされていた。
人間はなぜ、このような悪事を行うのか。

今年は就職難、まだ就職の決まっていない、新卒者も多い。
もちろん、リストラで職を失って、再就職の道のない失業者があふれている。
一方ではまだまだ贅沢三昧している者も多くいる。
格差の時代でもある。
光が当てられなければならないことが多くある。

2010年4月1日木曜日

秦氏と藤原氏

藤原家と秦氏は極めて近い関係
久慈力氏の「シルクロード渡来人が建国した日本」を読んでいると
「藤原氏はシルクロード有力渡来豪族の集合体」との一説が目に入った。
藤原氏はスキタイ・サカ族が中心氏族であり、彼らと秦氏、月氏系などの集合体」とあり、
藤原氏と秦氏はそのルーツが非常に近い、しばしば婚姻関係を結んでおり、ほとんど融合している。
秦氏が藤原氏を経済的に支援している。あるいは秦氏が藤原氏にもぐりこんでいる。
とある。

西大寺観音院の縁起に出てくる[皆足姫]縁起には「藤原皆足」とあるが、別の記述には「秦皆足」とある。玖珂の皆足とは秦氏だった。藤原氏と秦氏が密接ん関係にあったとしたら、この辺りも理解できる。

改めて日本国のルーツは何か?秦氏と藤原氏など、関係を知りたくなった。
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