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2010年2月25日木曜日

西大寺観音院と会陽 秦氏 皆足媛

西大寺観音院の謎?
西大寺縁起にある皆足媛とは

以前から疑問だった
皆足媛と秦氏、藤原氏の謎について
mr yanagi氏の[宝木伝説]に詳しく述べてある。
秦皆足というのは媛ではなかった。夫が秦皆足ということらしい。
つまり媛というのは、秦皆足夫人ということか。
なぜ、藤原皆足か?秦氏では通りが悪いので藤氏を名乗ったとのこと
私としては謎が解けた

ここに来ると 周防、玖珂の秦氏のルーツが知りたくなった。
それと観音院の歴史についてはもう少し知りたい。

吉備の国で秦氏といえば
備中 今は総社市秦原の廃寺
備前 幡多の遺跡など そして美作法然上人の父母のルーツとしての秦氏
備前 備中 美作 そして備後も含めて 吉備の国における秦氏の歴史の流れが見えてこないか
どなたかこの辺り詳しい方があれば教えていただきたいのだが


先ほど紹介した、mr yanagi氏の[宝木伝説]
学術的にも詳しくて 参考にさせてもらいます。

1 件のコメント:

キビラクド Yamada Ryozo さんのコメント...

山口県玖珂にある二井寺山極楽寺の縁起にはこう書いてあるそうである

二井寺山極楽寺
所在地:山口県岩国市周東町上久原神幡866

当山は、玖珂の大領秦皆足朝臣が聖武天皇の天平16(744)年、霊夢を感じて二井寺山に登り、
神人に会って十一面観音の霊像を授けられ、一宇を開いたのが起源とされています。
以来、観音の霊験あらたかで遠近の信仰を集め、他に異なる皇室の勅願所として
当初は二十四坊を数える大伽藍であったという。