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2010年12月16日木曜日

改めて思う和気清麻呂の偉大さ そして国運と言うこと

最近の日本の状況をみると憂うる事ばかりである。
いちいち評論しても仕方が無いくらいに、世の中には問題が山積している。日常茶飯事のごとくに事件が頻発している。皆があきらめてしまっていることのような中に問題が潜んでいる。

こんな中改めて、郷土出身の偉人たちを思う。その代表格が政治面では和気清麻呂であり、宗教家では法然上人ではないかと思う。そのことはこのブログでたびたび紹介した中に書いてきた。

和気清麻呂の精神とは何か?
それは第1に「天を敬う心」であり、それは弓削の道鏡事件の時の彼のとった態度によくあらわれている。「獨慙天地」という真筆にもそれがうかがわれれる。
第2に「民を思う心」である。それは和気氏が故郷の和気郷に尽くした内容や、大隅国に流された時の逸話、また姉の広虫姫が孤児を養ったことなどに、強くそれを見ることが出来る。
そして最後は「国を思う心」である。それは道鏡事件の時の彼の態度もそうであるが、何より日本国の新しい首都としての「平安京造営」にかけた彼と彼の一族の意気込みと取組にはっきり見ることが出来る。
平安京造営以来1000年以上の期間、京都は日本の首都であり続けた。この間武家の台頭により政治の実権は武士が握って行った時代を通過したと言っても、首都としての日本の位置と、天皇を中心とした国家体制は変わることなく続いてきた。


その精神、つづめて言えば「敬天愛人愛国」である。


もう一人の偉人は[法然上人]である。法然上人についてはいずれ詳しく書くが、法然上人の生きざまにも同様の精神が流れている。


その精神性、宗教性の背景には何があるのか?二人に共通するキーワードは何か?
それは「・氏」である。このこともすでに論じてきたが、これからさらに詳しくまとめて行きたいと考えている。


さて、今日のテーマの一つである「国運」と言うこと。
経済的には「景気が悪い」ということで言われているが、今の日本はあらゆる面で「国運」が牛対していることは否めない。
個人や、一族、企業のようなものにも「運勢]がある。東洋人はそのことを大切にして来た。
国にも運勢がある。今の日本にそれが失われていっていることは、だれもが認めざるを得ない
今は極めて深刻な状況になっているというのが衆目の一致するところである。


ここで、平安京を造営した和気清麻呂の精神と生きざまに、今の日本の危機を打開するヒントがあるのではないかと言うのが、当ブログの主の主張である。
そのことを引き続き書いていってみたいと思っている。

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