矢吹邦彦先生の「吉備発日本の古代史は変わる」の本を読みました。
矢吹先生の本は「炎の陽明学」や「ケインズに先駆けた日本人」が有名ですが、この「吉備発日本の古代史は変わる」も力作です!
矢吹先生のこの本を読んで、かなり私もこれまでの疑問点が解消されたり、あるいはこれまで考えてきたことが立証されたり、とても有益な本でした。
そこで「吉備発日本の歴史を変える!」と銘打ってみました。
そもそもこの「吉備楽土」のブログ執筆の動機が、吉備から日本や世界に向けて新しい時代を提言することは出来ないか?と言うところから出発していますので~~矢吹先生のこの本の内容が、まさに吉備の古代史が日本列島の歴史に大きく関わってきたということを裏付ける内容だということがあります。
間近で見る鬼の城や造山古墳の威容は、この吉備の国を支配した大王がいかに強大な力を持っていたかを象徴するものです。
矢吹先生のこの本の主題は、まずもって4~6世紀の時代、吉備の国がもっとも強大な力を誇り、日本列島の国家連合を統括した時代があるということです。そしてそれは白村江の戦いの後の日本国の推移につながって行きます。
先日、吉備歴史探訪会で鬼の城と宝福寺近辺を探訪してきました。
鬼の城に登ると広大な吉備の平野にはるか、造山古墳も見えます。この鬼の城山をめぐる城郭もその規模はものすごいものです。
宝福寺は紅葉の綺麗な時でしたが、雪舟縁の寺ですが、ここは臨済宗の禅寺です。臨済宗は栄西禅師がもたらした禅の教えですのでやはり吉備に縁があります。
探訪の最後は妹尾兼康を祀る井神社でした。目の前は湛井の堰でその向こうが秦です。秦には先般発見された一丁ぐろ古墳や秦廃寺、姫社神社もあります。
改めて吉備の歴史の偉大さをまざまざと実感するひと時でした。
矢吹先生の「吉備発日本の古代史は変わる」の本の最後は、吉備人吉備真備と最後は和気清麻呂の話で締めくくられています。
日本の最初の正史である「日本書紀」執筆の経過も説明しておられます。
人と人とのつながりが織り成す歴史、人と人とのつながりを通して、人は生き方や、国や社会のありあり方を学び継承して行く。
今日、日本のあり様は日本の歴史を織り成す要所要所に登場した人々の思想や理念、意思や力によって形成されて来ている。その人々の群れの中に吉備の人々がとても重要な役割を果たして来たことをあらためて実感する。
今日の日本は、敗戦の中から復興してきた先人の力で持ちこたえてきたが、様々な問題も内包している。いま大きく変わらなければならない時であり、変わろうともしている。こういう時こそ歴史を見つめ、先人の歩みに関心を持ち、我々がどのような道を選択していくべきか正しい判断をして行動していくべきときであろう。
日本の歴史が大きく変わるときに重要な役割を果たして来た吉備の人々であり、我々はその子孫である。吉備から日本と世界の未来を変えていくことは我々の使命ではないだろうか!
そんな思いでこれからもこのブログを執筆していくつもりです。