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2010年3月16日火曜日

吉備真備(きびのまきび)

郷土出身の偉人で忘れてはならない一人
和気清麻呂とは少し先輩に当たるが同時代に生きた「備中」下道の出身

吉備真備(きびのまきび)
Wikipedaiによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/吉備真備

現在は倉敷市に合併したが、旧真備町に[吉備寺]がある。
http://www2a.biglobe.ne.jp/~marusan/phkibiji1.html
吉備真備の故郷である。
下道氏の出身
遣唐使として唐にわたりさまざまな学問を学んできた。
儒学のほか、天文学、音楽、兵法、その他様々な技術・学問んできた
学者から始めて、称徳女帝の時右大臣にまで昇進した。
兵法にも優れ恵美押勝の乱のときにはその才を発揮した。
地方出身者としては異例の出世をした人物として歴史に名を残す

陰陽道の書を持ち帰り、陰陽道の祖としても知られている。

日中国交に貢献した岡崎嘉平太しが幼いころ母親に連れられて[吉備寺]を参拝
郷土出身の偉人の話に感動し自分も大きくなったら、そのようになろうと、日中の懸け橋として活躍するようになったとのことである。

旧真備町はその町名を吉備真備の「真備」からとったそうである。
今でも、郷土出身の偉人として尊敬され、吉備寺を訪れる人も絶えない。

なぜか、吉備の国は同時代に備前、備中、そして美作 偉人が出る。
和気清麻呂と吉備真備
法然と栄西
幕末から明治の新宗教として 金光教と黒住教

現代でも岡崎嘉平太氏と、行政改革に力を発揮した土光敏夫氏 このお二人は結構親交を厚くしていたそうである。
和気清麻呂と吉備真備は出会いがあったのか?
法然と栄西の出会いは?

お互いその存在を意識せざるを得ない関係だったが・・?

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