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2009年4月15日水曜日

情操教育の大切さ

最近、凶悪事件や、いじめ、青少年の淪落の実態を見るにつけ、情操教育の大切さを痛切に実感する。
古来日本人の伝統的生活は、豊かな自然の中で豊かな情操を育んできた。
自然の恵みに感謝し、人知を超えて働く、大きな存在に畏敬の念を以て生活してきた。
年の初めには神社仏閣に詣で、式の折々、生活の折々には神に感謝し、先祖に感謝する生活を伝統としてきた。また、家族を大切にし、地域の友や、親戚の人々との思いやりのある生活を営んできた。
まさに「故郷」にうたわれる世界。
いまその「こころ」が失われてしまっている。思いやりの心を育てる、環境も教育もなくなってしまっている。
情操教育の根本は、神に感謝の心を捧げる素朴な信仰心ではないかと思う。
特定の宗派などない、自然のままに神に感謝の心を捧げる、それが情操を育てる第1歩ではないかと思う。
皆さんどう思われますか?

2009年4月14日火曜日

黒田家と福岡


「福岡」というと、九州福岡県、福岡市を思い出すが、福岡の地名の由来が、今は岡山県の瀬戸内市にある福岡という地にあることは今ではあまり知られていない。岡山県人でも知らない人が多い。
関ヶ原の戦いで東軍方に付いた黒田官兵衛はその戦功により筑前の国を与えられるが、その城を作るにあたり、父祖の地である、備前「福岡」の名前を付けた。
備前福岡は「福岡一文字」という名刀の産地であり、中世以降は中国随一の商都として栄えた。
黒田家はそもそも佐々木の一族で、近江の黒田邑に住んでいたが、故あって、黒田の地を出で、行くあてのないところを福岡の地にとどまり、かの地の商人の庇護を受けた。黒田官兵衛から見れば祖父母、曾祖父母の代の時代である、その後黒田長政は姫路城主となり、そのころ秀吉と出会い、黒田は豊臣家の軍師となっていくのである。
やはり、黒田家には志があり、有能な一族だったのであろう。福岡の地にも黒田家はよき事績が残っている。よほど黒田家にとって福岡の地は忘れうことのできない、今あるのは、福岡の商人たちの故であると、その思いが、筑前の新城の名前を「福岡城」とした所以であろう。
福岡に行くと、戦国の時代、備前の覇者となった宇喜多の一族も、不遇の時代を福岡の商人に、助けられた。
その後、備前を統一した宇喜多直家は現在の岡山の地に城を築いたが、城下町を整備するにあたって、この福岡の商人たちと、門前町であった、西大寺の商人たちを招いて、城下の街を作っていった。
それが今の、岡山の表八ヵ町である。上ノ町~下之町・栄町が福岡町と言われ、西大寺からの商人が作った西大寺町と繁栄を競った。
それにしても、福岡の商人の精神は、すごいし、今に生きているように思う。
志ある者には支援を惜しまないのが、備前、備中の商工人たちか・・・
商工人に根差す、敬天愛人の精神が、吉備の国おこし、吉備楽土の実現と、世界平和実現の道ではなかろうかと思う。