今回講師の高橋義雄氏は岡山の金融史をまとめられた方である。日本資本主義の父と言われる渋沢栄一とゆかりの岡山の人物として興譲館の創始者阪谷朗蘆と山田方谷の弟子であり二松学舎の創立者三島中洲を取り上げた。ともに儒学者でありながら西洋の文化を取り入れ、教育や産業の発展に貢献した。
三島中洲については以前この会でテーマで取り上げられたことがあるが、阪谷朗蘆については今回が初めて、興譲館は最近駅伝で有名になったが、学校創立の背後にこのような人物の、このような教えがあったことを知り、郷土として誇るべきものであると感じた。校訓とその意味なども紹介されたが、実に味わい深い内容であった。
2011年6月22日水曜日
2011年6月1日水曜日
早島で開かれた合唱コンサート コロポーニョと吉備の児島
29日日曜日の午後2時から早島町のゆるびの舎で合唱コンサートが開かれた。
演奏は児島を拠点に3年前に結成された「コロポーニョ」1stコンサートと銘打って、同じく高野敦さんが指揮者を務める「コールゆうぶんげん」が賛助出演、合同での演奏「花に寄せて」には筆者も友情出演させてもらったが、事故のため手も足も不自由になった星野富弘先生が口に筆を含ませながら書いた絵と詩、それに感動して混声合唱組曲に仕上げた作曲家の新実徳英氏、コンサートのプログラムにも新実氏のメッセージが寄せられていたが、突然襲った悲劇にもかかわらず生きる希望を持ち続け、それを絵と詩に描いた星野氏の強い意志と魂の叫びと愛情があふれた曲である。感動的な舞台だった。
最後はアンコールで「吉備の児島」3月に児島で上演された吉備の児島をテーマにした創作ミュージカル「最後の5匹」の挿入歌である。吉備の児島の歴史と風土を表現した、さわやかであたたかな瀬戸の風状の中で伸びやかな希望を感じさせる歌である。作詞は児島在住の江戸川乱歩賞作家の藤原敏弘氏、作曲は同じく児島在住の音楽家亀井由喜子さん、原曲は女声合唱だが今回混声合唱に編曲しなおしての初演奏。亀井女史とミュージカル主演の女の子がゲストとして来場紹介された。
さて、児島の合唱団がなぜ早島でと、少し不思議にも感じたが、私はこう思った。
早島はなんと言っても山陽道と金比羅街道の分岐点、かって児島に上陸した人たちは由加山と熊野社に参拝して早島に出て山陽道を登ったり下ったり、あるいはまた出雲へその道をたどり分かれて行った。今でもそうであるが早島は吉備の児島との接点になる交通の要所。ここに文化が集まりここから文化が開けていく。
早島のゆるびの舎はとても使い勝手がよく、音響もよくて岡山や倉敷の合唱団がよく利用する会場である。
当日は季節はずれの台風で、風と雨の悪天候にもかかわらず300余名の聴衆が集まった。
児島と岡山でかつやくする両合唱団の今後の活躍に期待したい。
コロポーニョ 吉備の児島の記事も見てやってください。
演奏は児島を拠点に3年前に結成された「コロポーニョ」1stコンサートと銘打って、同じく高野敦さんが指揮者を務める「コールゆうぶんげん」が賛助出演、合同での演奏「花に寄せて」には筆者も友情出演させてもらったが、事故のため手も足も不自由になった星野富弘先生が口に筆を含ませながら書いた絵と詩、それに感動して混声合唱組曲に仕上げた作曲家の新実徳英氏、コンサートのプログラムにも新実氏のメッセージが寄せられていたが、突然襲った悲劇にもかかわらず生きる希望を持ち続け、それを絵と詩に描いた星野氏の強い意志と魂の叫びと愛情があふれた曲である。感動的な舞台だった。
最後はアンコールで「吉備の児島」3月に児島で上演された吉備の児島をテーマにした創作ミュージカル「最後の5匹」の挿入歌である。吉備の児島の歴史と風土を表現した、さわやかであたたかな瀬戸の風状の中で伸びやかな希望を感じさせる歌である。作詞は児島在住の江戸川乱歩賞作家の藤原敏弘氏、作曲は同じく児島在住の音楽家亀井由喜子さん、原曲は女声合唱だが今回混声合唱に編曲しなおしての初演奏。亀井女史とミュージカル主演の女の子がゲストとして来場紹介された。
さて、児島の合唱団がなぜ早島でと、少し不思議にも感じたが、私はこう思った。
早島はなんと言っても山陽道と金比羅街道の分岐点、かって児島に上陸した人たちは由加山と熊野社に参拝して早島に出て山陽道を登ったり下ったり、あるいはまた出雲へその道をたどり分かれて行った。今でもそうであるが早島は吉備の児島との接点になる交通の要所。ここに文化が集まりここから文化が開けていく。
早島のゆるびの舎はとても使い勝手がよく、音響もよくて岡山や倉敷の合唱団がよく利用する会場である。
当日は季節はずれの台風で、風と雨の悪天候にもかかわらず300余名の聴衆が集まった。
児島と岡山でかつやくする両合唱団の今後の活躍に期待したい。
コロポーニョ 吉備の児島の記事も見てやってください。
2011年5月27日金曜日
コロポーニョ1stコンサート
29日日曜日の午後2時から早島の「ゆるびの舎」で児島を拠点に活躍する女声合唱団コロポーニョの1stコンサートが開かれます
コールゆうぶんげんも賛助出演します
とてもいい歌声聴けそうです 聞きに行ってみては
コールゆうぶんげんも賛助出演します
とてもいい歌声聴けそうです 聞きに行ってみては
コロポーニョ1stコンサート
2011年5月23日月曜日
秦氏の不思議
吉備の秦氏をテーマに研究中
秦氏は調べれば調べるほどミステリーな内容が付いてくる。
古代吉備王国は秦氏の王国だった。
薬師寺慎一氏や池田光範氏の論文を読むと、そう感じてくる。
全国的には吉備の秦氏はあまり注目をされていない。
郷土岡山、かっての吉備王国、備前備中美作からは偉大な人物を数多く排出している。
とりわけ宗教家や徳政を布いた政治家かが多い。そして、産業、技術、医学、芸術の分野でも・・
そのルーツをたどると、秦氏の系譜につながってくる。
このブログでもたびたび取り上げた和気清麻呂は秦氏とのかかわりが極めて強い人物だが
ほかにも、浄土宗開祖の法然上人
栄西禅師は賀屋氏の出自だが、賀陽家はもともと吉備氏の流れを汲んでいる。吉備氏が秦氏であるとの薬師寺氏や佐藤氏の説を取り入れれば栄西禅師も果たしの流れということになる。下道氏出身の吉備真備もしかり・・
秦氏は殖産の民といわれる。吉備国の繁栄は「真金ふく・・・」と万葉の枕詞にあるように、鉄産や銅産に丹を発している。機微の国を繁栄させた金属の加工技術は秦氏がその多くをもたらしたといわれている。
土木技術、湛井の堰の建設や巨大古墳の建設に貢献、また陶器の製造技術は須恵器などの陶器や特殊基台、などを生み出したのではないか。
それになにより不思議なのは秦氏の持つ宗教性
日本全国最も多い社数を誇る、稲荷社も八幡社もいずれも秦氏が祀ったものである。
金比羅は讃岐の秦氏の祀った神であり、吉備では児島の由加山もそうである。
秦川勝が聖徳太子からもらいうけ祀られたという京都太秦広隆寺の弥勒菩薩像
吉備でも最も古い仏教寺院は秦にある廃寺がそれである。
そして音楽や美術の世界
戦国期にやってきたキリシタン、禁教令が出て地下にもぐった隠れキリシタン
明治の開国とキリスト教の普及 このあたりにも秦氏のにおいを感じる。
岡山の歴史と偉人を探るとそこには秦氏の影が色濃く出てくる。
そのあたり少しまとめていこうかと
秦氏は調べれば調べるほどミステリーな内容が付いてくる。
古代吉備王国は秦氏の王国だった。
薬師寺慎一氏や池田光範氏の論文を読むと、そう感じてくる。
全国的には吉備の秦氏はあまり注目をされていない。
郷土岡山、かっての吉備王国、備前備中美作からは偉大な人物を数多く排出している。
とりわけ宗教家や徳政を布いた政治家かが多い。そして、産業、技術、医学、芸術の分野でも・・
そのルーツをたどると、秦氏の系譜につながってくる。
このブログでもたびたび取り上げた和気清麻呂は秦氏とのかかわりが極めて強い人物だが
ほかにも、浄土宗開祖の法然上人
栄西禅師は賀屋氏の出自だが、賀陽家はもともと吉備氏の流れを汲んでいる。吉備氏が秦氏であるとの薬師寺氏や佐藤氏の説を取り入れれば栄西禅師も果たしの流れということになる。下道氏出身の吉備真備もしかり・・
秦氏は殖産の民といわれる。吉備国の繁栄は「真金ふく・・・」と万葉の枕詞にあるように、鉄産や銅産に丹を発している。機微の国を繁栄させた金属の加工技術は秦氏がその多くをもたらしたといわれている。
土木技術、湛井の堰の建設や巨大古墳の建設に貢献、また陶器の製造技術は須恵器などの陶器や特殊基台、などを生み出したのではないか。
それになにより不思議なのは秦氏の持つ宗教性
日本全国最も多い社数を誇る、稲荷社も八幡社もいずれも秦氏が祀ったものである。
金比羅は讃岐の秦氏の祀った神であり、吉備では児島の由加山もそうである。
秦川勝が聖徳太子からもらいうけ祀られたという京都太秦広隆寺の弥勒菩薩像
吉備でも最も古い仏教寺院は秦にある廃寺がそれである。
そして音楽や美術の世界
戦国期にやってきたキリシタン、禁教令が出て地下にもぐった隠れキリシタン
明治の開国とキリスト教の普及 このあたりにも秦氏のにおいを感じる。
岡山の歴史と偉人を探るとそこには秦氏の影が色濃く出てくる。
そのあたり少しまとめていこうかと
万代常閑 岡山人物銘々伝を語る会で
5月20日(金)午後6時から岡山人物銘々伝を語る会第58回例会が岡山県立図書館で開催されました。
今回のテーマは「万代常閑」 講師は久井勲氏 ゲストとして万代家21代の奥様がおいでになられました。
今回は特に万代常閑初代と、富山の薬売りのもととなった、11代についてのお話で
久井氏の大胆な推察と、小説風の語り口、実に興味深い例会となりました。
21代万代常閑の奥様も、各地を訪ね事跡を確認されておられ、伝説的に伝えられている内容と事実との相違など、実に興味深い話を聞くことができました。
地元岡山よりも富山をはじめ全国での知名度の高い万代常閑ですが、聞いてみるとその功績の大きさに感銘を受けます。
万代家の伝えてきた「返魂丹」は、今は薬事法の関係から製造販売できなくなっているそうだが、とても残念に思いました。万能薬として珍重され、その販売方法とともに多くの人々を救ってきたのに・・
万代家は明治以降は西洋医学を学び、西洋医として代をついでこられたそうであるが、その志に深い感銘を受けた。
西洋医学一辺倒の医学界や、医薬分業の体制が果たしてどうなのか?
返魂丹は富山に行って反魂丹と名を変えて越中富山藩の地場産業となり、越中富山の薬売りととして一世を風靡したが、その影で、忘れられかけていたかの万代家の功績にもう一度光を当てていくべきではないのかと感じさせられた。
今回のテーマは「万代常閑」 講師は久井勲氏 ゲストとして万代家21代の奥様がおいでになられました。
今回は特に万代常閑初代と、富山の薬売りのもととなった、11代についてのお話で
久井氏の大胆な推察と、小説風の語り口、実に興味深い例会となりました。
21代万代常閑の奥様も、各地を訪ね事跡を確認されておられ、伝説的に伝えられている内容と事実との相違など、実に興味深い話を聞くことができました。
地元岡山よりも富山をはじめ全国での知名度の高い万代常閑ですが、聞いてみるとその功績の大きさに感銘を受けます。
万代家の伝えてきた「返魂丹」は、今は薬事法の関係から製造販売できなくなっているそうだが、とても残念に思いました。万能薬として珍重され、その販売方法とともに多くの人々を救ってきたのに・・
万代家は明治以降は西洋医学を学び、西洋医として代をついでこられたそうであるが、その志に深い感銘を受けた。
西洋医学一辺倒の医学界や、医薬分業の体制が果たしてどうなのか?
返魂丹は富山に行って反魂丹と名を変えて越中富山藩の地場産業となり、越中富山の薬売りととして一世を風靡したが、その影で、忘れられかけていたかの万代家の功績にもう一度光を当てていくべきではないのかと感じさせられた。
2011年5月11日水曜日
国難を乗り越える思想 吉備の国から
未曾有の大震災に見舞われ、原発事故の追い討ちを受けている日本、かってなかった国難に瀕している。
地震直後の日本人の冷静な態度には世界から賞賛の声が上がったが、原発事故に対する日本の対応には世界ががっかりしている。
この国難をどう乗り切るのか?
今こそこの国難を乗り切る思想が必要である。
幸いここ吉備の国、岡山には熊沢蕃山から山田方谷にいたる経政家、思想家の系譜がある。
この国難を克服して国民全体が平和に安心して豊かに暮らせる国を実現していくことができれば、改めて日本は世界から注目され、地球規模のさまざまな問題を克服し、地球規模の平和と幸福と繁栄の世界を実現していくことができるであろう。
そういう思想、その根本は思いやりの心であろう。
私の先祖は信仰心厚く親孝行であるとともに心優しく民のわずらいを知る侍であった。と記録されている。
今一番必要なのは、被災した人たちの心配や不安を取り除いてあげること心を配ってあげることである。
震災復興は官邸や霞ヶ関でいくら論議しても始まらない。
被災地に直接行って実情を目の当たりにし、被災者の気持ちを最大限理解して、その気持ちを一番大切にして復興に当たることである。
原発事故の避難者には、一緒に避難生活をし、原発で必死で復旧に当たっている現場で一緒に復旧に取り組むべきである。
歴史に残る経政家、思想家は民のわずらいを知っていた。その民のわずらいを取り除くために全力を尽くして藩や地域の建て直しに取り組んだ。
その基本は心から民の心を思う思いやりであった。
その心を忘れた机上の論議は必要ない。
とるものもとりあえず被災地に駆けつけているボランティアの心は貴重である。
被災者の気持ちを第1に、そしてできることを応援してあげる。
まかり間違っても、首都と言う東京にいて、保障された生活圏の中で考える勝手な支援策を被災地に押し付けることだけはしないようにしてほしい。
地震直後の日本人の冷静な態度には世界から賞賛の声が上がったが、原発事故に対する日本の対応には世界ががっかりしている。
この国難をどう乗り切るのか?
今こそこの国難を乗り切る思想が必要である。
幸いここ吉備の国、岡山には熊沢蕃山から山田方谷にいたる経政家、思想家の系譜がある。
この国難を克服して国民全体が平和に安心して豊かに暮らせる国を実現していくことができれば、改めて日本は世界から注目され、地球規模のさまざまな問題を克服し、地球規模の平和と幸福と繁栄の世界を実現していくことができるであろう。
そういう思想、その根本は思いやりの心であろう。
私の先祖は信仰心厚く親孝行であるとともに心優しく民のわずらいを知る侍であった。と記録されている。
今一番必要なのは、被災した人たちの心配や不安を取り除いてあげること心を配ってあげることである。
震災復興は官邸や霞ヶ関でいくら論議しても始まらない。
被災地に直接行って実情を目の当たりにし、被災者の気持ちを最大限理解して、その気持ちを一番大切にして復興に当たることである。
原発事故の避難者には、一緒に避難生活をし、原発で必死で復旧に当たっている現場で一緒に復旧に取り組むべきである。
歴史に残る経政家、思想家は民のわずらいを知っていた。その民のわずらいを取り除くために全力を尽くして藩や地域の建て直しに取り組んだ。
その基本は心から民の心を思う思いやりであった。
その心を忘れた机上の論議は必要ない。
とるものもとりあえず被災地に駆けつけているボランティアの心は貴重である。
被災者の気持ちを第1に、そしてできることを応援してあげる。
まかり間違っても、首都と言う東京にいて、保障された生活圏の中で考える勝手な支援策を被災地に押し付けることだけはしないようにしてほしい。
2011年5月8日日曜日
岡山人物銘々伝を語る会5月は万代常閑
5月例会は置き薬の元祖万代常閑について作家の久井勲さんが語ります
参加希望の方は吉備楽土まで連絡ください
日時:平成23年5月20日(金)※ 午後6~8時 (※通例は第3金曜日です)
場所:岡山県立図書館の2階
内容:「万代常閑」※
講師:久井 勲
参加費:500円
万代常閑は、室町初期、“延寿返魂丹”の製法を泉州堺の浦(当時ただの漁村)に寄港した明人から
教わり、それを一子相伝で伝えた人物。3代目以降は備前和気・益原村(その後伊部)に移住、やがて越中富山に”反魂丹”を伝授。同薬のいわれは、富山のみならず全国で有名なのに、なぜか地元で知名度まだし。そこで、『個々に知られたエピソードを、他の歴史事象と経済的・社会的・政治的な背景の中で無理なく接合させ、説明/推測可能なものとして構成しようとすればこうなるのでは----』、という前提で、万代常閑(初代)について、語りたいと思います。
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