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2011年2月19日土曜日

岡山人物銘々伝を語る会2月例会「箕作 阮甫と西洋文明」

昨日ゆうあいセンターで岡山人物銘々伝を語る会2月例会が開かれました。
今回講師は津山歴史人物研究会の近藤泰宏氏、テーマは「箕作阮甫と西洋文明」と題して、箕作阮甫の人となりや業績を学んだ。
津山藩の藩医の家に生まれた阮甫は、父、兄を早くなくし幼くして家督を継ぎ、藩医になるが、江戸で町医者を開業していたときに火事に会い、それを機会に翻訳の仕事に専念するようになる。語学の才能を生かして蘭学や洋学を学ぶようになり、翻訳の仕事としてはペリーの来航時、米大統領の親書を翻訳するなど活躍した。
近藤氏の解説では、特に阮甫は洋学を学ぶに当たり、西洋文明の背後にあるキリスト教に関心を持ち、聖書を学んでいたという。
阮甫の生まれた津山は明治以降、キリスト教が盛んになり、内村鑑三も何度も訪れるなどキリスト教の普及したところであるが、今回は近藤氏の西洋文明の背後にあるキリスト教の歴史にも言及しての解説に感心させられた。
当ブログの主も、誕生寺や津山のキリスト教図書館などを尋ねたことがあるが、津山にはキリスト教を受容する風土が在ったことが感じさせられた。津山に来た内村鑑三が「法然上人」をとても尊敬していたとのことに感銘を受けた。法然上人といえば秦氏の末裔である。(以前書いた法然上人の項に詳述)秦氏は原始キリスト教とだったとも言われている。
さて、阮甫は漢訳の聖書を読んでいたとの話を今回聞いた。聖書といえば当時はまだキリシタン禁制の徳川の時代、少々驚きを隠せないが、一面そうだなあとの感想も持った。
いずれ私も秦氏と、キリスト教、日本文化の歴史をまとめてみたいと思っている。

2011年2月9日水曜日

岡山人物銘々伝を語る会2月例会

   「岡山人物銘々伝を語る会」第54回例会のご案内
                        
  53回(121日)の例会は 岡山に来たこともある与謝野晶子について、黒田輝一
 さんにお話をしていただきました。黒田さんの青春期の詩との出会いは、数人の友人とのめぐり合わせに始まるようです。披露のあった幾首かの歌は、感傷のうちにもおおらかさが伺えました。ちょうど同会のテーマ、与謝野晶子の滾るような熱情にも通じる思いがしました。
  皆さんからあった与謝野晶子評は中々に面白かったです。「従来、包み隠すべきとされていた
 男女の情感をまさに赤裸々に且つ高らかに謳い上げている」、「パリの夫鉄幹を追っかけていく
 行動力は、まるで恋する青年男女のよう」――とかく恋は人を熱くします。
  (ただ、昭和八年六月の岡山旅行中の歌には、そんな熱情は伺えません)  
 当日は、黒田さんの声掛けで詩歌愛好の女性が集まって下さいました。今後もご参加いただけ るとありがたいです。(代表代行 久井勲さんのまとめ)

2月の例会は下記のとおりです。             
                記
  日時:平成23218()※ 午後6~8時  (※通例は第3金曜日です)
  場所:ゆうあいセンター(きらめきプラザ2階) 県立図書館が休館のため今回はゆうあいセンターで行います
  内容:箕作阮甫と西洋文明
  講師:近藤泰宏 氏(津山歴史人物研究会代表)
  参加費:500
[箕作阮甫]  幕末の蘭学者、洋学者 津山藩の藩医をしていた箕作家に生まれる。幼くして父を亡くし、兄も亡くなり12歳で家督を継ぐ。京都にて漢方医を学び18歳で藩医となるが、翌年江戸に上がり蘭学を学ぶ。江戸で藩医を勤めながら開業し医院を開くが、火災もあり病弱なこともあり翻訳に専心するようになる。種痘館(後の東大医学部)の筆頭を務め幕府の蕃書和解御用を命じられ、ペリー来航の折には米大統領の国書翻訳にも当たる。彼の翻訳した書物は医学、語学、西洋歴史、兵学、宗教学など多岐にわたる。男子はなかったが娘に養子を迎え、その子孫からは多数の学者を輩出している。
問い合わせ先  kibirakudo@gmail.com
     090-1033-3327(山田)まで

2011年1月12日水曜日

楯築遺跡を訪ねて

薬師寺慎一先生の「楯築遺跡と卑弥呼の鬼道」を読んで気になっていた楯築遺跡に行ってきました。
岡山大学名誉教授で亡くなられた近藤義朗先生が発掘調査をされて、「弥生式墳丘墓」と名前を付けられた、前方後円墳の原型ではないかといわれる墳墓である。
近藤先生は前方後円墳の研究で有名で、その著書の中で「前方後円墳は吉備から始まったのではないか」という事を示唆されている。
この近藤先生の発掘調査で、ここから大量の朱(水銀)が出てきたそうである。
薬師寺慎一先生はこの近藤先生の調査の資料を基に、古墳時代を迎える前の弥生末期の時代に、吉備には「卑弥呼」か、卑弥呼と同等の力を持った女性首長が支配していたのではと推論している。
この後、造山古墳を訪ねた。

薬師寺慎一先生は、この造山古墳は「応神天皇」の陵ではないかと推論している。
それはこの古墳がその造られた時代においては、本邦第1位の大きさの古墳であり。応神天皇が吉備の兄姫を訪ねたとの記紀の記録からして、その可能性を示唆している。
記紀には応神天皇がどこの葬られたとの記録はなく。畿内にある、応神天皇陵もそれが確定されているわけではない。むしろ記紀にその記録がないことが、不思議で、それは吉備にその陵があるとはかけなかったからではないかと、薬師寺先生は推論している。
造山古墳上には荒神様が奉ってあり、そのわきに阿蘇の石でできた石棺がある。この石棺が何を意味するのか?

前方後円墳の成立には諸説あるが、成立の時代、北部九州から畿内に至る諸勢力の連合政権が成立して、その中心地が吉備ではなかったのか、そこで吉備から連合体の象徴的な墳墓として前方後円墳が成立したのではとの考えが通説になりつつあるようである。
神功皇后から応神天皇の時代に北部九州から吉備大和に至る連合体が出来て行ったとすれば、その時代に吉備がその中心地になっていて、巨大な墳墓、造山古墳が作られた意味も分かる。その後畿内、大和にその勢力の中心地が移動していったのであろう。

岡山県人の美徳とその精神、思想のルーツについて

岡山は極めて多くの偉人を輩出している。その中でも特に宗教家や宗教に関連した人物が多い。
それらの人々の思想的、宗教的ルーツはどこにあるのか?
それを今年のテーマにして行きたいと考えている。

吉備の国岡山の美徳
まず第1に天(神)を敬い畏れること。道鏡事件で和気清麻呂のとった姿勢にそれを見ることが出来る。また法然や栄西のような日本を代表する宗教家を輩出してきた。
人を愛することに篤い。和気清麻呂の姉、広虫姫が孤児を養った話は有名である。江戸期の思想に多大な影響を与えた熊沢蕃山は「愛」を武士の美徳と説いた。また、明治以降、石井十次の孤児院をはじめ数多くの福祉事業化を輩出した。
忠孝に篤い人物が多い。和気清麻呂や児島高徳はその代表であろう。
先端技術への挑戦者を多く輩出古代には鉄の加工技術や陶器の製作に優れた技術を発揮した。また前方後円墳の築造に見られるごとく土木技術にも優れていた。江戸時代には鳥人幸吉という人がいた。幕末から明治以降も先端技術に優れた多くの人物を輩出した。

枚挙にいとまがないが、吉備の風土が豊かな人材を輩出した背景にあることは間違いないであろう。

2011年1月1日土曜日

平成23年辛卯の年を迎えて

あけましておめでとうございます。
辛卯の年を迎えました。
世相は困難なことが多いですが、こういう時こそ希望が大切な時でしょう!
吉備の国が、未来を拓くそんな時を迎えているようにも思います。

今年もよろしくお願いいたします。

2010年12月16日木曜日

改めて思う和気清麻呂の偉大さ そして国運と言うこと

最近の日本の状況をみると憂うる事ばかりである。
いちいち評論しても仕方が無いくらいに、世の中には問題が山積している。日常茶飯事のごとくに事件が頻発している。皆があきらめてしまっていることのような中に問題が潜んでいる。

こんな中改めて、郷土出身の偉人たちを思う。その代表格が政治面では和気清麻呂であり、宗教家では法然上人ではないかと思う。そのことはこのブログでたびたび紹介した中に書いてきた。

和気清麻呂の精神とは何か?
それは第1に「天を敬う心」であり、それは弓削の道鏡事件の時の彼のとった態度によくあらわれている。「獨慙天地」という真筆にもそれがうかがわれれる。
第2に「民を思う心」である。それは和気氏が故郷の和気郷に尽くした内容や、大隅国に流された時の逸話、また姉の広虫姫が孤児を養ったことなどに、強くそれを見ることが出来る。
そして最後は「国を思う心」である。それは道鏡事件の時の彼の態度もそうであるが、何より日本国の新しい首都としての「平安京造営」にかけた彼と彼の一族の意気込みと取組にはっきり見ることが出来る。
平安京造営以来1000年以上の期間、京都は日本の首都であり続けた。この間武家の台頭により政治の実権は武士が握って行った時代を通過したと言っても、首都としての日本の位置と、天皇を中心とした国家体制は変わることなく続いてきた。


その精神、つづめて言えば「敬天愛人愛国」である。


もう一人の偉人は[法然上人]である。法然上人についてはいずれ詳しく書くが、法然上人の生きざまにも同様の精神が流れている。


その精神性、宗教性の背景には何があるのか?二人に共通するキーワードは何か?
それは「・氏」である。このこともすでに論じてきたが、これからさらに詳しくまとめて行きたいと考えている。


さて、今日のテーマの一つである「国運」と言うこと。
経済的には「景気が悪い」ということで言われているが、今の日本はあらゆる面で「国運」が牛対していることは否めない。
個人や、一族、企業のようなものにも「運勢]がある。東洋人はそのことを大切にして来た。
国にも運勢がある。今の日本にそれが失われていっていることは、だれもが認めざるを得ない
今は極めて深刻な状況になっているというのが衆目の一致するところである。


ここで、平安京を造営した和気清麻呂の精神と生きざまに、今の日本の危機を打開するヒントがあるのではないかと言うのが、当ブログの主の主張である。
そのことを引き続き書いていってみたいと思っている。

岡山人物銘々伝を語る会12月例会

岡山人物銘々伝を語る会12月例会の案内です



  日時:平成221217()※ 午後6~8時  (※通例は第3金曜日です)
  場所:岡山県立図書館の2階
  内容:「旧制六高柔道部の全国8連覇の師範金光弥一兵衛講道館九段」
  講師:高橋義雄( 中国銀行 元支店長 岡大柔道部出身 )
  参加費:1,000

           [金光弥一兵衛(かなみつ やいちひょうえ)]1892-1966
大正~昭和時代の柔道家
明治25年3月25日生れ 講道館で修行し、東京帝大、広島高等師範などで柔道教師を務める。大正9年六高の柔道教師となり、大正11年から連続8回全国高専大会で優勝に導く。大正13年第1回明治神宮大会で優勝。昭和17年、六高教授に。昭和23年九段 昭和四一年死去 七四歳 

柔道界でとても活躍された方だそうです。
岡山からはスポーツや武道の面でも多くの人物を輩出していますね。
今回講師は岡大柔道部出身で幅広く活躍されている高橋義雄さんです。お話楽しみです。

今週金曜日の午後6時から県立図書館の2Fです。
このブログを読まれて関心をもたれた方はぜひおいで下さい。