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2010年11月19日金曜日

閑谷学校の櫂の木 その後の櫂の木

先日櫂の木の写真を送ってくれた「備前市観光ボランティアガイド 爺婿さん」からその後の櫂の木の写真を戴きました。

今右の黄葉カイはじゅうたん状態で寂しくなりましたが、左の方はまだ 紅の付いたるカイの大木・・・です。
この辺はカイに遅れたとはいえ竜田姫も成人美人になり元気出して来たから人出、カメラマンは割と多いです



まだ間に合いそうですね。この土日にでも行ってみたいですね。

2010年11月13日土曜日

閑谷学校の櫂の木 紅葉がとても美しいです

おかやま人物銘々伝を語る会で共に学んだ「備前市観光ボランティアガイド 爺婿さん」から櫂の木の写真を送っていただきました。
あまり美しいので皆様にも紹介いたします。
閑谷学校でボランティアガイドをしておられるそうです。
皆さんぜひ閑谷学校行って、櫂の木の美しい写真を撮ってきてください。
それでは

櫂の木を撮る人々
最高にきれいな櫂の木です
駐車場から

2010年11月8日月曜日

巨大古墳群造営も秦氏の力による?

造山古墳、作山古墳はじめ吉備の大古墳の造営は秦氏の技術出来たと言われる。
秦氏は、殖産技術と信仰の集団だったと言われている。
吉備で最も古くに建造されたと言われる秦原廃寺など、飛鳥時代の寺院建築は秦氏の力によるところが多い。
そしてその前の時代、大古墳の造営も秦氏の持つ土木技術力があって出来たのであろうと言われる。
丁度秦氏が弓月の君に率いられて、倭の国にやって来た時と、大古墳の造営が始まった時期が一致する。
この時代、秦氏は今でいえば大土木建設会社を経営していて、信仰にも熱心だった。そんなイメージか?
いずれにせよ、吉備の歴史に秦氏との関連は切り離すことが出来ない。宗教史然り、土木や金属加工などの産業、技術史然りである。
日本文化形成にきわめて大きなかかわりを持った「秦氏」そこにスポットを当ててみると、全体歴史の大きな流れが、見えてくるような気がする。

岡山人物銘々伝を語る会11月例会は[坪田譲治]

岡山人物銘々伝を語る会11月例会は、「郷土岡山を描き続けた坪田譲治]のテーマで、ノートルダム清心女子大学の日本語日本文学科の山根知子教授にお話をしていただきます。
日時は11月19日(金)午後6時~8時
会場は県立図書館二階のサークル活動室です。
参加費1000円(通常は500円)

坪田譲治は石井尋常小学校から神奈川中学を経て早稲田大学文学部予科に進みます。
そこで早稲田の先輩小川未明に出会い、師事、文学の道を志します。
坪田譲治は様々な困難を乗り越えながら、多くの作品を残しています。特に彼の書いた児童文学は郷土岡山の情景を、幼いころの体験をベースに書き続けました。こよなく郷土岡山を愛し続けた文学者でした。
多くの後輩を育てたことでも有名で、岡山市では遺徳をしのんで坪田譲治文学賞を定めました。
今夏講演をしてくださる山根知子教授は早稲田大学出身で、所属するノートルダム清心女子大学には坪田譲治の文庫も作られています。郷土岡山を描き続けた坪田譲治の話、楽しみです。


参加希望の方は吉備楽土にご連絡ください。


岡山人物銘々伝を語る会では、毎月第3金曜日の夕方6時から県立図書館の2回で岡山に縁の人物伝を語り合っています。通常は参加費500円です。岡山の歴史と人物に関心のある方、ご参加お待ちしています。

岡山人物銘々伝を語る会11月例会は[坪田譲治]

岡山人物銘々伝を語る会11月例会は、「郷土岡山を描き続けた坪田譲治]のテーマで、ノートルダム清心女子大学の日本語日本文学科の山根知子教授にお話をしていただきます。
日時は11月19日(金)午後6時~8時
会場は県立図書館二階のサークル活動室です。
参加費1000円(通常は500円)

坪田譲治は石井尋常小学校から神奈川中学を経て早稲田大学文学部予科に進みます。
そこで早稲田の先輩小川未明に出会い、師事、文学の道を志します。
坪田譲治は様々な困難を乗り越えながら、多くの作品を残しています。特に彼の書いた児童文学は郷土岡山の情景を、幼いころの体験をベースに書き続けました。こよなく郷土岡山を愛し続けた文学者でした。
多くの荒廃を育てたことでも有名で、岡山市では遺徳をしのんで坪田譲治文学賞を定めました。
今夏講演をしてくださる山根知子教授は早稲田大学出身で、所属するノートルダム清心女子大学には坪田譲治の文庫も作られています。郷土岡山を描き続けた坪田譲治の話、楽しみです。


参加希望の方は吉備楽土にご連絡ください。


岡山人物銘々伝を語る会では、毎月第3金曜日の夕方6時から県立図書館の2回で岡山に縁の人物伝を語り合っています。通常は参加費500円です。岡山の歴史と人物に関心のある方、ご参加お待ちしています。

2010年11月4日木曜日

猿田彦と秦氏 熊山との繋がり

猿田彦は、ニニギのミコトが天下る時先導役を務めたと、記紀にある。
その猿田彦は秦氏の氏神であったらしい。
熊山山上に猿田彦神社が祀られるのは、いかにも熊山が秦氏の信仰の場であったことを証明しているようである。
そもそも山岳修行、修験道は秦氏が開いたとされる。

2010年11月2日火曜日

報恩大師は吉備の出身か?

熊山について詳しく書いた、仙田実氏の「霊山熊山」には、報恩大師は、もともと吉備の人物ではなく、備前48か寺も、後の世に、金山寺が、備前の中心的寺院としての権威を高めるために、報恩大師の開基としたのであろうという。生れも、備前の波荷(芳賀)ではなく大和で生まれたという。それでは報恩大師の産湯の井戸などの伝説は何かということになるが、高松稲荷、竜王山の開基との言い伝えなどからしても、[秦氏]との密接なかかわりは、否定できない。波荷の地も何かの縁があってのことであろう。確かに報恩大師の伝説は不明な事が多い。
吉野で修行して、孝謙天皇の病気平癒の祈祷に験があったというのは、記録にあるところであり、その出自か何かに吉備の国との密接な関係があったこと思われる。
奈良朝の時代、和気清麻呂が都で地位を高めて行った時である。一方備中に縁のある吉備真備も都の重要な役職を歴任して行く。
この時代、宗教面、人材面で吉備は輝いて行く。その宗教的風土のキーワードがやはり「秦氏」である。